Archive for the ‘発動機’ Category

マーリンとアリソン 2

英国は1930年代後半に世の中がきな臭くなって来たあたりから、戦時の飛行機増産体勢をどう準備するかを悩んでいた国です。1940年のバトル・オブ・ブリテン当時、戦闘機生産がドイツの二倍であったことなどは「国力の差」といった […]

4月 9, 2008 · BUN · No Comments
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マーリンとアリソン

1940年春にイギリスからマーリンの米国内生産が持ちかけられます。けれどもフォードとの交渉は頓挫してしまい、紆余曲折を経てパッカードでの生産が決まります。  これはロールスロイスが考えたことではなく、もともとイギリスの航 […]

4月 9, 2008 · BUN · No Comments
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ロールスロイスの「シャドー」対応

イギリスの航空エンジン生産は「シャドー」計画が持ち上がった1936年には年間2248基でしたが、1938年には2倍以上の5431基となり、1939年にはさらに倍以上の12499基に達して第二次世界大戦を迎えます。当然のこ […]

3月 23, 2008 · BUN · No Comments
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「職人芸」はなぜ消えたのか?

 「シャドー」計画に対して消極的な態度を示して、自社のダービー工場を拡張することで軍拡時代初期の増産要求に対応したロールスロイスは「ケストレル」に代わる新鋭発動機「マーリン」の量産で壁に突き当たってしまいます。「マーリン […]

3月 19, 2008 · BUN · 2 Comments
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ブリストルの場合

1920年代のイギリスで軍用航空発動機のトップメーカーはネピアでしたが、民需の航空発動機市場を握っていたのはブリストルです。ロールスロイスが「ケストレル」のヒットによって巻き返したことで1930年代の軍用航空発動機市場は […]

3月 18, 2008 · BUN · No Comments
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ロールスロイスの事情

世界大戦後の1920年代、イギリスの航空発動機メーカーといえばネピアでした。ロールスロイスは1925年頃までは軍用航空発動機市場で25%のシェアを持っていましたが、徐々に後退し、1929年には11%まで落ち込んでしまいま […]

3月 17, 2008 · BUN · No Comments
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職人の領分

日本の航空発動機についてその製造工程などを形容して「職人芸」という言葉がよく使われます。私などは昨今の懐古趣味的風潮から「これは誉め言葉なのだろう」とばかり思っていましたが、どうも批判的に使われているようです。ふだん「人 […]

3月 16, 2008 · BUN · 7 Comments
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