英空軍の爆撃目標研究

 イギリス空軍は最も早い時期から最も深くドーウェ主義に影響を受けた空軍です。けれども1933年から現れたナチスドイツという新たな脅威に対して再軍備を開始したとき、その兵力はドーウェ主義を実行に移すには小規模かつ旧式でしたから、まず機材の更新を実現することが第一の課題となり、対ドイツ航空戦に関する具体的な作戦研究が遅れてしまいます。

 機材更新が進み、ようやく全金属製機が行き渡りつつあったイギリス空軍では対ドイツ航空戦をロンドン防空中心から攻撃的航空戦として考えることができるようになります。それまでの旧式機材ではドイツ爆撃など不可能に近かったからです。イギリスにとってドイツ内陸部への爆撃作戦は様々な点で困難でした。

 第一に長距離の洋上飛行があります。これはお互い様ですが当時としては重要な問題です。中立国の存在も大きな障害です。対ドイツ開戦時に低地諸国が中立を維持していたらその上空を通過してドイツへ向かうことができません。北海からオランダとデンマークの間を抜けて侵入するしかない上に内陸深くに主要目標があるドイツ爆撃はイギリス空軍再軍備第一陣の新型爆撃機だったバトルやブレニムにとっては荷が勝ち過ぎる作戦なのです。

 そんな中で1937年5月、対ドイツ爆撃作戦研究が命じられ、10月に試案がまとまります。「Western Air Plans」と呼ばれた試案は1から13までの爆撃目標が採り上げられ、当時,考え得る目標を網羅していました。けれどもイギリス空軍の現状でそれら全ての爆撃作戦を実施できる規模には遠く及ばないことは誰もが承知していましたから、爆撃目標は13種の目標の中から優先順位の高い3つに絞り込まれます。W.A.1、W.A.4、W.A.5と略称された爆撃作戦は次のようなものです。

W.A.1 ドイツ空軍第一線部隊と整備組織、ドイツ航空機工業
W.A.4 ドイツの軍事輸送システム(鉄道 水運、自動車輸送)の破壊による動員の妨害と低地諸国への侵攻の妨害
W.A.5 ドイツの工業への攻撃 ルール地方とルール地方以外の工業目標、それらと北海、バルト海を結ぶ水運の破壊

 こうした目標選定を誰が行ったのかといえば、前年の組織改革で生まれた「航空目標情報委員会」がそれを担っています。爆撃作戦のターゲッティング専門組織をイギリス空軍は1936年から持っていたということですが、良い事ばかりではありません。組織があっても当時のドイツ空軍に関する情報は実に限られたもので、総兵力も不明なら、どんな機種がどんな性能でどこで造られているといった情報も曖昧でした。そして平時に使用されている民間空港の位置は把握できていても戦時に利用されるはずの軍事専門の航空基地の位置と数は全く不明でした。しかも、この作戦計画の実施は1939年を想定していたのにもかかわらず「航空目標情報委員会」には1939年度に予想されるイギリス空軍の総兵力、機種構成などに関する情報さえ与えられていません。航空省との委員会の間で情報交換がなされないためにW.A.1、W.A.4、W.A.5の作戦研究は遅々として進まない事態となります。

 ただでさえ地理的に不利な上に中立国の存在があり、航続距離の短いバトルやブレニムにはどうにもならない長距離爆撃を強いられることと、イギリス空軍も武装の貧弱なバトルやブレニムでは敵戦闘機の攻撃に対抗できないと考えていたことからW.A.1、W.A.4、W.A.5は具体的な作戦計画の体を成さないまま月日を過ごしてしまいます。夜間爆撃機のホイットリーは航続距離はある程度ありますが、昼間爆撃に使用できる性能とは考えられていません。苦し紛れに爆撃機を護衛する長距離戦闘機の要望が爆撃機コマンドから出ていますが、爆撃機の行動半径でさえ十分でないのに長距離戦闘機ができる訳がありません。敵戦闘機の問題はこれから配備されるハンプデンやウェリントンの武装を強化することで解決できる、ということで長距離戦闘機計画は流れてしまいます。

 けれどもこの作戦研究の過程で出てきた様々な主張には面白いものがあります。ドイツ空軍の撃滅に関しては飛行場に対する爆撃演習が行われ、分散秘匿した飛行機を高高度爆撃で破壊することは困難であることも確認され、ドイツ空軍を撃破するのであればその装備する軍用機の工場を破壊するのが最も効率的との主張が現れます。このあたりはアメリカのAWPD-1に近い考え方です。

 またドイツ工業に対する爆撃では、工業生産全体の46%を担うルール地方の目標をどう破壊するかといった議論が交わされますが、ここで電力施設への攻撃、とダム破壊という案が浮上します。大戦中に実際に行われたダム攻撃の原型のような発想が生まれているのです。またドイツ工業が水運に依存していることから工場施設そのものの破壊よりも水運を破綻させることが有効ではないかとの主張も現れます。

 ここまで見てきて気が付くことはイギリス空軍が1937年から1938年にかけて研究していた爆撃作戦計画には大都市壊滅による敵国民の士気崩壊という発想が無いことです。全てが高高度精密爆撃を基本として、そのバリエーションで低空爆撃、夜間爆撃が考えられています。夜間爆撃も目標は変わりません。

 それではイギリス空軍が昼間高高度精密爆撃を主体とすることで、非戦闘員の被害を避けていたのかといえば、そんなことはありません。工場や鉄道駅、水運関連施設を爆撃すればどうなるのかをイギリス空軍はよく知っています。もしイギリス空軍が爆撃による非戦闘員の被害を本気で避けようとした場合、それはどんな作戦になるのでしょう。
 面白いことにそのサンプルも実在します。

9月 20, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: イギリス空軍

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