即席空軍大国 7 (戦闘爆撃機と戦略爆撃機)

 第一次世界大戦時のアメリカはなんと言っても航空軍備が凄い、と言われたところでどうもそんな気持ちにはなれません。プラモデルを買おうとしても探せば結構あるWWIアイテムの中でイギリスともフランスとも違う変な蛇の目マークのデカールが入っているのはせいぜいスパッドXIIIかニューポール28くらいです。しかもニューポール28などはフランス軍の余り物のような機体ですから寂しい限りです。せめてアメリカ製の単座戦闘機があれば少しは違うのでしょうけれども、そんなものはありません。何で戦闘機が無いのか、どうして造らなかったのか、じゃあ、いったい何を造っていたのか。今回はそんな話題です。

 1917年4月の参戦からまもなく、アメリカは殆ど準備の無いままで連合軍に軍用機を大量に供給する計画を立てます。怖しい程に楽観的な計画ですがアメリカの参戦とはそうした雰囲気の中で行われた決断でした。そんな計画でしたから大量の軍用機生産計画を立てたものの、ユーザーがアメリカに何を期待しているのかさえ全く把握していません。「我々は何を造れば良いのか?何を期待されているのか?」これがアメリカにとって最初に確認すべき問題となります。そして軍用機開発の動向とアメリカに対する要求を知るために送り出された視察団がボーリング委員会でした。

 ボーリング委員会はその名の如くR.C.ボーリング大佐を長とする欧州航空視察団で1917年6月に送り出されています。連合国がアメリカにどんな機種の供給を期待しているのか、そしてアメリカ自身がほとんどゼロから建設しようとしている航空兵力のためにアメリカ自身はどんな機種を製造すべきなのか、それらを明確にして参戦以来、どんどん契約が進んでいたフランス機やイギリス機のライセンス生産がもたらした混沌とした状況を整理することがボーリング委員会の重要な目的です。

 しかしフランスで実際の航空戦と軍用機の開発、生産の実情に触れたボーリング委員会は、アメリカがどんなに本気になっても1918年の夏以前に第一線軍用機を大量生産することなどはまったく不可能であることを思い知らされます。軍用機を新規に設計する経験もなければ、大量生産できる工場さえ持たないアメリカの現状ではフランスやイギリスの航空部隊に軍用機を供給するどころか、ヨーロッパに派遣するアメリカの航空部隊に装備するだけの軍用機の製造さえも見込みがないという事実にボーリング委員会は打ちのめされてしまった訳です。

 アメリカの意気込みとは裏腹に現実は極めて厳しいものでしたが、彼らを迎え入れたフランスはアメリカの情けない実態をそれほど深刻に受け止めていません。なぜならば1917年にはフランスの航空機生産は世界一の座にありましたし、フランスの軍用機生産能力は連合国の需要を満たすに十分であると考えられていたからです。フランス国内の各製造会社もアメリカが今まで以上に大量の素材と切削工具、工作機械を提供してくれるのであれば、参戦するアメリカ陸軍航空機部隊にフランス製軍用機6,500機と高等練習機1,000機を予備発動機と共に供給可能であると宣言します。世界一の軍用機生産国であるフランスの地位はアメリカから木材、鋼管、羽布その他の材料を大量に供給されることで成立していたので、アメリカが今更、既製の機種を生産し始めるよりも、今まで以上に材料と工作機械を供給してくれた方がフランスの各製造会社としては都合が良かったのです。

 アメリカのプライドは多少傷つきましたが、フランスの自信溢れる態度は少しの余裕を与えてくれるものでした。しかしフランス航空機工業がいかに強気であっても、実際の航空戦は必ずしも連合軍に有利には展開していません。1917年春は連合軍航空機部隊にとって苦しい時期でしたし、ドイツ軍用機の性能は連合軍機よりもまだまだ優れています。そしてドイツの航空機工業を直接叩く戦略爆撃用の大型爆撃機とそれに搭載する大馬力発動機もまだ量産の目途が立ちません。

 そして当時の木と布でできた軍用機はたとえ戦闘損害が皆無だったとしても野戦で飛ばし始めるとあっという間に事故で壊れ、日光に当たれば劣化し、雨に濡れれば腐り、カビが生えて使えなくなってしまいます。本当のところ軍用機はいくらあっても足りなかったのですが、何よりもフランスにとって必要だったのは敵機に対する性能優位を獲得するための大馬力発動機を装備した新型機であり、大損害に耐えながら塹壕線で戦う地上軍を支援する優秀な偵察機と爆撃機でした。

 ボーリング委員会はそうした事情を3ヶ月程度の期間で十分に把握します。製造法が全く異なるヨーロッパ製の軍用機をアメリカで製造することの困難さはもう認識されていましたから、アメリカにとって適切な機種選択は兵器としての寿命ができるだけ長い偵察機や爆撃機であるべきだとの見解が生まれます。何しろ単座戦闘機は目まぐるしく新型機が開発されてはあっという間に旧式化してしまうので、前線から遥か遠く離れたアメリカで部隊の要求を反映して次々に新型機を供給することは誰が見ても無理だったのです。

 こうした研究の結果、遠征軍総司令官だったパーシングに対してボーリング委員会が提出した報告はアメリカが製造すべき機種は複座機と大型機であると結論しています。具体的に言えば、第一に製造すべき機種はイギリス製の偵察爆撃機であるデハビランドDH4で、次に複座戦闘機であるブリストルF2B、そして第三にハンドレページとカプロニの大型爆撃機だとしています。この報告はパーシングの支持を得ることができ、アメリカの軍用機生産はこの優先順位で実施されることになります。他の機種であればとりあえず「間に合っていた」連合国もその決断を支持します。

 これらの機種を優秀なドイツ戦闘機が飛ぶ空で効果的に使うには何といっても大馬力発動機が重要です。新型イスパノスイザやロールスロイスのような、あるいはそれ以上の大馬力発動機が無ければ成り立たないのです。リバティーの開発を推し進めたのはこうした情勢でした。「連合国はアメリカの航空工業に対して対ドイツ本土爆撃を行う戦略爆撃機と地上軍の大攻勢を支援する戦闘爆撃機の供給を期待した。」という、第一次世界大戦とはとても思えないような事実がそこにあります。

8月 24, 2009 · BUN · No Comments
Posted in: アメリカ陸軍航空隊, 即席空軍大国, 発動機, 航空機生産

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