前に、「シベリア鉄道経由欧亜連絡輸送」と題して、第2次世界大戦勃発から独ソ開戦の間のシベリア鉄道を利用した日独間の軍需物資の輸送について書いた。今日はそれに関する小ネタを書き写す。
 日本の明治以降の兵食史を語るに当たって、基礎文献の1つとして次の本に目を通しておかなければならない。

 「日本缶詰史」2冊セット 日本缶詰協会
  昭和37年5月25日発行 定価5,000円

 この本には日清・日露戦役の軍用缶詰について詳細に書いてあるのだが、それはいづれ触れようと思う。
 外貨無くしては国が立ちいかなくるという致命的弱点を抱えた日本、戦争継続の為に輸出振興と金採掘に奔走した。第2次世界大戦勃発後、欧米から輸出入は先細りし、南米とシベリア鉄道を利用した独伊間の貿易の重要性が増した。
 ドイツなどと違ってろくな工業製品のなかった日本、貿易の決済には日本を含めたアジアの資源(食糧も)を利用した。
 第2次世界大戦勃発前、独伊の日本からの水産缶詰の輸入は微々たるものだった。小林多喜二の「蟹工船」が知られる通り、英米に対する「蟹缶」「鮭缶」「ツナ缶」の輸出代金は、日本の艦艇の燃料に弾丸に実は化けていたのである。
 第2次世界大戦勃発後、独伊の水産缶詰の需要は急増し、ベルリン三菱を通じて発注してきた缶詰は
 まぐろ油づけ 35万1千余箱
 いわし油づけ  1万箱
シベリア鉄道経由で実際にドイツへ送ったのは
 まぐろ油づけ 21万6千4百箱
 いわし油づけ  4千8百箱
である。(1缶当たりの容量、箱当たりの缶数は調べていません)

 なお余談だが、満州産大豆とイタリアフィアット社製トラックのバーター取引も決定していた。
 もうひとつお勧めの兵食史を研究する上の参考文献として
「日本冷凍史」日本冷凍協会
  昭和50年発行
という物もある。