アルデンヌで明確になったこと

  守勢に回った米軍の戦意の高さ、粘り強さ、そして友軍への信頼の象徴とも言えるバストーニュ攻防戦ですが、よく考えれば妙な出来事でもあります。強力なドイツ軍の攻勢に呑み込まれたバストーニュとサンビトという二つの田舎町がいかに道路の集中点だったとしても、あのように包囲される前に撤退命令が出ても不思議はありません。なのに二つの町はやすやすと包囲され、しかも頑強に抵抗を続けています。バストーニュはパットンの第三軍が強行した不眠不休の救援作戦がギリギリで成功という感動的なドラマで有名になりましたが、一方のサンビトは猛攻を支えきれずに降伏していますから悲惨なものです。アメリカ軍から見てこの二つの町をああまでして死守する理由は何だったのでしょうか。

 それは連合軍がようやく学んだドイツ流電撃戦への対抗ドクトリンにあります。ドイツ流の電撃戦対抗策、すなわち突破口の両肩にあたる部分を再強化して維持し続けることで突破口の拡大を防ぎ、第二、第三の防衛線で敵の突破部隊の進撃を受け止めつつ、作戦予備兵力をもってその側面を突いて敵の突破部隊の首を刎ねるという手順をアルデンヌで守勢に回った米軍は原則通りに実施しているのです。

 その突破口「両肩」に相当する防衛拠点こそがサンビトとバストーニュだったということで、ここが踏ん張ったためにドイツ軍の侵攻は確かに停滞しましたし、その南側面はパットン第三軍の脅威に晒されてしまいます。見事に教科書通りで、逆に危なっかしくも見えますが、対するドイツ軍もまた教科書通りの電撃戦ですので、抵抗拠点があればとにかく迂回して抵抗の弱い方へと浸透して行きます。作戦前半の主人公とも言えるパイパー戦闘団はこのように前進していますから、原則通りに実施された対抗策はとても有効です。
 ある漫画で米軍拠点の抵抗にこだわる者達について「電撃戦のイロハも知らない」と作中のパイパーはボヤいていますが、むしろ教条主義的で現実に取り残されているのは敵が対抗策を実施しているのに気づかない漫画の中のパイパーの方なのです。遮二無二突進するパイパーのような先鋒こそ米軍にとっては御しやすい敵でした。

 このように連合軍側も電撃戦対抗策を学習してしまったことをドイツ軍側は深刻に認識していなかったようで、そもそもコンセプト的に曖昧だったアルデンヌ攻勢そのものが米軍の反撃や様々なアクシデントを伴って戦略的攻勢から政治的宣伝の対象へと変容してしまい、もはや何が何だか解らなくなったことも手伝って、「電撃戦」失敗の本質的な原因がドクトリンの陳腐化にあると分析されないまま終戦を迎えています。
 おそらくドイツの将星たちの多くは最後の瞬間まで「条件さえ整えば電撃戦を再現できる」「機動戦では我が方が優位にある」と確信していたのではないでしょうか。
 しかし現実には攻撃ドクトリンが陳腐化してしまった以上、もはやドイツの高級指揮官にとって、命に逆らって後退を決断する勇気と撤退戦の巧みさでしか名を上げる道はありません。多くのドイツ軍礼賛戦記はこうした戦争末期のエピソードを数多く描いています。

 それはともかく、攻撃ドクトリンが無効になった一方で、ドイツ流防御ドクトリンは果たしていつまで有効だったのでしょうか。

4月 30, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: 陸戦, 機動突破作戦の変遷

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