「Tiger Force」の顛末

 今回はほんの少しだけ目先を変えてイギリス空軍爆撃機コマンドの対日戦準備について紹介いたします。

 ヨーロッパでの戦争終結に目途がついた1944年秋、イギリス空軍は東南アジア、太平洋方面へ兵力転用を計画し始めます。イギリス空軍の打撃力はその爆撃機コマンドが担い、爆撃機コマンドはランカスター爆撃機を主力としていましたから、検討すべき課題とは東南アジア、太平洋戦線へランカスターを派遣できるか否か、これ一つです。

 太平洋戦線の特徴は熱帯の気候もさることながら、拠点となる友軍航空基地から爆撃目標までの距離がヨーロッパとは桁違いに長いことです。特に最終的な目標である日本本土の爆撃にはヨーロッパで活躍していたイギリス、アメリカの爆撃機はほぼ使えません。日本本土空襲が可能な爆撃機は実戦投入が開始されたばかりのB-29しかなく、もしイギリス空軍がそれに匹敵する行動半径の爆撃機を配備できるのであれば、連合軍全体として極めて魅力的な話です。

 イギリス空軍の東南アジア、太平洋方面派遣部隊は各機種の部隊を包括して「Tiger Force」と呼ばれ、派遣は対ドイツ戦終結後の1945年9月に予定され、1945年1月から編制準備が開始されます。爆撃機部隊の護衛戦闘機としてはテンペストⅡとホーネットが予定されますが、肝心の爆撃機については現行のランカスターは使えません。そして太平洋戦線につきものの長距離洋上航法もイギリス空軍爆撃機コマンドにとってはかなり高めのハードルでした。

 そこで試作中のランカスターMk.Ⅳ、Mk.Ⅴに白羽の矢が立ちます。現行ランカスターの拡大改良型となるMk.Ⅳ、Mk.Ⅴは後にリンカーンMk.Ⅰ、Mk.Ⅱと改称され、現行のランカスターの後継機として量産の準備が進められますが、当初、ランカスターを名乗りながらも各コンポーネントの40%が共用できるだけの事実上の別機であるため生産転換に手間取り、1945年9月の量産開始予定さえおぼつかない状況となります。イギリス空軍はランカスターからリンカーンへの生産転換に約1年間必要と説明しますが、連合軍としてはそうした悠長な話は受け入れられず、リンカーンの派遣計画は放棄されてしまいます。

 リンカーンが間に合わない以上、現行のランカスターを派遣するための改造計画が研究され、燃料搭載量の増大を主とした改造が行われます。ドイツ本土への爆撃作戦で4000ポンドの爆弾搭載量を標準として出撃していたランカスターには、それまでにトールボーイとグランドスラムという超大型爆弾の搭載計画があり、これら超大型爆弾の搭載経験から重心さえ大きく移動しなければ超大型の燃料タンクの追加が可能と判断されます。この改造を施されたのは製造番号HK541とSW244の2機で、操縦席後方に容量1500ガロンのサドルタンクが大きく被さる異様な外観となっています。

 しかし1500ガロン固定増加タンクを装備し、爆弾搭載量8000ポンドとなったHK541は安全な離陸のために舗装滑走路長2000ヤード以上が必要とされ、東南アジアの環境では2300ヤード以上の滑走路長が必要とされることが判明します。この制限は極東方面のイギリス空軍にとっては相当厳しいもので、そのために1500ガロン固定増加タンク装備計画も放棄されてしまいます。操縦席後方がおおきく膨らんだ巨大燃料タンクという空恐ろしい爆撃機が配備されなかったことは、それはそれで良かったのかもしれません。けれども滑走路問題は開戦前にも持ち上がっていましたし、結局、この計画に対するイギリス空軍の熱意の問題にも見えてしまいます。

 1500ガロン巨大増加タンク計画の次に検討されたのは空中給油です。爆撃機コマンドの装備するリンカーン(生産遅延のため計画中止)、ランカスターのうち600機をタンカーに改造して同数の爆撃機型ランカスターに空中給油するという案です。この案は空中給油実験も行われて実用化の見込みも十分にありましたが、装備する爆撃機兵力がタンカー改造によって戦力半減してしまい、しかもタンカー改造機はもう潰しが利かないという問題が指摘されて、これもまた放棄されますが、現実にはランカスターの供給は1945年には明らかに過剰でした。同じ作戦に倍の機数を運用しなければならない空中給油計画の規模にイギリス自体が耐えられなかったというのが本音かもしれません。

