スピットファイアの源流

 バトルオブブリテンを戦ったスピットファイアとハリケーンの物語はあまりにも有名です。第二次世界大戦の戦闘機ファンであれば実機を飛ばして撮影された映画「空軍大戦略」を必ず観ていることでしょう。けれども、不思議なことがあります。全金属製モノコック構造のスピットファイアと鋼管羽布張り胴体(初期には主翼も羽布張り)を持つハリケーンとはどう見てもひと世代違う飛行機です。

 けれども実際にはどちらも同時期に計画され、同時期に発注されていて、しかも同じマーリン発動機を搭載していてその武装もほぼ同様です。いったい1930年代のイギリス空軍ではどのような戦闘機開発が行われていたのか、知りたい人は非常に知りたい問題でもあり、興味の無い方にはまったくどうでも良い問題でもあります。御用と御急ぎでない方だけどうかお付き合い願います。

 イギリス空軍が複葉戦闘機から脱却する境界に位置した戦闘機試作計画があります。F7/30と呼ばれるもので、この計画が数年後にスピットファイアへと発展して行きます。このF7/30は昼間作戦と夜間作戦を兼務する「ゾーンファイター」として計画されたもので、具体的には現行の「ゾーンファイター」だったブルドッグの後継機として位置づけられています。「ゾーンファイター」は夜間作戦も行うので夜間の着陸が容易であるために着陸速度が制限されている上に、哨戒飛行を行うための滞空時間も重視されています。すなわち、何かと飛行性能の足を引っ張る制限の多い機種だったということです。

 このためにF7/30の計画は遅れに遅れます。F7/30とは1930年度の7番目にあたる試作計画で機種は戦闘機、という意味ですから1930年に試作発注されたように思えますが、実際に計画要求が固まったのは1931年の10月です。しかもこの時の計画要求上の性能は最大速度 時速195マイル(313.8km/h)以上という地味なものでした。イギリスの戦闘機の主任務は1920年代以来、第二次世界大戦勃発まで一貫して首都ロンドンの防空でしたから1930年とはいえ、この程度の性能では近い将来に現れるだろう高性能爆撃機の邀撃には不十分と判断されています。

 けれども「ゾーンファイター」として夜間作戦を行う以上、着陸速度の制限があります。ブルドッグの後継機計画が研究され始めた1929年には着陸速度55マイル(88.5km/h)という制限があり、この制限を満たすためには最大速度は180マイル程度が限界と考えられています。しかし180マイルでは当時の戦闘機として余りにも地味な性能です。そこで着陸速度を62マイル程度まで増大することで性能推算がやり直され、190マイル程度はいける、との判断が下りますが、それでも不満はあり、何とか200マイル以上の計画にしたいという声が空軍内で高まります。

 1929年10月頃のブルドッグ後継機研究が最も重視していたのは戦闘時の視界でした。空中戦で良好な視界を得るためには従来の複葉機では上翼が視界を大きく妨げます。複葉機とは視界の悪いものなのです。そこで牽引式を改めて、操縦席を前に出す推進式とする案が力を持ち、複葉ならば推進式にする方向となります。そして複葉機の視界問題を根本的に解決する案として単葉形式の検討が始まります。F7/30計画ではまず、戦闘時の視界問題から単葉形式が求められたということです。

 しかしスロットもフラップもまだ実用段階になかった当時では、着陸速度の制限は飛行性能の低下に直結してしまいます。単葉形式とはなったものの、最大速度の要求は満足する水準に達することができず、F7/30の試作発注はまだまだ遅れます。金属製プロペラを採用したら何とかならないか、NACAカウリングの効果で何とかならないか、あるいは引込脚の採用は検討できないものか、と様々な模索が行われ、その結果、1931年10月には195マイル、着陸速度60マイルという要求が固まりますが、その計画要求はすぐ書き換えられ、最大速度の要求は215マイル以上とされます。武装は従来の戦闘機の倍、機関銃4挺装備となります。発動機は指定されていません。

 1931年5月頃の「ゾーンファイター」に対する各要求項目の優先順位は1.上昇力、2.最大速度、3.視界(低翼または推進式複葉による解決)、4.操縦性といったもので、上昇力と速度を優先した高速戦闘機計画であることがわかります。スピットファイアが持っていた軽快な運動性とそこから来る「対戦闘機用の制空戦闘機」といったイメージは結果的にそうなっただけのことであって、イギリスの戦闘機に要求されたものは優れた上昇性能と最大速度、あるいは上昇性能を多少犠牲にしても最大速度の増大、そして重武装です。

 運動性に優れるスピットファイアは古典的な格闘戦用戦闘機のように思えてしまいますが、イギリス戦闘機は敵戦闘機との空中戦の可能性をあまり考えていないのです。しかもF7/30の計画時には昼夜の哨戒任務に就くだけの滞空時間も要求されていることにも注目しなければなりません。F7/30、すなわち「原スピットファイア」とも言うべき戦闘機は航続距離が長いのです。

 そしてF7/30がようやくその計画を定めた頃、イギリス空軍はフューリーの後継機計画を研究し始めます。フューリーはイギリス空軍の戦闘機機種分類上「ファイター(インターセプション)」と呼ばれる昼間邀撃機に属します。本土沿岸の前進基地から急発進して邀撃にあたるのが本来の任務で、そのために上昇力と速度が最優先され、夜間作戦を行わない分だけ飛行性能に対する制約から自由な存在でした。フューリー後継機計画はやがてF5/34として計画要求が交付されます。これがハリケーンの源流となる計画です。

6月 10, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: イギリス空軍

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