「職人芸」はなぜ消えたのか?

 「シャドー」計画に対して消極的な態度を示して、自社のダービー工場を拡張することで軍拡時代初期の増産要求に対応したロールスロイスは「ケストレル」に代わる新鋭発動機「マーリン」の量産で壁に突き当たってしまいます。「マーリン」はもともと平時の感覚で構想された大量生産を意図しない設計でしたから、熟練工の手仕事に頼らずに大規模な量産を進めた結果、不良部品の山を築くことになり、1937年には大量の受注を抱えながらも「マーリン」の生産を絞らざるを得ない状況に追い込まれています。

 航空省は増産要求に応えられないロールスロイスに「シャドー」計画への協力を求めますが、ロールスロイスの内部にはそれを理解する動きも生まれていたものの経営陣は相変わらず消極的で、増産要求には自社の新工場建設で対応しようとします。これがクルー工場で、製造工程の見直しが進んだ結果、今までの汎用機に混って専用の工作機械の導入が始まります。新工場建設は航空省にとってもドイツ空軍の爆撃に対する分散疎開という見地から歓迎すべきことでした。クルー工場の「マーリン」量産は1941年3月から始まり、いきなりダービー工場の月間生産数を上回る428基を送り出しています。

 けれどもドイツとの戦争がほぼ不可避でかつ極めて間近と考えられるようになると「マーリン」の増産要求は更に大きなものとなり、戦闘機から四発爆撃機にまで幅広く搭載計画が立てられたことでクルー工場竣工によって予想される増産体制でも間に合わない状況となり、ロールスロイスはまたも頭を抱えてしまいます。

 ロールスロイスはこのような窮地に立たされてもまだ「シャドー」計画に消極的でした。その理由には、もはやそんなケチなことを言っていられない情勢となった技術流出に対する警戒の他に、「シャドー」計画の対象となっている「マーリン」そのものに大規模で長期にわたる需要が見込めないとの判断があります。自社には「バルチャー」が試作段階にあり、他社にはネピア「セイバー」、ブリストル「セントーラス」といった大馬力試作発動機が控えている以上、27リッターの小排気量で1000馬力程度の「マーリン」の大増産体制を整えても結局は無駄になるのではないか、という懸念があったのです。

 各社試作発動機の中で最も脅威に感じられていたのは1920年代のライバル、ネピアの「セイバー」でした。1930年代にはもはや瀕死の状況にあったネピアの航空発動機ビジネスでしたが、航空省としてはネピアやアームストロングシドレーなどの弱小メーカーの技術者や設備がろくな製品を造らずに遊んでいることに対して強い不満を示し、ネピアに企業の分割を迫ったこともありましたが、結局のところネピアを維持するために新発動機の試作発注を行います。これが「セイバー」なのです。

 こうした技術行政に対して猛烈に反対したのは当然のことながらロールスロイスです。「マーリン」を置き換える大馬力発動機としては「セイバー」が筆頭候補だったからで、こうした保護政策にあからさまに反発します。けれども実際には各社の大馬力発動機は自社の「バルチャー」を初めとしてほぼ全て試作が難航していましたから、来るべき戦争にすぐ使える発動機は「マーリン」しかないことがじきに明らかになり、国運のかかった主力発動機として「マーリン」増産は至上命令となり、ロールスロイスにとって逃げ場は完全に無くなります。

 もはやイギリスの発動機メーカーとして「シャドー」計画に全面協力する以外に生きて行く道は残されていないロールスロイスでしたが、今度は「シャドー」の子供選びが困難になって来ました。使える自動車メーカーはもう他社の「シャドー」なのです。そこで再び新工場の建設計画が持ち上がります。これがロールスロイスのグラスゴー工場です。この工場の建設に関しては航空省の指導が入り、ロールスロイスの工場とはいいながらも半分官営工場のような計画でした。

 グラスゴー工場の建設にはクルー工場よりも徹底した空襲対策疎開工場としての意味もありますが、「マーリン」の大量生産に特化した最新の設備を持つ生産ラインを持ち、工作機械から汎用機を排除して専用の単能機を中心とした新しい生産方式の導入という画期的な出来事でもありました。そして汎用機の排除にはもうひとつの、あるいは最大の理由があります。1939年頃になると大規模な新工場に採用できる熟練工などイギリス国内の何処を探してもいない状態で、ほとんどの従業員に未熟練、未経験の人材を充当するしかないためです。

 グラスゴー工場の建設はロールスロイスの発動機生産の担い手が汎用機を使いこなす熟練工から未熟練作業者になることを意味します。ロールスロイスでの「職人芸」時代はここに終わりを告げましたが、航空発動機の製造現場において「職人芸」の影が薄くなったのは「職人芸」そのものの良し悪しとは無関係で、単純に大増産時代を迎えて「もはや職人がいなくなったから」なのです。

3月 19, 2008 · BUN · 2 Comments
Posted in: 発動機

2 Responses

  1. 早房一平 - 3月 20, 2008

    > 単純に大増産時代を迎えて「もはや職人がいなくなったから」なのです。

    なんといいますか、第一次大戦時の日本の自転車(部品)産業がたどった道と同じですねえ。(宗主国からの輸入が途絶えた欧州植民地向けに大量の輸出需要が発生したそうです。)

    うらやましいのは、工作機械の調達が戦争に間に合うという英国の懐の深さでしょうか、それとも米国からの輸入なのかしらん?

    また、戦火を逃れた亡命技術者の利用はなされたのでしょうか、たいした人数ではないから頼りにはならなかったかなぁ。

  2. bun - 3月 20, 2008

    早房さん

    旦那、通ですね。
    じつは航空工業と雇用の問題も仕込んでいます。
    食べ頃になったらさばきますからよろしくお願いします。

    しかし、こんな話は雑誌に書いても売れませんから
    ここでやっちゃわないとあと10年黙ってるかも・・。

Leave a Reply