 結局、ランカスターの改造は爆弾搭載量と航続距離の面で妥協を重ねた結果、かなり穏便なものになります。胴体上方の動力銃塔を廃止して節約した重量で爆弾倉後方に400ガロンタンクを増設し、燃料搭載量2544ガロン、爆弾搭載量 最大7000ポンド(通常状態は4000ポンド)というスペックに落ち着きます。上方銃塔は省略されましたが、50口径連装機関砲が標準化されたことで銃塔あたりの火力は増大しています。この改造機の航続距離は3180マイル(5118キロメートル)とされています。改造機はランカスターMk.Ⅰ(F.E.)、Mk.Ⅶ(F.E.)と命名され、Mk.Ⅲベースの機体はパッカード製マーリンの供給縮小のために製作されていません。ランカスターの量産も当然のように終戦を見込んでいます。

 また爆撃機コマンドの不安の種だった長距離洋上航法も中央航法学校が準備したランカスター改造機(製造番号PD328)によって1944年10月から収集されたデータが参考にされ、洋上航法用の装備の追加が行われます。

 極東向け改造型を装備する「Tiger Force」のランカスターは合計30スコードロンが準備され、その2/3はカナダ空軍所属機で構成される予定でした。配備先はカナダ空軍所属機の大半を含む20スコードロンが沖縄に向けられ、残る10スコードロンが東インドへ配備される計画です。そして東インド方面への配備部隊には高高度精密爆撃だけではなく、ビルマ方面の攻勢を支援する目的で低高度の地上支援爆撃の訓練も要求されます。しかし同方面の日本軍が総崩れ状態にあったことからランカスターの地上支援作戦への投入計画もあっさり放棄されてしまいます。

 その他に「Tiger Force」配備のランカスターにはグランドスラム、トールボーイ搭載機があり、第9スコードロン、第617スコードロンにはグランドスラム、トールボーイ対応のMk.Ⅶスペシャルが少数ですが実際に配備されています。この特殊爆撃機の配備計画も爆撃の効果を増大するためだけでなく、本音としてはこのような超大型爆弾を使用することで出撃回数と機数を減らす目的があるようにも思えます。

 このように妥協に妥協を重ねながら準備された「Tiger Force」の出発はそれでも当初の1945年9月から遅れに遅れ、11月20日を最終的な出発日としたところで日本の無条件降伏を迎えることになります。「Tiger Force」は壮大な遠征ではありながら、どこからともなく「行きたくない」という呟きが聞こえて来るような計画ですね。たとえ日本が無条件降伏しなくとも、果たして1945年末の九州上空にランカスターMk.Ⅶ(F.E.)の姿があったかどうか・・・。

9月 24, 2008 · BUN · 3 Comments
Posted in: イギリス空軍

3 Responses

  1. おがさわら - 9月 26, 2008

    FEって、far eastの略?

    ぶっちゃけ、行かなくてもアメさんだけでなんとかなっしょというのが本音だったんだけど、面子とかもろもろあるんで、いちお体面上はやってみたとか、そんなかんじっすね。

  2. BUN - 9月 26, 2008

    その通り。
    RAFはくたびれ果ててるんです。
    けれどご紹介した通り、戦略爆撃作戦にはいつでもどこでも何かしらの「兵力不足」がつきまとっていますから、アメリカは「出せ」という。
    このあたりが「味」のある部分です。

  3. BUN - 10月 1, 2008

    扶桑さま

    ごめんなさい。当方の操作ミスでせっかくの書き込みを消去してしまいました。申し訳ありません。

    とりあえず、私のレスのみ復活。

    ありがとうございます。
    確かにRAFの本音が透けて見えますねえ。カナダにやらせたい、残りのカナダ部隊は解隊してよいからイギリス本国空軍はできるだけ復員させたい、という気持ちが染み出ているような計画です。通常爆弾での戦略爆撃は人もお金も大変なんですね。

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