日本の「シャドー」インダストリー

 イギリスの飛行機増産計画について書いてきましたが、グループ化や「シャドー」計画のような発想は他国でも見ることができます。

 たとえば日本の場合、日本海軍は支那事変勃発と共に飛行機増産時代を迎えますが、それと同時にある機体の開発元から別の製造会社に転換生産する際のルールを再確認しています。簡単にライセンス生産といいますが、そのライセンス料をどのように扱うかです。基本的に三菱などの民間会社で設計した機体を海軍の直轄工場である各航空廠などで生産する場合にはライスセンス料は支払われません。ライセンス料が支払われるのは転換生産先が民間の製造会社である場合のみ、といった原則です。

 そんな下準備があったために設計元よりも転換生産先で沢山作られた機体はかなりの数になります。零式観測機や零戦もそうですし、流星や紫電改、雷電もそうした計画で大量生産を考えた機種です。陸軍でも九七戦の満州飛行機への転換生産促進や一式戦闘機の立川への転換生産などがありますが、日本の場合は大規模にグループ化しようとしても飛行機の製造会社が限られていたので製造グループといったものはあまり目立ちません。転換生産の対象も最新型の完成と共にひと世代前の機体の生産を他社に転換して新型機の立ち上がりを早めるなど、ちょっと地味な目的で決められています。航空軍備の拡張が他国よりも遅れていたために飛行機の量産規模が小さかったことも大きな理由です。

 限定的に実施されたグループ化類似の事例が見られる一方で、それでは日本において「シャドー」に相当する事例はあったのかといえば、無いこともありません。「シャドー」計画を「自動車産業の航空機部門への取り込み」「親子構造を持つ設計元と量産工場の関係」といった形で定義するならば、トヨタ自動車の例が挙げられます。

 トヨタ自動車工業株式会社はもともと豊田自動織機の自動車製造部門でしたが、戦時中の飛行機増産計画の中で、トヨタ資本60%、川崎航空機資本40%の子会社、東海飛行機株式会社を設立しています。この会社は新しい子会社とは言いながら設備的にはトヨタ自動車の挙母工場にぴったりと隣接した増設工場でした。社長は豊田喜一郎です。

 1938年から飛行機研究部を持っていたトヨタ自動車は既に自動車生産で流れ作業の導入を経験していましたし、生産管理システムも一般的な飛行機製造会社より優れたものを持っていたという点もイギリスに似ています。

 戦時にはここで航空発動機の大量生産を行い、平時には工場の建屋を増設すれば挙母工場と繋がる大工場となって自動車製造に転換できるように準備するなど、先を読んだ投資が行われている点も異質ですが、この工場で生産すべき航空発動機は実際に実績として残っている「ハ13甲」などの練習機用小馬力発動機ではなく、第一線戦闘機用の高性能液冷発動機「ハ140」とその性能向上型「ハ240」でした。

 「ハ140」はドイツからライセンスを受けて生産されたダイムラーベンツDB601Aの国産版「ハ40」の性能向上型で、三式戦闘機二型に搭載されたものです。川崎航空機での生産が深刻に停滞したためについに空冷発動機に換装され「キ一〇〇」が生まれたという有名な逸話があります。「ハ240」は三式戦闘機の最終発達型である三型用に試作されたもので、川崎航空機でも量産に入らずに終戦を迎えていますが、この難物をトヨタ自動車はどのように消化するつもりだったのか興味深いところです。

 ただ残念なことに日本最大の航空発動機量産工場だった三菱重工名古屋発動機製作所がB29の空襲によって壊滅したために、そのバックアップを引き受けざるを得ず「ハ140」系液冷発動機の量産計画は中止されてしまいます。そのため日本の航空史の中では地味な練習機用発動機製造に日本の遅れた自動車製造会社が乗り出したひとつの事例としてのみ記憶されています。けれどもトヨタ自動車は最新鋭航空発動機の大量生産に自信満々で挑んでいたことは事実ですし、それに対する陸軍の期待も大きなものがありました。

 東海飛行機は日本で見られる「シャドー」類似の事例としてほぼ唯一のものではないかと思います。並の飛行機製造会社より自動車会社ならではの優れた生産設備と生産管理能力によって量産工場として有望な存在だったという点と、もし仮に順調に事が運んでも昭和18年3月の会社設立時からおそらく「ハ140」の量産機が送り出されると予想される昭和20年春頃までに費やされた準備期間のうちに肝心の三式戦闘機が旧式化してしまい、もはや最重点機種ではなくなってしまうという悲しい未来予測まで実に「シャドー」的ですね。

 東海飛行機株式会社は戦後アイシン精機株式会社として再生しています。

3月 26, 2008 · BUN · 3 Comments
Posted in: 航空機生産

3 Responses

  1. YAS - 10月 19, 2009

    量産体制の確立という意味では、永らく日本の外貨獲得の雄である繊維産業や、繊維産業を顧客としてコストパフォーマンスの優れた生産技術を絶えず求められた織械分野等に期待されていたというイメージでしょうか。

    他項にある仏のWW-IIへの航空機産業の話や昨今の日本の航空産業からの撤退企業続出のニュースを鑑みると、当たり前ですが生産規模の重要性を痛感します。

    非常に興味深いお話の数々ですが、書籍あるいは同人誌等でとりまとめる際には、是非、購入させていただきたいと思っております。
    勝手なお願いですが、その際には、どこか目立つところにご案内を入れていただけるとありがたいです。

  2. BUN - 10月 19, 2009

    YASさん

    御感想ありがとうございます。
    同人誌を作る余裕はとてもありませんので、
    プロの編集者に面倒を看て貰うのが一番のようです。
    計画はありますのでどうか気長にお待ち願えればと思います。

  3. 【【スピット】WW2英国空軍戦闘機スレ【テンペスト】】対弾性は 12.7mmまで(それ以上は非現実的)、材質は鋼板かアルミ積層 燃 料の入ったセルフシーリング… | blog001 - 8月 26, 2012

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