戦車駆逐車が生まれた背景

 アメリカ陸軍の機動戦ドクトリンの発達をタンクデストロイヤーの発達が阻害したという話は前にも触れましたが、今回は戦車派ではなく、砲兵の立場に立って、「ほとんど戦車隊と同じ編成を持ち、戦車に非常によく似た車両を装備するどう見ても戦車大隊にしか見えない」タンクデストロイヤー大隊がどのように発達したかを追いかけてみます。

 アメリカ陸軍の歩兵師団が1930年代に装備していたほぼ唯一の対戦車兵器はブローニングの50口径重機関銃でした。これはこれで当時の戦車に対してかなり有効な兵器でしたが火力不足は明らかでしたから戦争を間近に控えて37mm対戦車砲小隊を歩兵大隊に付属させるようになります。しかし、一個大隊に一個小隊の37mm砲ではドイツ戦車部隊の突破を支えきれないとの危惧が生まれます。

 ことあるごとにアメリカ陸軍戦車派将校達の前に立ちはだかり「骨の髄まで砲兵」と評されるレスリー・マクネア中将は、1940年のフランス戦についての研究によって、ドイツ戦車部隊の突破作戦に立ち向かうには対戦車砲を個々の歩兵部隊に分属させるのではなく、司令部直轄で独立運用することで集中的に使用する以外に無いとの主張を展開します。

 戦車派の機動戦ドクトリンに反対する勢力の代表と聞けば、さぞ石頭な歩兵主義者だろうと思いがちですが、マクネアの主張をよく見てください。歩兵部隊に直接協同するのではなく、総司令部直轄で重点箇所に集中運用するべきだとの見解は、新しく現れた兵科に共通の主張とも言えます。マクネアの主張はまるで空軍の爆撃機部隊か、彼が親の仇のように憎んだ戦車部隊の主張のようです。変革に立ちはだかった保守主義者というよりも、「骨の髄まで砲兵」だったマクネアもまた新たな概念を持ち込んだ変革者の一人だったというあたりが重要です。

 こうして歩兵師団の対戦車火力を増大するために榴弾砲大隊に8門の75mm砲を持たせて対戦車火力を増強する提案がなされ、1941年7月には各師団に対戦車大隊として75mm砲8門、と37mm対戦車砲2個中隊が与えられています。けれどもマクネアは各歩兵師団は自らが関わる小戦闘にこうした対戦車部隊を分散してつぎ込んでしまう傾向にあることを懸念して、総司令部予備として数個の対戦車大隊を置くことを提案しています。

 総司令部予備の対戦車大隊群という発想をもってマクネアが臨んだのが今までに何度か触れた「ルイジアナ機動演習」です。1941年9月に開始されたこの演習について、当時のアメリカ陸軍将校の大多数は近年、目だって増強されている戦車部隊が演習の主役として支配的立場を確立するだろうと苦々しく予想していました。新しい兵科である戦車部隊への風当たりは強く、風当たりが強い分だけ戦車将校達も威勢がよく、とにかく新時代は戦車部隊が中心となることは避け難いと誰もが予測していた中で、マクネアはただひとり機動突破作戦を対戦車部隊の集中によって粉砕する実験を試みようとしたわけです。
 
 マクネアはルイジアナ演習で、3個野砲連隊を解体して3つの司令部直轄対戦車集団「GHQ-X」「GHQ-Y」「GHQ-Z」を臨時に編成します。これらの対戦車集団は2個の75mm砲大隊と1個の37mm砲大隊で構成されています。そして一般の歩兵師団に配備された対戦車大隊も「あくまでも対戦車任務に専念、集中使用するように」と厳命します。こうして敵戦車部隊の突破地点が明確になると同時に対戦車隊を前進、殺到させて敵戦車部隊の側面を突くという計画です。

 9月18日にルイジアナ機動演習の第1フェイズが開始されます。この演習でアメリカ陸軍の戦車師団を結集した第1戦車軍団は壊滅の判定を受けます。マクネアの対戦車砲集中使用が功を奏したのではなく、第一戦車軍団が上級司令部の稚拙な指揮によって大損害を出したとする評価が戦車派の中にはありましたが、対戦車砲が戦車部隊の突破を受け止めてしまったのは事実でした。そしてマクネアの対戦車集団だけでなく、むしろ一般歩兵師団に分属された対戦車大隊はそれをしのぐ戦果をあげています。特別部隊ではなく一般部隊の方がより活躍したという事実は、マクネアの構想が現実的で実施の容易な性格だったことを示しています。

 続いて9月27日から開始された第2フェイズではパットンの第2戦車師団が敵後方深くへの突破に成功し、成功したは良いけれども孤立して補給を断たれ、民間のガソリンスタンドで給油して戦ったエピソードを生んでいますが、結果としては戦車部隊の大活躍という場面は見られません。

 こうした傾向はルイジアナに続いたカロライナ演習でも繰り返され、アメリカ陸軍の戦車部隊は対戦車砲によって壊滅的損害を受けています。この損害判定についても合計844輌にのぼる戦車損失のうち113輌は本当に効果があるか疑わしい50口径重機関銃によるものだったとか、47輌分は歩兵の近接攻撃によるものでこれもまた怪しい判定だなど、反論、批判はありますが、それらを全て割り引いても大損害は大損害ですから戦車部隊は自らのドクトリンと編制に問題があることを自覚し始め、編制を変革することになります。

 そして大いに信用を篤くしたマクネアは「GHQ-X」「GHQ-Y」「GHQ-Z」に加えて「TA-1」「TA-2」「TA-3」を編成します。「TA」とは「Tank Attacker」の略で、これらの集団は対戦車隊で初めてM3ハーフトラックを利用した75mm自走砲を装備し、機械化歩兵大隊1個と、さらに軽戦車中隊をも持つミニ戦闘団となっています。

 これはほとんど戦車部隊と呼んで構わないような存在で、正規の戦車部隊とは進化の系統を別にしながら育った異質な戦車部隊です。マクネアは対戦車砲の集中使用で成功したというよりも戦車派が主張するように戦車の最大の敵は戦車という主張を自走化、装甲化した対戦車砲によって戦車派とは違った形で実現してみせたようなものかもしれません。

 こうして今まで「対戦車大隊」と呼ばれていた部隊は改めて「タンクデストロイヤー」大隊と命名され、戦車部隊の編成計画を奪い取るかたちで独自の本格的な「戦車」をも装備するようになって行きます。こうして順を追って眺めて行くとアメリカ陸軍での「タンクデストロイヤー」部隊の発達は単なる保守的発想だけではなく、演習で続けて立証された有効性を持つひとつの新提案として非常に力を持った流れだったことがわかります。

6月 15, 2008 · BUN · 2 Comments
Posted in: タンクデストロイヤーとは?, 陸戦

2 Responses

  1. おがさわら - 6月 16, 2008

    んー
    こういう話聞くたび思うのだけれど、
    「俺たち、戦車なんてバーカバーカとか言ってるけど、俺たちのこれってどう見ても戦車だよな」とか、素直にこぼしちゃうような砲兵屋さんていなかったのですか?

  2. BUN - 6月 17, 2008

    はい。それでは次はこうした装備がどう思われていたかを紹介いたします。

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