融合するハリケーンとスピットファイア計画

 前回、前々回とスピットファイアとハリケーンの開発過程について紹介してきましたが、ただでさえ複雑なイギリス空軍の試作計画がたび重なる計画変更によってさらに難解になっています。今回はそのまとめとして時系列を追って行きますので辛抱、我慢に自信のあるかたはもう少しお付き合い願います。

 イギリス空軍のブルドッグ後継機計画である計画要求F7/30にはスーパーマリンの他にも多くの飛行機製造会社が応じ、アームストロング、ブラックバーン、ボルトンポール、ブリストル、グロスター、ホーカー、ビッカース、ウエストランドと主要各社はほとんど設計案を提出しています。イギリス空軍は昼戦、夜戦兼用の「ゾーンファイター」計画の要求性能を達成するためには単葉またはプッシャー式複葉など、通常の牽引式複葉以外の新機軸の導入が必要と考えていましたが、各社の設計案の中には伝統的な複葉機案も含まれています。

 グロスターの提案であるSS37もその一つです。空冷発動機を装備した複葉戦闘機というパッとしない設計案ですが、この設計案はやがてF14/35として再発注されグラディエーターとなって採用されます。試作機の性能も最大速度236マイルと計画要求の215マイルをクリアしていますし、単葉のスーパーマリンType224の228マイルよりも優秀なくらいです。グラディエーターは試作段階ではけっこうな優等生だったわけです。そしてよく間違われるのはホーカーの設計案、PV3で、「ハリケーンの原型はF7/30で提案された」と解説されることがありますが、このときのホーカーの設計案はフューリーとハートの中間のような複葉機です。

 F7/30計画の本命はスーパーマリンでしたが計画要求に盛り込まれた夜間作戦のための着陸速度制限と哨戒飛行のための航続距離要求で飛行性能が伸び悩み、搭載すべき小型大馬力の発動機が無く、ケストレルⅣそして失敗作のゴスホークと発動機問題でも苦しみながら開放式の操縦席、固定脚といった設計そのものが陳腐化してゆきます。

 F7/30の計画要求が決定したのが1931年10月で、そこから始まるType224の試作が難航する一方、1934年にフューリー後継機計画=昼間専用の邀撃戦闘機計画のF5/34の計画要求が策定され、1935年に入ってからブリストルとグロスターに試作機が発注されます。グロスターのF5/34は空冷発動機を搭載し、その姿がどことなく零戦に良く似ているので一部で話題になったこともあります。しかしフューリー後継機計画はこれだけではなく、1932年からフューリーの製造元であるホーカーには「高速フューリー」計画の研究が命じられており、主翼面積の変更、発動機の換装によって性能向上したフューリーの設計を開始しています。

 F5/34計画の特徴は武装を機関銃8挺に強化したことと、性能要求の優先順位を最大速度第一とし、格闘戦性能、航続力、上昇力の順位を下げたことです。高速爆撃機への攻撃は後方からの一撃となるため格闘戦能力は不要、航続力も減少させて最大速度の増大に努めるという方針はその後の戦闘機開発の方向性を定める重要な変化でした。この計画にひきずられるようにF7/30計画のスーパーマリンType224とホーカーの「高速フューリー」に変化が起きます。

 それはこの頃、ようやく理想的な大馬力発動機ロールスロイスPV12(後のマーリン)に実用化の目途が立ったことで、「高速フューリー」を進めていたカム技師も、Type224の試作に苦しんでいたミッチェル技師も同じように「高速フューリー」を「フューリー単葉機」として新設計する許可を求め、その性能推算は現状のゴスホークから新しいPV12に換装した場合の性能向上を見込んだものとなっています。

 こうした前向きな提案は戦闘機の高速化を重視する空軍の方針とも合致したことから、ホーカーとスーパーマリンに対して新しい単葉戦闘機を実験機として試作する許可が下ります。ホーカーには1934年9月20日にF36/34として8000ポンドの予算がつき、スーパーマリンには1934年12月1日にF37/34として8500ポンドの予算がつきます。どちらも実験機としての発注で、武装は機関銃4挺となっています。

 F5/34の計画要求で速度を最優先とし、格闘戦性能、航続力、上昇力を犠牲とするという方針転換が明確となって、F7/30以来懸案の昼、夜間戦闘機「ゾーンファイター」の更新計画も変容します。滞空時間は全力1時間、余裕15分とされ、F5/34の全力1時間15分、余裕30分からさらに減少します。そしてF7/30の足枷となっていた夜間の着陸速度制限はF10/35ではあまり問題にされていません。これはようやく戦闘機へのフラップ装着が見込まれ、高速機の着陸が容易になり、着陸速度が重視されなくなったためです。そして戦闘機用飛行場の滑走路延長も考慮され、1100ヤードの離陸滑走もやむなしという判断も生まれます。爆撃機とは随分と違う対応です。

 このような形で航続力を減少させ、着陸速度制限を緩和した「ゾーンファイター」と「ファイター(インターセプション)」との相違は実質的に無くなってしまいます。F5/34の機関銃8挺の武装はF10/35にも導入され、ホーカーの実験機F36/34とスーパーマリンの実験機F37/34(Type300)もF10/35に対応した計画に置き換えられ、元々のフューリー後継機計画F5/34もまたF10/35に仕様変更されます。

 F10/35計画によって、それまで「ゾーンファイター」と「ファイター(インターセプション)」に分類されていたスーパーマリンType300とホーカー「フューリーモノプレーン」は初めて「同じ機種」として試作発注しなおされ、それぞれスピットファイアとハリケーンとして完成します。

 けれどももし、イギリス空軍の最大速度に対する要求がもう少し緩かったら?そして武装についても機関銃8挺装備といった極端な要求ではなく、Bf109Eや零戦程度の機関砲と機関銃の混載とされていたら?そうしたらおそらくスピットファイアの主翼内には燃料タンクが設けられていたことでしょう。そして両翼下に落下タンクを懸吊した史実より少し低速なスピットファイアがドイツ本土へ向けて出撃する姿が見られたのかもしれません。
爆撃機邀撃のために求められた戦闘機の高速化要求が結局、イギリス空軍にあった二つの戦闘機の系統を融合させてしまった、という長いお話でした。

6月 12, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: イギリス空軍

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