奇策が育てた爆撃機計画
この方式を採用すれば爆撃機の離陸重量を飛躍的に増大することができ、双発のマンチェスター級の機体(これでも結構大型で大馬力発動機装備の画期的爆撃機ではあります。)であっても航続距離3000マイルプラス余裕滞空時間を実現でき、爆弾搭載量も2トン程度まで引き上げあることができるものと予想されていました。こうした計画が存在したために1936年度の試作計画で発注されたスターリング、マンチェスター、ハリファックスなどは全てカタパルト射出に耐えうる機体強度を求められ、皮肉な言い方をすれば余計な強度を要求されたために重量が嵩んでしまったとも言えます。
一見して無茶な奇策といえる爆撃機のカタパルト射出計画ですが、イギリス空軍もこのカタパルト設備を主要飛行場に導入した場合のコストやカタパルトそのものの性能や信頼性、導入可能時期などについてはあまり深く検討した形跡はありません。この計画がもつ「解決策」としての魅力の大きさが全てに優先しているような雰囲気の中で既定の事実として1936年度の爆撃機試作計画に織り込まれて行きます。無茶といえば無茶な計画ではあってもこの計画が認められたことでイギリスの爆撃機試作計画には大きなプラスがありました。それはカタパルト射出が前提となったお蔭で爆撃機の要求搭載量が大きくなり、機体もそれに応じて大型化が許されるようになった点です。重くてもカタパルトがあるので性能を落とすことなく搭載量を増大できるという考えが保護されたことで、計画性能を高く設定することができたことは新爆撃機開発から離陸滑走距離による足枷を外す効果がありました。もしカタパルト射出計画がなければスターリングやマンチェスターなどはさらに翼面積を増大させるなど、飛行性能にマイナスとなる設計を採用せざるを得ない状況に追い込まれたのではないかと思います。
こうして嵐のように吹き荒れたイギリス空軍の奇妙なカタパルトブームは1938年を迎えると急速に廃れてしまいます。カタパルト設備を主要飛行場に完備することの現実味の無さにさすがのイギリス空軍も気が付いたためですが、そのときには既にカタパルト射出仕様で試作された新鋭爆撃機は機体の製作に入っていましたから、今さらカタパルト無しでの設計に変更はできません。そこでようやく既存基地の滑走路を延長するという健全な発想に戻ることになります。
そして500ヤード以内の滑走距離ではなく、700ヤードでも構わない、あるいはそれ以上も考慮する必要があるという姿勢となりますが、これには爆撃機以外の機種についての問題も影響しているような気配があります。それは当時、量産に入りつつあったスピットファイアとハリケーンの問題です。これらの戦闘機は本土に侵入する爆撃機を邀撃することを第一の任務として開発された重武装の高速戦闘機で本土防空の要となる重要な機種ですが、定速可変ピッチプロペラの開発遅れから初期の量産機は固定ピッチの二翅プロペラを装備して完成しています。プロペラピッチに制限があるためにこれらの戦闘機の離陸滑走距離は事実上1000ヤード程度にまで増大していたのでに安全に使用できる飛行場が爆撃機よりも限られるという都合の悪い現実がありました。
そうした事情があるためにカタパルト射出が中止された後もイギリス空軍の爆撃機は離陸滑走距離の増大をあまり気にせずに済み、結果的にほぼ満足の行く性能を維持したままドイツ本土への爆撃作戦を実施できるようになっています。カタパルト射出計画は奇策ではあったものの図らずもイギリス空軍の爆撃機を育てたという奇妙な功績はあったということになります。
6月 2, 2008
· BUN · 2 Comments
Posted in: イギリス空軍
2 Responses
Zafira - 6月 3, 2008
いつも楽しく拝読させていただいております。今回も実に興味深い内容でありました。
さて,件のカタパルト射出についてですが,それを主導した人々も,容認した人々も,実はそれが方便であり,当初より飛行場拡張を目指していたのではないかなどと想像してしまうのですが,いかがなものでしょうか。
BUN - 6月 5, 2008
ありがとうございます。
鋭い御意見ですね。私もそのような気持ちになってきます。
イギリス空軍も他の空軍と同じように部隊の意見あり、本部の方針あり、予算計画ありで、そこに自国の航空技術に対する行政が絡んで来ます。おっしゃるような雰囲気は確かにあるように思います。
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