突発的ではないエアコブラの好評

 ソ連にレンドリースで供給された米軍戦闘機の中でP-39が非常に好評だったことはよく知られていますが、この「好評」は「使ってみたら意外に良かった」「欧州や太平洋では不評だったがロシア戦線の戦闘と自然環境には適していた」といった理解が殆どだと思います。

 確かにそれはその通りなのですが、この「好評」を生み出したもう一つの大きな要因として「前から欲しかったものが手に入って、非常に喜ばしい」というものがあります。

 1939年、P-39の情報を入手したソ連空軍は同じようなミッドシップ型のエンジン配置と軸内大口径機関砲を採用した戦闘機の研究をスホーイに命じて幾つかの試案を得ています。

 もともとソ連空軍は戦闘機の性能を革命的(この言葉をこの国で使うと別の意味が加わりそうで妙な気分ではありますが)に高めるためには推進式双胴など高速化のための新しい機体設計を模索していますが、ミッドシップ配置と三車輪式の降着装置、軸内機関砲という組合せはP-39の実績を見るまでもなく、ソ連空軍にとって魅力のあるものだったのです。

 そう考えてみればLaGGやYakなどに搭載されたイスパノ12Y系発動機はモーターカノン対応が売りのエンジンですし、Yak9Tなどは37mm級機関砲の軸内装備という点では実にP-39ライクな機体と言えます。P-39受領後もP-39的な武装とエンジン配置の戦闘機の研究が行われていますし、開発史的に眺めるとソ連の「エアコブラ史」は「伝え聞く有望新型戦闘機情報を元にした新戦闘機案」に始まり「それに近い武装方式の戦闘機」と「レンドリースによる実機の供給」を経て「それを元にしたオリジナル戦闘機案」へと繋がっています。意外にも活躍したP-39という逸話にはそんな背景もあります。

3月 7, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: ソ連空軍, ソ連空軍復活の背景

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