ソ連の機動戦理論は全て自前か?

 第二次大戦後半に理論のレベルと実力でドイツを圧倒したソ連軍ですが、それじゃぁソ連は一から十までオリジナルかと言えばそうでもありません。ソ連陸軍将校にはドイツ留学組が大勢いましたし彼らの受けた教育はドイツ流の機動戦理論です。またソ連軍の目玉商品である作戦機動群の構成も、少なくとも一個師団以上の規模の諸兵科連合で補給段列も含んだ、実質的には戦車軍団という形態が原則ではありますが、その発想はドイツ軍のカンプグルッペの影響を受けていると言われています。
 
 要は完全に一国のカルチャーで育った機動戦理論なんて存在しないということで、それはドイツにしても同じことです。機動戦理論や航空戦理論は多くの国々で同時多発的に研究が進められ、それぞれに影響しあいつつ発展しています。そしていざ戦争が勃発したときにその理論がどれだけ煮詰められていたか、準備が整えられていたか、うまく実施できたか、が勝敗を分けるのだというごく当たり前の結論になりそうです。

 ソ連軍の戦術はドイツの模倣だ、というのも一面の真実ですし、部隊のレベルで見れば経験豊かな将校を数多く抱えたドイツの方がおしなべて優秀だったのはまったくの事実でしょう。けれどもそれでいながら、総合的な理論と実力で圧倒されてしまったのも本当なのです。

4月 30, 2008 · BUN · 2 Comments
Posted in: 機動突破作戦の変遷, 陸戦

2 Responses

  1. ヤマザクラ - 4月 30, 2008

    はじめまして。
    いつも楽しく見させていただいている者です。
    ソ連の軍事理論、大変興味深く読みました。

    1965年に出たソ連戦略論史の序文でザハロフが、
    ドイツの電撃戦理論はソ連の縦深作戦理論の研究成果を借用したものだ、
    と書いていますが、どうも独ソは互いに相手が真似していると思っていたようで、面白いです。

    もちろん互いに影響を受けあったのでしょうけれど。
    「完全に一国のカルチャーで育った機動戦理論なんて存在しない」…納得です。

  2. BUN - 5月 1, 2008

    拙い落書きにおつき合い戴いてありがとうございます。
    「電撃戦」的な理論の芽はイギリスにもフランスにも、そして日本にさえ見つけることができます。不毛と思えた場所にも何かがある、と気付いた面白さがこんなことを書き散らし始めた動機のひとつです。
    御笑覧ください。

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