アメリカ戦艦の辿った道 2

 第一次世界大戦で各国のド級戦艦という「新兵器」が戦争の勝利にも早期終結にも貢献できなかったという事実によって、このような高価な兵器に膨大な予算を注ぎ込むことに対しての疑問が生まれ、海軍部内と外の世界との戦艦建造に対する大きな温度差が生まれてしまったことはアメリカ戦艦にとって最初の大きな躓きでした。アメリカはワシントン会議の席上で戦艦の保有制限と新規建造の休止を提案して各国を驚かせていますが、それはアメリカ政府にとって外交戦略でも軍事的な駆け引きでもなく、なによりも戦艦に対する兵器としての魅力が薄れてしまったことを示しています。
 
 日本の軍事史関連書籍では日本が八八艦隊の建造に明るい見通しが立たなかったように、アメリカもまた財政上の問題を抱えていたという説明がなされることが多いのですが、財政上の問題で比較するならば第一次世界大戦での唯一の経済的勝者であり世界中の金が流入したアメリカとシベリア出兵で大戦中の稼ぎを遣い果たしつつあった日本では事情がまったく違います。アメリカにとって戦艦とは決勝兵器として期待はずれだった上に激しい建艦競争によってあっという間に陳腐化してしまう経済的に極めて非効率な存在だと見做されていたのです。

 実際に当時の議事抄録を読んでも電文を探しても、ワシントン会議での日本代表は正直なところ狼狽と混乱の中にあり続けています。冒頭からアメリカ側が切り出した有無を言わせぬような主力艦保有制限提案に加え、航空母艦という新艦種の定義と保有制限、航空機の扱いなどそれまで考えてもみなかったことを交渉しなければならないのですから日本はそれまで何の定見も持たなかった様々な物事にいきなり決断を迫られた形になっています。ロンドン会議の結果が統帥権干犯問題にまで発展するほどに議論を呼んだにもかかわらず、ワシントン会議の経緯が後からさほど批判されないのはその結果に満足する、しないといった問題以上に日本海軍にとって、この会議をめぐっての周章狼狽にもう触れたくない、という潜在的な思いがあったのかもしれません。

 それではアメリカがドイツ崩壊後の仮想敵国を日本に設定し、そのために主力艦保有制限を押し付けたかといえばそんなこともありません。確かにアメリカ海軍はドイツ海軍の消滅後、日本海軍を主たる仮想敵と定めるようになっていますが、アメリカという国家にとって、いくら自国の海軍が日本艦隊を仮想敵と定めて研究していようとも、日本海軍を東アジア方面のアメリカ通商保護活動にとっての脅威と見做すことなど不可能だったからです。なぜならアメリカの貿易に占めるアジアとの取引は全体の10%に過ぎない、ほとんど取るに足らない額でしたし、その僅かな貿易の大半は他でもない日本を相手としたものだったからです。アメリカが軍備の方向性を変えたとしたら、そのとき変わったのは仮想敵国ではなくまず国防の概念でなければなりません。

 アメリカではワシントン会議以降、1933年まで長い共和党政権時代が続きます。この時代にハーディング、クーリッジ、フーバーと三代の大統領がほぼ共通した政策を掲げて軍備計画を左右します。アメリカ海軍の戦艦群を取り囲んでいたものは、1920年に共和党が「Return to normalcy」のスローガンを掲げて、1920年度に1億4000万ドルにまで膨れ上がった海軍予算(1904年には3400万ドルだった)を槍玉に上げてキャンペーンを繰り広げた流れの中でのワシントン会議であり、ミッチェルの爆撃実験であり、海軍内部での航空関係者、潜水艦関係者の動きであったり、大して影響はなかったものの国内平和主義者達の運動であったり、そしてそれから続く海軍に冷淡な共和党の長期政権であった訳です。

 1920年代のアメリカ国防方針は世界一の大国としては小ぢんまりとしたものでアジアでの日本の覇権を黙認し、それと争うために血を流す価値を認めていません。アメリカはかつてのイギリスがそうしたように軍事、経済両面で積極的に世界のリーダーシップをとることに執着していませんし、その対価を払うつもりも無いのです。その結果、軍事面でもモンロー主義的な色彩の濃い抑制された政策が採用され、後のフーバー時代に「西半球防衛」という概念に整理される国防方針の原型が1920年代前半に固まります。

