熟練工を徴兵するとどうなるか?

 日本の航空機工業について「戦時に熟練工を徴兵するような配慮の無さが不良品の山を築く原因となった」という批判をよく見かけます。なるほどもっともな事です。育成に時間の掛かる熟練工を工場から戦場に駆り出してしまえば工場には未熟な新人しかいなくなりますから製造現場はさぞかし混乱することでしょう。そんなことにさえ気づかずただ単に兵隊の頭数を揃えれば良いとする軍部の無配慮が敗戦を早めたのだと説かれると、思わず相槌を打ちたくなります。

 しかし、現実は違います。熟練工を徴兵してもしなくても「何も変わらない」が本当です。それが証拠にアメリカもイギリスもドイツも工場から熟練工をどんどん徴兵しています。それはなぜでしょうか。

 軍備拡張時代初期の1935年から第二次世界大戦突入後の1941年までのイギリスでの主要航空機工業関連会社の就業者数は次の通りです。

1935年
機体関係 15000名  発動機関係 12000名
1936年
機体関係 36000名  発動機関係 14000名
1937年
機体関係 40000名  発動機関係 17000名
1938年
機体関係 65000名  発動機関係 25000名
1939年
機体関係 130000名 発動機関係 31000名
1940年
機体関係 173000名 発動機関係 80000名
1941年
機体関係 262000名 発動機関係 133000名

 この数字を見れば一目瞭然に判りますが、機体関係の就業者数は17倍半、発動機関係は11倍に激増しています。これが第二次世界大戦時の航空機工業の姿です。アメリカでも日本でもそうそう変わりはありません。こうしなければスピットファイアも量産できないし、零戦を1万機も造ることだってできません。

 飛行機工場や発動機工場には勤続10年の熟練工など十数人に一人いるかいないかといった割合です。しかも各工場の作業者は均等に配分されている訳ではありませんから、新設工場や他の業種からの転換生産を始める工場には熟練工など一人もいない場合がありました。ですから熟練工を徴兵してもしなくても、あるいは単に解雇してしまっても航空機工業全体にとって大きな影響はありません。

 しかし、各工場はこうした大膨張時代にどう対処したのでしょう。熟練工の不足数は次のようにまとめられています。

1937年3月31日付の熟練工不足数
機体関係 20985名 発動機関係 10988名
1939年3月31日付の熟練工不足数
機体関係 6575名 発動機関係 960名

 どうもこの数字は変です。なぜこのような小さな数字になるのでしょう。工場は新人で溢れているのになぜこの程度の不足数となっているのでしょうか。

 当時、イギリスの航空機工業界は大増産に伴って大量採用した作業者を「熟練工」に育てるための徒弟制度的研修について殆ど関心を示していません。彼らの教育はOJTで行われるか、企業附属の訓練所で基礎的な研修を行うことで済まされました。

その理由は生産性です。

 熟練工が職人芸的な手作業で行うある加工と、新人が機械を利用して行う同じ加工ではその仕上がりの質はともかくとして、新人による機械加工の方が数十倍の能率を示したからです。企業としてはそれを無視する訳には行きません。未熟練工が作業できるように工程を機械化し、さらに工程を細分化して単純なものにし、治具を工夫し、工具を改良して大量生産に適する体質に自らを変えて行きます。

 自己変革といえば聞こえは良いですが、実際には昔ながらの工場はけっこう後まで昔ながらの生産方式を継続していました。旧い工場は旧いままです。それよりも何よりも航空軍備の大拡張によってやって来た大量受注を納期までにこなすには、今までの工場を変えるのではなく、まったく新しい工場をいくつも作り上げる必要があり、そうした新人ばかりの新工場が大量生産を担ったのです。

 イギリスの航空機工業は初期の段階では自動車工業からの転換生産によって自動車製造にあたっていた自動車工業界の熟練工を取り込んでひと息ついていますが、自動車工業界は飛行機だけではなく戦車もトラックも造らねばなりませんから、それにも限界があり、結局は熟練工を必要としない生産方式の導入が強力に推し進められることになります。流れ作業、専用機の採用、 自動加工などあらゆる新機軸が無理を承知で採用されていったのが戦時の航空機工業です。
 それ自体はアメリカでもドイツでも日本でも基本的には変わりません。

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