木製機の功罪

 合板張りの胴体を採用し、各部を大幅に再設計したYaK-1の根本改良型という位置にあるYaK-3ですが、局地戦闘機的に使う予定が、あまりの性能の良さ(というかそれまでのソ連戦闘機の鈍臭さ)に汎用戦闘機としてどんどん前線へ投入されます。戦争末期に登場した期待の新鋭戦闘機と評して何の間違いもないのですが、YaK-9U、YaK-3と出揃った高性能機のラインナップにはまだ厄介な問題が残っています。

 鋼管羽布張りの部分を無くし、合板張りで胴体を仕上げて空力を改善したのは良いことですし、末期のYaKがエンジンの馬力の割に速いのは合板張りによって全金属製機に比べてさえリベットの無い滑らかな表面を実現した効果ではあったのですが、この合板張り胴体には「そる」「曲がる」「はがれる」「割れる」という欠点があり、YaK-3では合計114件の事故がこの要因で発生しています。

 そして戦後もこの傾向は顕著で、1946年3月には第一線にあった800機が合板の劣化により引き上げられ、その大半が廃却されています。同じようなことはYaK-9Uにも、La-7にも発生しています。木製機の寿命は一般的に全金属製機に劣るものですが、ソ連戦闘機も例外ではなく、末期に投入された新鋭機がこの通りなら、それ以前の機体はもっと老朽化しているという状況で、万単位で存在したソ連戦闘機の実働数は終戦後、あっという間に激減しています。
 本来ならば大戦の遺産である戦闘機群でしばらくしのぎ、開発中のジェット戦闘機の就役を待つはずしたが、大量の消耗と補給が行われていた戦時中には目立たなかったけれども、継続的に使おうとすると現有の第一線戦闘機は余りにも短命だったということで、戦後になってから急遽、既存レシプロ戦闘機の全金属製機への再設計が開始されます。

 こうした経緯でヤコブレフ設計局とラボチキン設計局にYaK-9UとLa-7の全金属製化が命じられ、それぞれに機体設計を一からやり直す作業が開始されています。我々が何となく眺めている朝鮮戦争で連合軍と戦ったYaK-9Pは大戦の余りものではなく、造られてそれほど間もない1948年頃の機体です。

 この見込み違いとそれによる全金属製レシプロ戦闘機の設計作業は二つの設計局に相当な負担となり、その結果として次世代のジェット戦闘機コンペから、ヤコブレフ、ラボチキンという二大設計局の脱落を招いてしまいます。YaKのジェット機が凡庸なのはセンスの問題ではなく、時間と余裕の問題だったということで、 戦後数十年続いたMiG戦闘機黄金時代が出現した理由の一つがこれです。

6月 14, 2008 · BUN · 2 Comments
Posted in: ソ連空軍

2 Responses

  1. アミバ - 8月 25, 2008

    初めまして。WW2東部戦線の航空戦に興味を持っている者ですが、「詳解独ソ戦全史」という本の巻末資料で
    制空権を手中にした後も、ソ連軍機の損失が年に2万機くらい出ていることが気になっていました。ソ連機に関しては、損失原因をまとめた資料がみつからないので、Webを必死こいて探していたところ当サイトにいきつきました。ソ連機の木製故の寿命の短さも、WW2における損失数増大の一因だったのでしょうか?興味深いお話をありがとうございました。

  2. BUN - 8月 25, 2008

     こちらこそはじめまして。
    「詳解独ソ戦全史」は手に入りやすい独ソ戦の通史として大変優れた本ですね。この本で言及されない部分には何があったか、といったことに興味を持っていただければ幸いです。

     木製機については確かに短寿命ですが、たとえ金属製機であっても損害はそれほど変わらなかったかもしれません。損害が減らない最大の理由は戦争最後の一年間に史上最大クラスの地上攻勢を実施したことではないかと思います。

Leave a Reply