ソ連機動戦理論の発達とその担い手

 ソ連における機動戦理論の成立過程は三段階に分けられると言われています。第一段階は1918年から1928年頃までを政治的、技術的基礎確立期、第二段階として1930年代を理論の具体化と実用兵器の発展期、1937年のスターリンによる赤軍粛清による停滞をはさんで1941年から1944年にかけてを第三段階として機動戦理論の復活、完成期に分けて考える歴史観です。
 
 この三段階発展論に挟まっている赤軍粛清によるトハチェフスキーを代表とした機動戦理論家の処分は確かに機動戦理論を停滞させてしまいますが、これには別の評価もあります。
 西欧からの視点では無目的な殺人として映るこの粛清も、あえてスターリンの眼から見れば赤軍の制服を着た帝政ロシア軍とも言うべき軍高級将校を粛清しなければ安心して軍の近代化を推し進めることなど不可能だったのではないかという考え方です。すなわち軍という強力な組織を機動戦理論によって近代化し、さらに強大なヨーロッパ随一の存在に脱皮させるにあたり、思想的忠誠心の不確かさはそのまま軍による反乱の危険を孕んでいることを意味するので、赤軍粛清は無目的な殺人どころかスターリンによる国家体制確立を目的とした必然的かつ微妙な外科手術であったとする視点が存在します。

 ドイツ機甲部隊賛美のために書かれた戦記がほぼ無視して通る赤軍の1936年版野外教令にはだいたいこんなことが書いてあります。

「機械化兵団は戦車、自走砲兵及び車載歩兵より成り、独立股は他兵種と協同して独立任務を遂行することを得、その特性は高度の機動力と強大なる火力と威大なる打撃力とを備える点にあり。機械化兵団の戦闘の主体を成すものは戦車の襲撃にして戦車の襲撃は必ずや組織的砲兵火力の支援を伴わざるべからず。一般に機械化兵団の機動及び戦闘は飛行機の支援の下に実施せられるを要す。」

 ドイツ流と少し趣が違うのは砲兵火力を大変に重視している点ですが、こうした思想を実際に戦場で効果的に実施するためには別の努力が必要になります。ある思想を実体化させて本当の戦争に応用するには軍備体系も変えなければならないし、補給システムも改めなければならないし、その思想を組織の下まで浸透させなければなりませんから、その方法、訓練体系も考えないといけません。そこには何をおいても膨大な事務仕事の山があるはずで、それをこなして実施に漕ぎつけるための旺盛な活力と熱狂がなければこんなことは急に達成できる訳がありません。
 バルバロッサ作戦初期の敗北を受けてこうしたトハチェフスキーの思想を復活させる作業を提起し、さらにそれを実施する強力な担い手として赤軍粛清後に登用された若手将校が活躍します。だいたいにおいてこの時代の共産主義者というものは日本の天皇制擁護者よりもはるかに熱心で真面目ですから、たとえ処刑された将軍の作り上げた「反革命」的生い立ちの思想であっても、祖国の危機に際してそれを再び採り上げることに躊躇がありませんし、体制側から見ても思想的不安は無かったのでしょう。

4月 30, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: 陸戦, 機動突破作戦の変遷

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