防弾装備は役に立ったか?
軍事マニアと戦闘機の話をすると決まって話題に上がるのが防弾装備です。防弾装備が無いことが致命的な罪であるかの如く扱われるのが常ですが、そんな事を言い出したら天下の名機スピットファイアの主タンクなど殆ど終戦まで無防弾であります。だからといってスピットファイアがどんどん火に包まれて墜落していたかと言えばそんなことはありません。Ta152Hの燃料タンクもまったくの無防弾ですね。
では我らがソ連空軍戦闘機の防弾装備はどんなものだったのでしょうか。
第二次世界大戦レベルの防弾装備といったら、パイロット背面を守る防弾鋼鈑と燃料タンクへの被弾時に燃料漏れを止めて発火を防ぐセルフシーリングタンクを装備していることですが、このセルフシーリングタンク(日本では通称「防弾タンク」)にも外装式に積層ゴムでくるむ方法とタンク内側に積層ゴムの袋を仕込む内装式(日本では「内袋式」)のものがあります。この内装式が優れている点は被弾貫通したときにゴムが破口を塞ぎやすいことですが、外装式が大きく劣るというほどではありません。
理想は内装式セルフシーリングタンクと防弾鋼鈑、それに加えて視界を妨げない防弾ガラスなのですが、ソ連空軍戦闘機にはそれらが装備されていたかといえば・・・・・多くの同志諸君がご存知の通り、装備されております。
ソ連戦闘機はパイロット背面の防弾ガラス装備こそ戦争末期まで待たねばなりませんが、1940年ごろから量産に入った新世代の戦闘機には防弾鋼鈑に加えて内装式のセルフシーリングタンクを装備するようなっています。内装式のセルフシーリングタンクは積層ゴムが直接航空燃料に触れてしまうので、ゴムを保護する材料が必要ですが、ソ連はフェノール樹脂のナンタラカンタラ(難しい化学用語っこさぁ忘れたっぺ)で日本の「カネビヤン」と同様の効果を得ています。
でもって大事なこと。
第二次大戦レベルで開戦前からそれなりの水準で達成されていたソ連戦闘機の防弾装備は役に立っていたかといえば、その答は今まで書いてきた驚異的大損害を解決できるようなものではなく、むしろ終戦まで続くソ連空軍の大きな損害は防弾装備が充実していた上でのものだったということです。防弾装備の必要性は認識されていたのですが、ドイツ戦闘機の武装が20mmクラスの大口径主体に移行した1940年代のロシア戦線で、その果たした役割は限定的なものだったということで、ちっとも減らない損害に1943年半ばのソ連空軍はまた頭を抱えてしまいます。
そうして頭を抱えて悩んだ後に得た結論は「ドイツ戦闘機に対して性能的に大きく優位に立たないと損害は減らない」というものです。「機材の損害は簡単に補充できるがパイロットの損害は補充しにくい」という健全な認識を緒戦からずっと血まみれで戦い続けたソ連空軍でさえも持っていたのです。
そこで始まるのが新世代戦闘機の開発です。
3月 7, 2008
· BUN · 2 Comments
Posted in: ソ連空軍, ソ連空軍復活の背景
2 Responses
NG151/20 - 1月 2, 2009
こちらでは初めまして、
AnsQで愚問、駄問を連発してお騒がせしている者です。
BUN先生がブログをやってるなんて存じませんでした。
書かれている内容もビックリですが、特に驚いたのは
>スピットファイアの主タンクなど殆ど終戦まで無防弾
とのこと、
でまったく理解不能なのは
>だからといってスピットファイアがどんどん火に包まれて
>墜落していたかと言えばそんなことはありません。
燃料タンクが小さい、ドライウィングで主翼にタンクがないなどの理由を考えても、到底納得できません。
AnsQもどきになって恐縮ですが、なぜ無防備のタンクなのにスピットは炎上・墜落が少ないのかご教示ください。
また、確か、第二次世界大戦ブックス(赤本)でスピットの装甲は91kgとありましたが、それは防弾鋼板のみだったのでしょうか?
さらに重防御のソ連戦闘機が、それでもドイツ軍機の20mm砲以上でバタバタ墜とされたことは、20mm砲に対しては防御は無効・無意味という、一式陸攻開発時の日本海軍の判断は正しかったということなのでしょうか?
BUN - 1月 4, 2009
NG151さん
あけましておめでとうございます。
こちらでもよろしくお願いします。
スピットファイアの燃料は半分以上が無防弾のタンクに搭載されていますが、御存知の通り大きな損害に苦しむことなく終戦まで戦い続けています。それは性能的に優位にあったことと、航空戦そのものに勝利していたことが最大の理由です。負け戦を戦っていたなら防弾タンクが完備されていたとしても損害を重ねたことでしょう。有利な戦いができなければ防弾タンクがあっても損害はあまり減らないということです。
Leave a Reply