「イタリア抜き」でも負け

 東部戦線の航空戦は地上攻撃が非常に重視され、地上部隊の支援が出撃の大半を占めて、戦略爆撃はおろか航空撃滅戦ですら下火です。これは東部戦線の航空戦そのものが低調だったからではなく、独ソ両軍とも航空支援を必須とする機動突破作戦を理論通りに、かつ大規模に繰り返したので他の任務に充てる戦力が無かったというのが実状です。

 地味な地上攻撃が主体であっても航空兵力は機動突破作戦の成否を握る存在で、両軍とも航空支援無しの突破が望めないことをよく知っています。ソ連空軍再建の真っ最中だった1942年夏までにソ連軍が実施した攻勢作戦が失敗したのも、ソ連陸軍の機動戦理論の未完成と共に航空兵力の不足が大きく影響しています。

 ソ連空軍としては1942年一杯を空軍再建と再編成に使い、大反攻作戦に備えたかったのですが、戦争ですから相手もあればアレもコレもと事情があり、中程度の攻勢に不完全な状態の航空戦力を投入しなければなりません。そのために1942年の夏はソ連空軍にとって非常に苦しい時期となります。

 ドイツ軍が1942年の夏季攻勢を開始した際、ドイツ第四航空艦隊には1150機の可動機がありましたが、苦戦を続けていたソ連空軍は1942年9月の段階で270機の可動機を持っていたに過ぎません。可動機の比率もドイツ第四航空艦隊で攻勢開始時に75%を保っていたのに対して、防戦にあたるソ連空軍は40%程度の可動機/保有機比率です。

 こうして眺めると航空戦力の消長が陸戦の勝敗を握っているのがよくわかります。

 ソ連軍は再建途上の空軍を不完全なまま投入したために攻勢に失敗し、それによって戦力をすり減らし、弱体化したところへドイツ空軍が第四航空艦隊に千数百機を集中したのでドイツ軍の夏季攻勢は成功したということです。地上軍主体の戦史だけを読むと概ね陸戦の駆け引きのみで語られていますから、ソ連軍がよほど愚鈍だと決め付けない限り何故ドイツ軍が突破に成功したのか十分に納得できませんが、空から見ると東部戦線の戦局推移とその理由は極めて明快です。

 しかし全体として再建途上にあり、前線への兵力補充を細らせても戦略予備の蓄積に努めていたソ連空軍の状態は徐々に回復してきます。11月19日にソ連軍が大反攻を開始した時点ではソ連空軍はこの方面に800機の可動機を持つまでになって、可動機/保有機比率は75%に回復しています。一方、進撃と共に基地を前進させ続け、補給線が伸び切っていたドイツ第四航空艦隊はブラウ作戦開始時に75%だった可動機/保有機比率を11月20日には全体で55%に落としています。可動機はソ連軍の半分、たった402機しかありません。スターリングラード方面から800機を集中して攻勢に出るソ連空軍に対して、これだけの兵力でそれに反撃し、なおかつコーカサス地方一帯の地上軍を守れという方が無理なのです。

 ソ連軍が反攻を開始してスターリングラードのドイツ第六軍を絶望的に孤立させるまで、天候に妨げられずに攻撃を実施できた11月23日から11月30日の間にソ連空軍は3760ソーティの攻撃を行い、地上軍の前進を掩護しています。この密度で攻撃が実施されていれば、防衛にあたった地上軍が同盟国軍ではなくドイツ軍であっても結局は突破されていたことでしょう。東部戦線の地上戦とはそうしたものだからです。
 「弱体な同盟国軍だったから突破を許した」というのはどうも戦後の言い訳に聞こえてきます。

3月 7, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: ソ連空軍, ソ連空軍復活の背景, ドイツ空軍

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