アルメデレール以前 番外2 (イギリスの三大名機)

 わき道にそれた方が面白いという感想も戴いたので、今回は我らがフランス陸軍航空隊の盟友、イギリス空軍の主な戦闘機について紹介しようと思います。相変わらず勘所のみの余談ですから詳しい話はちゃんとした本を読んでお調べください。

 SE5/SE5Aはフランスのスパッド7/13に相当する主力戦闘機です。第一次世界大戦の戦闘機は空冷ロータリー式発動機を装備した機体と水冷列型発動機を装備した機体とに大雑把に分けられますが、設計思想に応じて採用されたそれぞれ特長のある形式だったという訳ではありません。シリンダーとプロペラが一緒になってグルグル回る空冷ロータリー式発動機はイギリスでもフランスでもドイツでさえも「できれば即刻捨て去りたい」発動機形式です。空冷ロータリー発動機は機構的に無理が多く、戦前の設計を引き継いだグノームやクレルジュのサービス寿命は戦争初期で40時間程度だったと言われ、肝心の馬力も80馬力から120馬力クラスでしかありません。これに対してイスパノスイザを代表とする新しい水冷列型発動機は150馬力から200馬力クラスである上に200時間程度の寿命を持っていましたから置き換えたくなるのは当然です。

 1916年末に完成したSE5はそんな期待の発動機であるイスパノスイザ150馬力を搭載した戦闘機で、イギリス軍が心から望んで量産したほぼ唯一の戦闘機です。ただ、水冷列型発動機を実用に耐える品質で量産することは当時の機械加工技術では大変困難で、イスパノスイザの供給は実に心細いものでした。そして機体に装着されて前線に送られたイスパノスイザは故障が多発し、整備にも手間が掛かり、中でもSE5Aが装備した220馬力型は減速装置付きでしたから整備教育も間に合わず、可動率は良くても6割程度だったと言われています。アメリカ版のイスパノとも言えるリバティ発動機が期待された理由はこの辺にあります。

 ただしSE5/SE5Aは飛行機として素直な設計でしたから、操縦しやすく着陸時の事故も少ない機体となり乗員からは好まれています。もともとイギリス軍は乗員の養成計画が低調で、1917年春頃には消耗に補充が追いつかず、新人乗員の平均飛行時間が数十時間といった絶望的な水準に低下していましたから、こうした扱いやすい安全な機体は何よりもありがたい存在です。その性能もSE5Aでは220馬力相応に200km/h以上の速力を発揮する高速戦闘機でしたから本来なら戦闘機はこれ一機種で良かったのです。

 けれども第一次世界大戦時のイギリスで最も有名な戦闘機といえば、それはSE5Aではなく、ソッピース キャメルになります。キャメルは完成時期から見ればSE5と大した違いはありません。ほぼ同期といって良い位の機体です。先行したソッピース パップを引き締めて性能を向上させた設計で、機首の連装同調機関銃も強力でした。けれどもこの機体の発動機はクレルジュで、軽量ではあるけれども110馬力程度の発動機ですから、これでは敵機を圧倒するほどの高速を得られません。後に搭載されたベントレーが改良したBR1はサービス寿命と馬力が向上していますが、根本的な違いはありません。そのためにキャメルは必然的に格闘戦を主体とせざるを得ない、ほのかに旧式さの漂う新鋭戦闘機となってしまっています。けれどもイスパノスイザ発動機はいくら待っても安定的に供給されませんからキャメルは1917年夏から1918年11月の休戦まで大量に使い続けられることになります。このあたりはフランスのニューポールの事情とまったく同じです。

 操縦性に癖があり、離着陸が難しく、乗りこなすのに高い技術が必要なキャメルは戦闘の損害以前に事故で失われる確率の高い機体でしたが、それでも敵機がアルバトロスD3あたりだった時期には、キャメルは理想からは程遠いものの、まだ有力な戦闘機の一つでした。しかし、1918年5月頃からドイツ軍にフォッカーD7が本格的に配備され始めるとその評価は地に墜ちてしまいます。速力でも上昇力でもフォッカーD7から逃れられないキャメルには「敵戦闘機を撃墜しない限り生還できない」「長生きするための最後の選択肢」「大損害メーカー」といった散々な評判が目立つようになります。

