日露戦役に興味(特に陸軍)を持ち始め、あ~あ、自分も落ちるとこまで落ちていくのかという気持ちが強くなっている。ただ、今だその興味も旅順攻囲戦までで、実にコンパクトなものである。日露戦役で最も悪戦を重ねたと思われる、第一師団、第七師団と対比する為にも、歩兵第十五連隊の旅順攻囲戦終了後までの戦場別戦死傷者を書き写す。

金州南山
 戦死  43
 戦傷 210
 計  253

旅順前進陣地
 戦死   3
 戦傷  69
 計   72

高崎山
 戦死 155
 戦傷 388
 計  543

第一回総攻撃 寺児溝西北帯(一〇八高地)
 戦死  15
 戦傷  33
 計   48

第二回総攻撃 二〇三高地
 戦死傷 747

第二回総攻撃 松樹山堡塁
 戦死傷  12

第三回総攻撃
 戦死  268
 戦傷  404

 以後も降伏まで日時があるので戦死傷者もまだいるのではないかと思う。また、戦病についてはなにも記載がない。

日露戦役における出征以来における連隊の戦傷病死者は
 戦死  将校    40
     下士卒 1043
     計   1083

 戦病死 将校     1
     下士卒  134
     計    135

     総合計 1218

 「歩兵第十五聯隊史」
  昭和60年8月31日発行