「明治期における脚気の歴史」山下政三
1988年9月20日初版 東京大学出版会
次のような一文がP479注[65]にある。

 人のビタミンC貯蔵量は二~三グラム程度にすぎず、補給がなければ数ケ月でC欠乏におちいっていく。旅順においても、三十七年八月頃より壊血病患者が増加し十一月、十二月にはその極に達した。開城の前後に及んでは、全要塞がほとんど壊血病患者という有様であった。三十八年一月二日旅順開城時のロシア軍傷病者は約一万七千人で、そのうち九千人以上が壊血病患者であった。また、全患者の約九〇パーセントは壊血病を併発していた。
 しかし、大豆は十分貯蔵されていたといわれる。大豆自身にはビタミンCはゼロであるが、もやしにすれば一〇〇グラム当り二五ミリグラムのビタミンCが出現する。壊血病の防止には十分役立ったはずである。せっかく大豆をもちながら、もやしとして利用することを知らなかったのである。
 麦飯によって中途で脚気流行を抑えこんだ日本側に対し、大豆をもちながら壊血病を助長させたロシア側は不運であったといわざるを得ない。ビタミン学的にみれば、日露戦争は脚気と壊血病の戦いとみられなくもなかった。

「旅順開城時大量の大豆が貯蔵されていた。日本軍だったらもやしを作り壊血病患者を発生させなかったはずだ。」というIFな話である。この話の出典はそもそもどこにあるんだろうかとず~と疑問に思っている(ビタミンCが発見されてからか?)。栄養学も変化を遂げ、もやしのビタミンC量も変わるのである。現在手元にある「5訂 日本食品標準成分表」平成10年1月10日発行を見れば、大豆もやしは100グラムあたり生で10mg、ゆでで2mg(現在市販されている緑豆もやしはそれぞれ16mg、2mg)である。また、生活活動強度(やや重い)における成人男性の栄養所要量はビタミンC50mgとなる。最新の成分表ではないのでこれすらもう違っているかもしれない。ビタミンCは熱などに弱く、水溶性であるので、ビタミンCを効率よく摂取するには生で食べるしかない。ロシア人が生の大豆もやしを山のように食べる姿を想像してほしい。