航空機生産から眺める第一次世界大戦(1)

 ドイツとフランスで戦争前から航空軍備に力が注がれ、戦略爆撃の萌芽のような構想さえ存在した第一次世界大戦には当然のように航空消耗戦の様相が明らかに見られます。航空消耗戦とは戦場から離れて遠目に眺めると飛行機の生産競争として映りますが、各国の軍用機生産はどんな様子だったのかを大雑把に眺めてみたいと思います。

 開戦時に二大航空軍備先進国として認められていたドイツとフランスにはそれぞれに特徴があります。フランスは飛行機と飛行機搭載用の小型航空発動機の開発と生産に優れ、ドイツは飛行船の建造技術、機体製作技術に優れる一方で、自国製の飛行機用発動機とその生産設備に劣っています。ドイツの小型航空発動機分野での劣勢はあのフェルディナント・ポルシェ博士が設計する直列6気筒のダイムラー発動機を代表とするオーストリアからの技術導入と転換生産で何とか補われますが、同盟国であるオーストリアには優秀な設計者はいても戦時に軍用機を大量生産する実力も設備もありません。

 第二次世界大戦がそうだったように航空機工業の戦時大量生産成功の鍵は「自動車工業をいかに利用するか」に掛かっています。第一次世界大戦とて例外ではありません。開戦時のフランスはアメリカに次ぐ自動車工業先進国でルノーを始めとした自動車製造業が既に形を成していたことから、それら自動車工業を航空機工業にうまく取り込みながら航空発動機の大量生産に成功します。一方、ドイツはアメリカ、フランスに大きく遅れる三番手の自動車工業国でしたから、その規模と実力、そして政策上の問題から自動車工業の取り込みがうまく進みません。このようにして生じたフランスに対する小型航空発動機分野での劣勢はドイツの航空軍備の性格と運命を決定してしまったとも言える程に大事な問題です。

 フランスとドイツの航空機工業の実力がどれほど異なるかを下のグラフに大まかにまとめてみましたが、機体生産では当初、フランスより優れた実績を示しているドイツですが、発動機生産ではフランスの足もとにも及ばず、年度を重ねるごとにその差が絶望的に開いていることがわかります。そして機体生産も1917年度からはフランスに圧倒されてしまっていることも読み取れます。ただ、このグラフに用いた数字はドイツの計画数字、1917年度年間12000機生産、1918年度年間30000機生産(ドイツが「アメリカ計画」と命名した決戦生産計画)から達成率を推定していますので不正確ですが、到底達成不可能と言われた計画数字(とくに「アメリカ計画」はファンタジーのようなものと認識されていた)が満額達成されてもフランスを圧倒できません。

(グラフ1)突出するフランスの航空機生産


 さらにドイツにとっての敵はフランスだけではなく、イギリス、イタリアも含まれます。数値の不明な年度がありますから歯抜けになっていますが、世界最大の工業国だったイギリスが航空機生産に本腰を入れ始めるとこのようになる、という見本のような数字が見えてきます。しかし、イギリスはドイツと同じように小型航空発動機の開発で出遅れます。ライセンス生産も量と質で暗礁に乗り上げてしまい、機体ばかりが完成するというバランスの悪い状態が続きますが、これらの機体はいわゆる「首無し機」にはなりません。上のグラフでやたらと目立つフランスの発動機生産がイギリスの発動機生産不振を補ってしまうからです。第一次世界大戦のイギリス戦闘機がちょっと見ただけでは自国製なのか外国製なのかよくわからない発動機を積んでいるのはこうした理由です。

 そして地味ながらフィアットなどの発動機を造り続けているイタリアも重要な存在といえます。機体生産ではオーストリアの数倍の実績を示し、余剰の発動機をロシアなどへ供給できる体制にあるイタリアの航空機工業は注目に値するでしょう。この数字を知っているドイツにとって、イタリアは第二次世界大戦でもこれくらいの戦時生産を遂行できる、と期待されたのかもしれませんね。
(グラフ2)イギリスの機体生産急上昇と発動機不足

 最後にドイツ、オーストリアの総生産数と連合国の総生産数を比較します。これで両陣営における航空戦力の推移が一発でわかります。ただオーストリアの数字は推定部分を含みますのでかなり怪しいのですが、1916年度に約1000機、1918年度に1989機といったレベルですから大勢に影響はありません。これだけ圧倒的な差がある、ということが見えれば十分だからです。1916年度にはすでに「勝負あった」と言える状態で、1917年度にはもう圧倒的、1918年度は絶望的なまでの兵力差となっています。1918年後半にドイツ軍の西部戦線は崩壊し始めますが、この数字からも絶対的な制空権下で防衛線が破られて行った様子が想像できることでしょう。既に装甲を施した地上攻撃機が爆弾を投下し、塹壕を掃射する時代に入っていますからこの数字はそのまま陸戦の結果を制してしまいます。

(グラフ3)連合国とドイツ・オーストリアの総生産数

12月 1, 2008 · BUN · 2 Comments
Posted in: 第一次世界大戦

2 Responses

  1. king - 12月 10, 2008

    これは当時の西部戦線ドイツ兵士に見せたい棒グラフですね。
    こうしてグラフにしてみると負けは一目瞭然です。
    フランスで自動車産業が発達していたというのは目から鱗です。やはり植民地経営で国民所得が高く自家用車が買えたという事でしょうか。

  2. BUN - 12月 11, 2008

    kingさん

    それでも第一次世界大戦の航空戦は1917年、しかもとっても有名な「血まみれの四月」よりも後が大事なんです。という話を書きたいんですが、急に引っ越すことになりまして、多少バタバタしております。

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