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藤子不二雄(A)ブラックユーモア短篇集

 というのが、コンビニで売っていたので買ってみた。300円也。
 収録作品の初出はそろって70年初頭。感想としては、ダークなネタを書きたくて書きたくて、いてもたってもいられないと言う感じ。弓月光や柴田雅弘が長年押さえ込んだエロリビドーを放出したら、みんなあげちゃうやクラダルマになったように、ダークリビドーをため込んでいた(A)がそれを放出するごくごく初期の作品と見るべきか。その姿は少年@思春期真っ盛りの悶々としたそれにも似ている。
 と、読んだ直後は思ったが、なんか違うような気がしてきた。

 まずこの70年代という時期だが、この当時はガロを筆頭にマンガが相当無茶なことをやっていた時代で、それら黄金期の作品と比較した場合、この作品集に収録された作品群には本気が感じられないのだ。何か、先達の生産した狂った作品群の上っ面をなでただけのような印象を受ける。
 とかくがむしゃらに、ダークになりたがっているというのは伝わるのだが、それが何か、別にやりたくもないのに無理してやっているような印象を受けるのだ。

 世間一般では、

(F)=ドラえもんに代表される、生涯ジュベナイルを描き続けた人。
(A)=黒いせえるすまんに代表される、統一藤子不二雄のダークサイド。

 という評価だが、これが実は全然逆だというのもよく聞く話。なんせ(F)は、「児童向け漫画家型手塚治虫」の正当な後継者である反面、世界で一番スケベな漫画家として長く君臨し続けた人物だ。そのエロリビドーのすさまじさについては説明不要だろう(わからん人はエスパー魔美を読め) はっきり言って、上に書いた弓月、柴田の元少女漫画家らなどとは、格が違う。
 そんな(F)がよくもまあ、死ぬまでジュベナイルを描き続けたものだよなあ。なにをして彼をそうも自制させたか? 手塚治虫に対して立てた操がそうさせたのか?

 話がそれたので本筋に戻るが、結局何が言いたいのかというと、「藤子不二雄(A)は、元々ダークな作風にはさほど興味なかったんじゃないのう」とか言ってみるテストなのである。
 尊敬する手塚先生の跡目を継ぐジュベナイルの才能では、明らかに自分を上回る相棒。にもかかわらず、つるぺったんに熱を上げるこのボンクラとの差別化をはかるための新分野開拓がダーク路線だったのではないかと。
 でも、そのダーク路線でも(F)は易々と(A)を上回ってる気配があるよなあ。まあ、あらゆる才能で(F)が(A)を凌駕していたという説は真実だと思う。

 なーんて、大して詳しくもないのに、マニアぶって語ってみましたがいかがでしたでしょうか?