Archive for the ‘ソ連空軍復活の背景’ Category
ソ連空軍は何を変えたか?
1941年10月、モスクワ攻略を目指したタイフーン作戦が開始されます。 ソ連空軍はそれまでの大出血に加えてさらに激しい戦闘を受けて立たねばならず、相変わらずの損害を出し続けますが、ドイツ空軍にしてもこの攻勢は容易では […]
3月 7, 2008
· BUN · No Comments
Posted in: ソ連空軍, ソ連空軍復活の背景
メッサー3万機、フォッケ2万機の舞台裏
開戦時のドイツ単発戦闘機はご存知の通り100%、Bf109で占められていますが、当然、後継機の開発は進められており、これがFw190です。 より強力な発動機を搭載した戦闘機で、スピットファイアに対抗できる性能を持ち、な […]
3月 7, 2008
· BUN · No Comments
Posted in: ソ連空軍, ソ連空軍復活の背景, ドイツ空軍
ドイツ空軍機の可動機/保有機比率
非常に大雑把な数字を掲げてしまうと、野戦飛行場でのドイツ空軍機の平均的な可動率は戦争全期間を通じて50%から60%だと言われています。連合軍機は70%から80%程度だとされていますが詳しい数字はよくわかりません。194 […]
3月 7, 2008
· BUN · No Comments
Posted in: ソ連空軍, ソ連空軍復活の背景, ドイツ空軍
開戦時、ソ連空軍の錬度
独ソ戦前夜の欧州正面ソ連空軍パイロット錬度 レニングラード管区 総数 1247 昼間作戦可能 812 65% 昼間悪天候作戦可能 9 1% 夜間作戦可能 314 25% バルト […]
3月 7, 2008
· BUN · No Comments
Posted in: ソ連空軍, ソ連空軍復活の背景
損害を出してはいけない
気味悪いほどの損害についてばかり書いてしまいましたので、バルバロッサ初期にソ連空軍が実施した戦術の話で口直しとしたく思います。 最近ようやく「空軍の独立」=「航空撃滅戦の実施」だと悟りました。戦略空軍などというものは […]
3月 7, 2008
· BUN · No Comments
Posted in: ソ連空軍, ソ連空軍復活の背景
ドイツ空軍はどれだけ「痛かった」か?
1941年6月22日から4ヶ月の間にソ連空軍は少なくとも8000機、ひょっとすると10000機を失っていながら、それでも継戦可能だと判断できたのは実際に経験した損失率が戦前の試算の枠内に収まっていただけでなく、飛行機の […]
3月 7, 2008
· BUN · No Comments
Posted in: ソ連空軍, ソ連空軍復活の背景
ソ連空軍の腹の据わり方
ソ連空軍にとって悪夢のような6月22日の戦いの翌日も航空戦は続きます。 それまでと異なるのは航空基地がドイツ空軍の攻撃を十分に警戒するようになったために地上撃破される機体が激減したことです。空に上がる前に撃破するとい […]
3月 7, 2008
· BUN · One Comment
Posted in: ソ連空軍, ソ連空軍復活の背景
6月22日の舞台裏
1941年6月22日、ドイツ空軍は事前の航空偵察によって選定されたソ連国境地域の航空基地66ヶ所に対して空襲を実施します。これらの基地にはソ連にとっての西部戦線にある第一線軍用機の約70%が配備されていましたから昭和1 […]
3月 7, 2008
· BUN · No Comments
Posted in: ソ連空軍, ソ連空軍復活の背景
通説はどんな感じか?
1941年6月22日からのバルバロッサ作戦でドイツ空軍が圧倒的な勝利を収めたことについて、権威ある定説はどのように説明しているのでしょう。 そもそもドイツ軍用機に関する「権威」はそれこそゲップが出るほどにありますが、 […]
3月 7, 2008
· BUN · No Comments
Posted in: ソ連空軍, ソ連空軍復活の背景
先制攻撃はあり得たか?
戦史には秘話がつきもので、1941年6月22日に発動されたバルバロッサ作戦があまりにも順調に進展してしまった理由付けとして、「ソ連軍はドイツへ向けての侵攻作戦を準備中だった。」という説があります。侵攻作戦を間近に控えて […]
3月 7, 2008
· BUN · No Comments
Posted in: ソ連空軍, ソ連空軍復活の背景