 こうした国防方針の下で現有の艦隊は十分過ぎるほど強力であると判断されます。ようやくイギリス海軍に追いつきつつあったアメリカ海軍にとってみれば晴天の霹靂ですが、政策としては至極真っ当なものです。金本位制を揺るがす世界恐慌を巻き起こしたり、もう一度ドイツとの戦争に陥る遠因はこのような世界に対する投資と軍事介入に消極的な政策にあったとも言えるでしょうが、何といってもお蔭様で世界はそれから20年弱にわたって平和に過ごすことができたのですから。

 そして共和党政権が海軍軍備を抑制したもう一つの背景には、それまで世界一の海軍国だったイギリスに対して建艦競争を挑んだドイツと同じような位置にアメリカが立っているという認識があります。条約前の主力艦数ではまだイギリスより一回り小振りのアメリカ海軍ではあっても、各艦の艦齢が若く設計が新しいことから戦力としてはほぼ同等であると自覚していますし、このまま戦艦の建造を続けて行けばイギリスを不必要に脅かし、イギリスが日本へ再接近する可能性を摘み取るためにもアメリカ海軍は不要な兵力を削減するべきだと判断されています。

 日本海軍そのものへの評価も、イギリス設計の巡洋戦艦「金剛」型4隻を除けばまともな戦艦は「長門」だけでしたから兵力を削減しても軍縮条約で新規建造さえ押さえ込んでおけば大した脅威とは認められず、アメリカにとって摘み取るべきリスクはイギリスとの建艦競争(必ずアメリカが勝ってしまう)に陥ることで加速される可能性が認められた日英同盟の再興だけだったのです。条約締結後の「海軍休日」時代にアメリカがイギリスに花を持たせる形で条約の保有制限よりもひと回り小さい兵力を保った第一の理由はここにあります。公刊戦史に書かれているような「急膨張を続けている日本の海軍力を相対的にある程度に制限すべき弾圧的方策を執るに至った」といった「日本叩き」的認識だけでは誤解を助長するばかりです。

3月 20, 2009 · BUN · 5 Comments
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5 Responses

  1. アラスカ - 3月 20, 2009

    なるほど。
    と言うことは、ロンドン会議当時のアメリカ海軍の「一番の仮想敵」はイギリス海軍だった事になるのでしょうか?

  2. BUN - 3月 21, 2009

    アラスカさん

    アメリカ「海軍」は確かにイギリス海軍を良く思っていません。
    軍縮会議をどうやっても結局イギリス優位になってしまう、アメリカ海軍は軽くあしらわれている、という気持は確実にありますね。

  3. fff - 3月 22, 2009

    WWIのときに、金剛級を大西洋に出せなかった理由にアメリカ太平洋艦隊
    とのバランスが崩れると言う話があったように思います。
    (米軍は未参戦)
    仮想敵と言うよりも、要はパワーバランスと言うことですよね。
    これ如何によっては、外交そのものが変化して仕舞いかねないので、
    アメリカが政治によってこれをコントロールしていたというのは至極
    当然かつ、賢明な事のように思います。

  4. アラスカ - 3月 22, 2009

    >>要はパワーバランスと言うこと
    なるほど。

  5. fakeKilroy - 3月 27, 2009

    > なぜならアメリカの貿易に占めるアジアとの取引は全体の10%に過ぎない、ほとんど取るに足らない額でしたし、その僅かな貿易の大半は他でもない日本を相手としたものだったからです。

    この記述前後には目から鱗がとれた思いをいたしました。共和党という政党の「性格」とともに、この視点はとても重要であると考えます。

    > 公刊戦史に書かれているような「急膨張を続けている日本の海軍力を相対的にある程度に制限すべき弾圧的方策を執るに至った」といった「日本叩き」的認識だけでは誤解を助長するばかりです。

    言われてみれば確かにその通りと (ry

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