戦争中の燃料話でよく引用文献として使われる
「石油の世紀 上巻」ダニエル・ヤーギン
1991年4月20日発行 日本放送出版協会
をやっと入手する。せっかく手に入れた割には内容がたいしたことがなかったのだが、面白い話を拾う。
「日本軍の攻撃を受けた当時、艦隊の燃料はすべて地上のタンクに貯蔵されていた。その量は四五〇万バレルに達していたが、タンクはどれも機銃掃射で燃え上がるような代物だった。もし日本軍が石油基地を破壊していたら、戦争はもう二年長く続いていたかもしれない。」
チェスター・ニミッツ語る
しかし、下巻は買っていないので引用文献がわからない。ついでなので2つほど真珠湾タンク話を書き写す。
「たとえ日本は、われわれの艦船を沈めなくても、基地を麻痺させ、露天にさらされていた艦隊の燃料補給タンクのすべてを破壊することができたはずである。それによって受けるわれわれの損害は、実際にわれわれが受けた損害よりも大きかったかもしれない。そのような場合、艦隊はアメリカ本土の西海岸に帰らざるを得なくなったろうと思う。しかし、実際には、ハワイの燃料は少しも損害を受けずにそっくり残ったので、われわれはハワイの基地を利用することができた」
キンメル大将述べる。 「トラトラトラ」ゴードン・W・プランゲより
「日本軍は湾内の近くにある燃料タンクに貯蔵されていた四五〇万バレルの重油を見逃した。長いことかかって蓄積した燃料の貯蔵は、米国の欧州に対する約束から考えた場合、ほとんどかけがえのないものであった。この燃料がなかったならば、艦隊は数ヶ月にわたって、真珠湾から作戦することは不可能であったであろう。」
チェスター・ニミッツ 「ニミッツの太平洋海戦史」より
さらに、昨日の市立室蘭図書館での収穫を1つ
「油槽船ヘ号爆発事件始末記 平林 正一」
室蘭地方史研究 第19号 昭和59年11月30日発行
これは昭和40年5月23日、室蘭港においてノルウェー船籍のタンカー「ヘイムバルド号」(35,355総トン)が原油26,771ロングトンを積んで接岸に失敗、爆発炎上し27日間燃え続けた話である。揮発性が重油より高いとはいえ、実に簡単に引火し、消火できないのである。