パイロットの錬度

 第二次世界大戦開戦時のドイツ空軍パイロットは第一線機による飛行約100時間を含む総飛行時間約250時間で部隊に配備され、それが1942年下半期になる平均200時間に、1943年中期には平均150時間(そのうち実用機教程25時間前後)にまで落ち込み、さらに1944年初頭には平均100時間になり、これ以上低下しようがない程の水準で終戦まで経過して行きます。
 一方、イギリス空軍は開戦当初平均200時間(実用機教程約75時間)で部隊配備されますが、バトルオブブリテン当時の苦しい時期を経て、がやがて300時間に、400時間(実用機教程125~200時間)へと延びて行きます。

 日本の空軍が沖縄で経験したような状態を一年半も早く迎えているのがドイツ空軍だということですけれども、こうした事態は激戦による熟練パイロットの消耗といった問題よりもそれを補充できる大規模訓練体系が整わず、その遅れの分だけ訓練課程を短縮した結果として出現しています。逆に連合国空軍は大量養成体制を早く確立できた為に、巨大な新人パイロットの第一波を送り出した後の余剰を訓練課程の充実に充てていることがわかります。
 日本もドイツも連合国空軍と同じようにどちらも超大量養成された補充パイロットの巨大な群が第一線パイロットの後方に控えているのですが、その集団が連合国よりも一世代後輩で正規の教育課程では実戦投入予定時期が遅いため、これを連合国と同時期に前線に送り出すには繰り上げ卒業しか手が無い、という切羽詰った状況で「技量の低下」が発生しているのです。
 こうした構造を押さえないと一旦は壊滅的状況に追い込まれたソ連空軍が急速に復活する背景や、1945年1月の西部戦線航空撃滅戦「ボーデンプラッテ作戦」での「大損害ではあるものの、激戦の続く当時として数字的にはあまり目立たない損害」が独空軍関係者の回想で「致命的」「再起不能」と言われる理由が理解できません。ボーデンプラッテ作戦のような進攻作戦で未帰還になった幹部の補充が全く望めない、編隊長が誰もいないという具体的な不都合が組織の壊滅を誰にも実感させたからこそ関係者が口を揃えて「致命的」と語るのです。

 さらに話を飛躍させてしまえば、第二次世界大戦最大の航空戦は飛行時間100時間程度の若年パイロットとそれより少し先輩の幹部によって戦われ、どうにもならない最低限の教育でもあれだけの戦争ができてしまうということなのですが、これはまた別の話になります。

4月 30, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: 空軍論

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