 そして忘れてはならないのがレッドバロンの撃墜などでドイツ軍戦闘機と華々しい空中戦に明け暮れたと思われがちのキャメルの最重要任務はイギリス軍の地上攻撃ドクトリンに沿った戦闘機による塹壕銃撃だったことです。持ち前の軽快さで対空射撃をかわし、強力な同調機銃を武器に超低空で塹壕銃撃を行うキャメルは地上攻撃機としても適性がありましたが、ドイツ軍も黙って銃撃されてはいません。本格的配備の直後に戦われたカンブレ戦から休戦まで、地上銃撃という地味な任務のために失われたキャメルは空中戦での損失を大きく上回り、特に1918年以降のキャメルの戦闘損失の大半は対空砲火によるものと言われています。数で劣るドイツ軍戦闘機は有利な状況でなければ連合軍戦闘機に挑戦して来ませんから、さほど高速でもない上に上昇力に劣り高高度性能も見劣りするキャメルでは会敵しても捕捉できない場合が多かったのです。姉妹機、後継機といえるスナイプやドルフィンが妙に重武装なのもこの地上攻撃任務のためです。

 SE5、キャメルと来たら次はブリストルF2複座戦闘機です。世の複座戦闘機の元祖のように言われる機体ですが、ブリストルF2がなぜ強かったのかが説明されることは殆んどありません。ドイツ軍戦闘機の攻撃が画一的だったから、とも言われますが、戦闘機の空戦術はほぼ常にドイツ軍がリードしていたのでそれはあり得ません。ブリストルF2の強さの源はこの機体が搭載していたロールスロイス ファルコン発動機の馬力です。ドイツ軍が160馬力のメルセデス発動機でアルバトロスを飛ばし、BMWの180馬力でフォッカーD7を飛ばしていたのに対して、190馬力(F2A)または275馬力(F2B)の発動機で比較的引き締まった機体を作り上げれば少なくとも速力では互角以上に立ち向かうことができます。

 言うまでも無くいつでも逃げられる軍用機とは生き残る軍用機です。そして後席に配置された操作性が良く射界の広い旋回機関銃はお互いの速度差が小さく、むしろ劣速なので攻撃方向が限られてしまうドイツ軍戦闘機を比較的容易に捉えることができたので、編隊火力を上手く利用できれば十分に勝ち目があったということです。しかしF2Aが登場したばかりだった1917年の「血まみれの4月」頃には、まだこうした適切な戦闘法が確立されず、F2Aはアルバトロスに対抗できず損害に苦しんでいます。なんとブリストルF2は最初の段階では「弱かった」のです。複座の名戦闘機は強力な発動機と適切な戦法があって初めて実力を発揮できたということなのでしょう。そしてブリストルF2はそれなりに扱いやすい機体だったらしく、アメリカ陸軍航空隊では乗員達が大馬力のリバティを搭載していたものの頭が重く離着陸に注意が必要だったアメリカ製DH4への機種改変を喜ばなかったとも言われています。軍用機も乗り物のひとつですから乗りやすい飛行機は評判が良いということです。そして速くて強かったなら、それは名機なのでしょう。

3月 3, 2010 · BUN · One Comment
Posted in: イギリス空軍, フランス空軍, フランス空軍前史, 第一次世界大戦

One Response

  1. ささき - 3月 17, 2010

    ヴィッカースの1ポンドポンポン砲やらC.O.W の 1.5 ポンド 37mm 自動砲、ドイツの TuF 13mm 機銃やらベッカー 20mm 機銃が本来の用途であった航空兵装より対空火器として優先配備された事情が何となく伺えるようになりまし。

Leave a Reply