大戦中、技術的に遅れていた日本は、ドイツからいろいろな技術、機
械、兵器の導入をはかります。これらの手段として
 1、シベリア鉄道
 2、通信(無線、有線?)
 3、Uボート(イタリア潜水艦も含む)
 4、訪独潜水艦
 5、柳船
を使用しました。
 これらについては関係者が断片的に語っているのですが、秘密のベー
ルの下で消えていった事も多く、全体像を把握することは不可能だと思
われます。よくまとまっているものとしては、鳥居 民氏の「昭和二十年第一部=6」中の(日独両国はどれだけ助け合ってきたのか)の記述
があげられます。
 世間一般に、Me210A-1、Fw190A-5などの航空機、「飛燕」に搭載されたマウザー20㎜機関砲、800丁とその弾薬40万発などUボートで輸送されたと言われています。これらの輸送経緯、関係者の証言を見たことがないので真偽の程は定かではないのですが、明らかに思いこみか、関連した事例と勘違いしたのか、防諜上の理由からか事実と異なる記述があります。別にこれ自体がどうということはないわけで、むしろ、これらの記述により大戦中、ミシンすらドイツから導入しなければならなかったという事実を明らかにしたことに重要な意味を持つと思われます。

 軍需用縫製品は種類は広範囲にわたり、軍帽、軍服、下着、ゲートル等の装具から皮革、落下傘その他すべての縫製は、一つとしてミシンに拠らないものはない。

 軍需用縫製品、単純なものであれば家庭用(民生用)の足踏み式ミシンで一向に構わないのですが、厚物(帆布)、皮革、長大な物、オーバーロック、眠り穴かがり、千鳥縫、丸穴かがり、縁かがり(全然分りませんので自分で調べてください。)などの作業は、工業用(動力)ミシン、特殊ミシンでなければだめなのだそうです。これらは戦前ほとんどを輸入に頼り禁輸処置をとられ慌てて国産化を図ったようですが、その当時の国産機械に共通した問題を抱え、ドイツから技術導入を必要としていました。
 これらの当時の状況を蛇の目ミシン(戦前は帝国ミシン)の社史中に書いてありますので紹介します。

   工業用ミシン裏話
 戦時の「工業用ミシン」にはいろいろと隠された裏話がある。
 陸軍被服廠、海軍衣糧廠で使用されていた工業用ミシンのほとんどは
ドイツ、アメリカなどの外国製品に限られていた。太平洋戦争勃発後は
シンガーを「敵産」とよび、そのマークを黒く塗りつぶして使用してい
たが、輸入が杜絶し、在庫品が底をついて、いきおい工業用ミシンの補
給を国産ミシンに依存せざるをえなくなった。
 当時、一、二の専門メーカーを除いて、工業用ミシンの開発が遅れて
いたことは事実である。技術、資材の貧困さもあって、当初は動力で高
速運転を行なうと、直ちに故障が続出し、その都度関係者は軍当局に出
頭を命ぜられて叱責を受けた。
帝国ミシンも例外ではなかった。この軍当局との折衝には工藤と共に
前田増三があたったが、ここでも前田は一歩も譲らなかった。
 「軍は事変以来、国家総力戦を叫んですべての物資を軍需に投入し技
術援助、増産に力を入れてこられたが、こと「ミシン」に関しては、国
家からなんの助成もあたえられなかった。それを今になって、軍は工業
用ミシンの製造を強制し、そのミシンが粗悪で使いものにならぬとお叱
りをうけるのは、あまりに片手落ちの仕打ちである。
 もし軍が、ミシンを軍需兵器の一つと見ておられるならば、良質の資
材を最優先的に配給してもらたい・・・・」
 と反駁した。
 以後、軍の国産工業用ミシンにたいする認識が改まり、資材その他の
扱い方が一変したという。

 太平洋戦争のさなか、海軍では枢軸国ドイツから最新兵器V1号の設
計図を入手するため、極秘裏に二隻の潜水艦をドイツに派遣した。この
V1号というのはドイツ軍が開発した画期的な遠距離用ロケット弾で、
当時、ドーバー海峡をへだてて英国の首都ロンドンを直撃し、ロンドン
市民を恐怖のどん底に陥れたドイツ軍自慢の兵器であった。
 帰途、一隻の潜水艦はインド洋で連合国側に撃沈されたが、辛うじて
難をのがれた他の一隻の艦中には、V1号の設計図のほかに、ドイツ・
アドラー社製の工業用、特殊ミシン数十台と大量の工業用ミシン針が積
荷されていた。海軍衣糧廠は国産工業用ミシンの生産が追いつかないた
め、これに便乗したものと思われる。
 輸送したドイツミシンの中には、厚物縫動力ミシンの他に皮革縫製用
鳩目穴かがりなど十数種の特殊ミシンがあった。これらのミシンは海軍
衣糧廠から帝国ミシンが委託され、蒲田工場で調整点検を行なったのち
改めて当局に納品したが、以後の修理調製もすべて帝国ミシンの担当す
るところとなった。
 V1号ロケット弾については、まもなく終戦を迎え、ついに実現をみ
なかった、といわれる。
    (前田社長談)

 伊30潜、伊8潜、伊29潜のドイツからの積載品を見ても、ミシン
の名前はありません。当時訪独潜水艦には、緊急度、重要性の高い物、
そして容積、重量が小さい物が厳選されて載せられていたのです。それ
には、ミシンは該当しないのでしょう。しかし実際に、工業用、特殊ミ
シンは数十台ドイツから持ちこまれています。それは、おそらく「柳船」
のおかげだと思われます。工業用ミシン、大型の物であれば潜水艦のハッチを下ろす事が出来ないでしょうが、貨物船であれば何の問題もなく搭載出来ます。そして何よりも万が一連合国側に捕獲されても、機密性のある物ではないので載せられたのでしょう。「柳船」は日本に何をもたらしたのか?私にとってはとても興味深い問題です。(ところで、昭和18年ドイツ占領下のフランスから出港し、日本占領下の南方地域に到達したイタリア潜水艦3隻、Reginaldo Giuliani,Comandante Caperllini,Luigi Torelliはいったい何を運んできたのでしょうか?)

 引用・参考文献
 「蛇の目ミシン創業五十年史」蛇の目ミシン工業株式会社
  昭和46年10月16日発行
 「昭和二十年 第一部=6 首都防空戦と新兵器の開発」
  鳥居 民 草思社 1996年8月5日第1刷発行
 「日本航空機総集 第六巻 輸入機篇」野沢 正編著
  出版協同社 1972年1月25日初版発行
 「丸 1997、1 訪独潜水艦が生んだ「魚雷艇用エンジン」秘聞」
  小菅 昭一郎

 訪独潜水艦の積載品一覧を見ていると、今までここに書いてきた事に
関連した品物がいくつか出てきました。(もっとまじめに調べんかい!)
例えば「マラリア」の薬では伊52潜がドイツに運び込もうとしたキニーネ3トン、伊8潜がドイツから持ちかえったアテプリン錠349万錠、そして伊8潜がボールド5個とボールド射出装置を装備して帰ってきました。

 最近読んだり眺めた本
 「儲かる古道具屋裏話」魚柄仁之助 文春文庫PLUS 2001年
 「戦時期航空機工業と生産技術形成」前田裕子
   東京大学出版会 2001年6月15日初版
 「わが国航空の軌跡 研三・A-26・ガスタービン」
  日本航空学術史編集委員会 丸善 1998年10月1日発行