政治的に正しい爆撃作戦

 1938年9月にイギリス空軍の爆撃作戦計画はもう一度大きく変更されます。ご存知の通りチェコを巡る危機に対応したものです。ここでイギリス、フランス両国が対ドイツ宥和政策を選んだ理由はいろいろ説明されて来ましたが、1935年に再軍備を宣言したドイツと同様に、ドイツの再軍備に至る情勢を見てからイギリス、フランスの再軍備が始まったのですから、その進捗状況は実際に戦争を行うには程遠い状況だったことはここで紹介した通りです。

 再軍備が完了するまで戦争を先延ばししなければならないけれども、もし、仮に戦争が勃発してしまったら、前大戦のような後戻りのできない血まみれの戦いにならないように制限された戦争に留め、自国の軍備充実まで本格的戦争へ発展させないよう、そしてもし望めるならドイツの翻意を促そうという目的の「爆撃作戦」が研究されます。

 こうした枠組みの煮え切らない戦争を戦うための爆撃作戦で重視されたのが、敵国の市民を巻き込まず純粋に軍事力のみを対象とした爆撃を行う制限爆撃です。空軍内では戦争法に照らして厳密に爆撃を行なうという方針は爆撃機コマンドにとって致命的なものと考えられ、戦争法に適合した制限爆撃といった発想が実際の航空戦においてはお笑い種であることも十分に認識されていたのです。とは言うものの、どちらにせよ対ドイツ爆撃を有効に行える大型で高性能な爆撃機部隊はまだまったく配備されていません。そのために対ドイツ制限爆撃はかなり本気で研究されることになります。

 そこで引っ張り出されて来たのが「Western Air Plan」の7番、すなわちドイツ海軍への攻撃です。一般市民を巻き込まない爆撃目標で、しかもイギリス海軍にとって最も都合の良い目標でしたから有力な反対意見がありません。そこでドイツ艦艇とキール、ヴィルヘルムスハーフェンといった軍港とキール運河の攻撃が検討されます。けれども艦艇攻撃に必須の奇襲性を保つために必要とされた払暁攻撃は往路が夜間の北海洋上を編隊で飛ぶことになるため、正確な航法ができないことから放棄されてしまいます。そして昼間攻撃はホイットリーの飛行性能と防御火力の不足から実施不能と判断されます。当時のイギリス空軍の錬度はこの程度のものでした。

 空軍がドイツ艦隊を有効に攻撃できないと予想されたため、海軍の態度も冷たいものとなり、爆撃機コマンドの攻撃が不完全であっても敵艦隊を軍港からいぶり出せばイギリス本国艦隊がこれを撃滅できるとの空軍の主張も「その程度の攻撃でドイツ艦隊が出動するとは考えられない」と一蹴されてしまいます。

 それでも爆撃機コマンドは最低限1隻のドイツ戦艦を撃沈することを目標に作戦研究を行いますが、実は致命的な問題がありました。「主力艦攻撃用大型爆弾が1発も無い」というとんでもない話です。当時のイギリス空軍が艦艇攻撃用の用意できた大型爆弾は最大500ポンド爆弾でしかなく、これでは戦艦撃沈はおぼつきません。つくづくイギリス空軍というものは艦艇攻撃に向いていないものです。爆弾が駄目なら魚雷で、とも考えてしまいますがイギリス本土からドイツ軍港を攻撃できる長距離雷撃機は存在しませんから雷撃に戦術転換することさえできません。

 キール運河攻撃も、その閘門を破壊するためには爆弾の威力が余りにも不足していました。運河通過中の商船を撃沈して運河を閉塞してしまう戦術も検討されましたが、民間人の乗船する一般商船の撃沈は制限爆撃の枠をはみ出してしまいます。

 そこで最後の選択肢として軍港施設の攻撃が検討されます。爆撃機の行動圏内にあるドイツ港湾全てがリストアップされ目標として検討されますが、本来であれば最重要目標であり中距離爆撃機の行動圏内にもあるキール軍港さえ爆撃目標から外されて、目標はヴィルヘルムスハーフェンに絞られてしまいます。その理由は古いキール軍港は市街地が発達しているため制限爆撃の枠から外れてしまうというものです。

 イギリス空軍が1939年まで1000ポンド爆弾の生産ラインを稼動できなかったことはこの国の空軍が最初からどっちを向いて軍備を整えていたかを示唆する重要な事実ですが、それよりも何よりも、都市爆撃は論外として、工業に対する爆撃、輸送システムに対する爆撃といった目標選定も制限爆撃下では採用できず、爆撃法も夜間地域爆撃は論外で昼間高高度爆撃も駄目、損害を無視して低高度爆撃を採用せざるを得ない以上、爆撃作戦そのものを見直さなければなりません。

 その結果採用された「爆撃法」はドイツ国内に対する夜間侵攻作戦です。夜間爆撃機がドイツ本土奥深くに侵入し、イギリス空軍の実力を示してヒトラー政権に脅威を与え、同時にドイツ国民の士気を崩壊させる目的で「宣伝文書を撒布する」というものです。この作戦は第二次世界大戦が勃発すると本当に実施されます。1940年5月のフランス進攻までの間に夜間爆撃機ホイットリーはこの任務で飛び続けています。

 戦争法に照らして厳密に爆撃作戦を検討するとこうなる、という見本のような話ですけれども、一般市民を巻き込まず、人道上恥じることの無い爆撃作戦とは「爆弾を投下しないこと」でした。伝統ある戦略空軍が本気でこの問題を考えざるを得なかったとき、採用された戦術はこれだったのです。

9月 21, 2008 · BUN · 2 Comments
Posted in: イギリス空軍

2 Responses

  1. おがさわら - 9月 22, 2008

    いしかわじゅんのうえぽんに出てきた、人道兵器を思い出した。

  2. BUN - 9月 23, 2008

    「精密爆撃は人道的・・」なんて、戦前でさえ誰も考えてなかったということです。最近出た某新書の読者さんたちはこのあたりを本気で考えてほしいなぁ・・・・なんて、私は思いません。ただ「あるもはある」と紹介するだけでございます。

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