Archive for the ‘学研妙高本’ Category

完全版 妙高型重巡(1) スラバヤ沖雑記

 気がついたら題記の本が出ておりました。見本紙を読んでみれば、もう少し厚ければあれとかこれとか出来たんだがなぁ、とは思う物のまあ悪くはない出来かなとも思えます。個人的にはそれなりに売れてくれれば良いなと思う次第。

 さて、今回は戦記が大盤振る舞いで3本載ってますが、今回は最初のスラバヤ沖に関しての若干の追記。

(1)二水戦の突撃

 現在洋書資料では、第五戦隊司令部からの突撃命令を受けて、二水戦が「演習のように簡単である」と意気高い信号を返して突撃、雷撃でコルテノールを沈めた、という話が一般的になっています。これは本文でも書きましたように、当時「天津風」の艦長であった原為一元大佐著の「Japanese Destroyer’s Captain」が海外で発刊された1960年代に一般化した話で、これ以前に出されたモリソン戦史にも類似の記載があるため、海外では当事者も書いて居るんだしこれが正しいのじゃろ、として現在定説になっています。
 ただこの本を実際に読むと、1837時の「全軍突撃せよ」と1924時以降に行われた二水戦の雷撃戦が混同されていて、突撃以降の話は1924時からの雷撃戦の話が記載されています。二水戦の戦闘詳報では本文に書いたとおり、この時期突撃した様相は伺えません。私は原本の「連合艦隊の最後」を読んでいないのでこの誤解が原本の時点で発生したのか、それとも米側の訳者が間違えたのか判断出来ませんが、1837時の突撃命令に応じた「二水戦の突撃」が、実際に起きてはいないことは確かです。

(2)米駆逐艦の突撃

 これは逆にモリソン戦史や米駆逐艦の半公刊戦記を初めとして、米側の戦記にはあらかた書いてありますが、日本側では当時の戦闘詳報・戦後の戦史叢書を初めとして全く無視されているものです。これについては米駆逐艦が襲撃運動を行い、魚雷を発射したのは確かですが、日本側には「米駆逐艦が煙幕の中から出てきてちょっと交戦して、また戻っていった」ぐらいのイメージしかなかったので、結果として無視されたのでは無いか、と言う気がします。実際米駆逐艦の半公刊戦史の航跡図では堂々たる襲撃運動やってますが、モリソン戦史の航跡図を見ると「ABDA艦隊後方の煙幕を突き出て、日本艦隊側に出たところで魚雷を撃って即時反転離脱」とも取れますので…。

(3)「ポープ」を襲う謎の急降下爆撃隊

 これは日本側資料・米側資料共に同艦が「龍驤の飛行隊」に爆撃されたことで一致しています。しかし日本側では「龍驤の九七式艦攻は水平爆撃を実施」したと考えられているのに、米側では常に「急降下爆撃でやられた」と書かれるため、「龍驤は九九式艦爆を臨時搭載していたのか?はてまた九七式艦攻で緩降下爆撃でもやったのか(゚∀゚)?」との疑問を持つ人も少なくありません。

 今回第五戦隊の第二次合戦の戦闘詳報を真面目に読んだところ、同日の一三〇〇時に第十一航空艦隊より「敵艦隊攻撃のため、零式観測機隊を一二四〇時に発進させた」という電文が発せられていることが分かりました。
 これを裏付ける資料を探したところ、当時第二次合戦の状況を上空から眺めていた安永弘氏の「死闘の水偵隊」に、観測機隊が艦攻隊より早く「ポープ」に降爆を実施していることが記載されていました。因みに同著の記載によれば、観測機隊の爆撃は駆逐艦の回避運動で全弾回避され、引き続いて行われた艦攻隊の爆撃で損傷を与えたとなっており、同艦に致命傷を与えたのが「龍驤」の艦攻隊であることは代わりはありません。
 これらの点を考慮すると、観測機隊の降爆と艦攻隊の水平爆撃が連続して行われた格好となったため、最初の攻撃もあって米側が「敵機の降爆でやられた」と誤認したことにより、米側で「ポープは急降下爆撃で損傷した」という話が出来上がったのでは無いかと思われます。

 因みに同著によると「ポープ」の止めを刺したのは駆逐艦の雷撃ですが、某駆逐艦が静止したポープに放った最初の魚雷三本は、見事に全部外れたそうであります。

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