久々に日中、時間が取れましたので市立図書館に行ってきました。
目に付く所は攻撃済みなのですが、2、3目新しい本がありました。
日本の戦時中の碧素(ペニシリン)開発・製造については、過去に二度程触れているのですが、今回、「俺達だって作っていたんだから」と書いてある社史が出ていましたので、不公平にならないように紹介します。
萬有製薬株式会社は陸軍軍医学校が主宰した「碧素委員会」の主要メンバーであった東京大学伝染病研究所の梅沢浜夫博士の依頼を受け、その指導、協力の元で開発、製造を行ないました。昭和19年末、森永製菓と共に工業化に向けて動き始めました。
日本でのペニシリンの工場生産は森永が最初だと言われていますが、実は萬有製薬ではないかと述べています。昭和20年2月目黒工場で生産が始められ、4~5月頃には安定した生産をあげるようになりました。4月末岡崎工場でも生産を始めました。目黒工場は5月25、26日の空襲で生産を停止しましたが、岡崎工場は終戦まで安定した生産をあげました。(日産アンプルで100本以上?)また、肺炎に対し内服で使用し治療効果をあげたと自画自賛しておりますが、前にも書いた通り、海外からの情報がヒントになっていたのではと私は想像しています。
引用文献
「萬有製薬八十五年史」 萬有製薬株式会社
2002年7月31日発行
借りてきて眺めてる本
「エンジンのロマン」鈴木 孝
1988年1月29日 増補改訂第1刷発行 プレジデント社
「軽駆逐戦車」ヴァルター・J・シュピールベルガー
高橋 慶史訳 大日本絵画
「重駆逐戦車」ヴァルター・J・シュピールベルガー
富岡 吉勝監修 木村 義明訳 大日本絵画
工場で製造中の戦闘車両が、1番美しいと感じる私は、やはり精神を
病んでいるのでしょうか?フェルディナンド1輌を18t牽引車5輌で
牽引ですか。勉強になります。