英空軍が夜間爆撃に転じた理由

 今回はイギリス空軍の爆撃機コマンドが夜間爆撃を選択した背景を追いかけます。1943年後半にアメリカ爆撃機部隊が夜間爆撃の採用を検討せざるを得なかったようにイギリス空軍もより早い時期に夜間爆撃を主とする方針転換を行っています。

 1920年代から戦争終結までイギリス空軍の爆撃ドクトリンはあくまでも昼間精密爆撃を主体とするもので、夜間爆撃は昼間精密爆撃による損害回復を妨害するための補助手段として位置づけられています。昼間精密爆撃の戦果があって初めて夜間爆撃の効果が上がるという昼夜連続爆撃という概念がイギリス空軍の爆撃ドクトリンの基本です。そのためにイギリス空軍は夜間運用に特化した爆撃機を独立した機種として設けてそれは実際に就役して実戦に参加しています。それがホイットリーです。ホイットリーは初期には宣伝文書を散布するためにドイツ上空へ飛び、1940年5月からは軍事、工業目標に対する夜間爆撃を開始しています。

 一方、昼間精密爆撃を担う主力の中型、大型爆撃機は爆撃機編隊の防御火力と高速によって敵戦闘機の攻撃を排除しつつドイツ国内に侵攻できると考えられていましたが、さすがのイギリス空軍も敵軍の防衛体制が予想以上に強力な場合は選択肢として夜間爆撃への一時的な転換の可能性を考慮しています。この考えは既に1932年から検討されていて、1934年度以降の計画機には夜間爆撃能力が求められています。また1932年度計画のハンプデンやウェリントンにも1935年度夜間爆撃能力の付与が決定され、ハリファックス、マンチェスターといった1936年度計画の爆撃機は夜間爆撃への対応を本格的に盛り込んだものとなっています。

 この夜間爆撃への対応とは、航法能力や諸設備もさることながら、爆弾搭載量の増大が特徴です。一般にイギリス空軍の大型爆撃機はアメリカの大型爆撃機よりも爆弾の大量搭載に適した構造と装備を持っていますが、それが採用された理由とは、単にイギリス空軍の「好み」ではなく、夜間爆撃能力にあります。昼間精密爆撃が敵の強力な防衛体制によって大損害が見込まれる状況となって夜間爆撃に戦術転換する場合、昼間精密爆撃と同じ爆撃精度は望めません。そのために多少飛行性能を犠牲にしても爆弾搭載量を増加することができるように爆撃機を造り上げていたという訳です。

 これはイギリス空軍が夜間爆撃であっても昼間精密爆撃と同じ目標を破壊しようと考えていた一つの証拠と言えます。昼間精密爆撃より爆撃の精度が劣るためにより多くの爆弾を投下する必要があるという考え方と、夜間無差別爆撃をより大規模に行うために爆弾搭載量を増やすという考え方はよく似ていますが戦術思想としては別のものです。とにかく夜間爆撃に対応する爆弾大量搭載を意識した機体設計がイギリス大型爆撃機の特徴の一つになります。

 そして第二次世界大戦開戦を迎え、爆撃機コマンドは予想外の出来事に驚きます。1939年中の航空戦でウェリントンやハンプデンが敵戦闘機によって見る間に撃墜されてしまうとう事実です。1932年度計画のウェリントンやハンプデンは高速であるために敵戦闘機から側面攻撃を受ける可能性が低いとの予想によって側方射界を軽視した武装配置を採用しています。日本で言えば「銀河」のようなものです。けれども実際に空中戦時のウェリントンは敵戦闘機の攻撃を制限できるような速度では飛んでいなかったのです。

 1936年度計画の爆撃機であるハリファックスやマンチェスターは動力銃座を装備していましたが、速度の面では問題を抱えています。原計画では巡航速度300マイルを努力目標としていたものが、実戦に投入された機体ではハリファックスが最大速度270マイル、巡航最大210マイル、マンチェスターが最大速度262マイル、巡航最大が225マイルで、イギリス空軍が「戦闘機を振り払う高速」と考えた速度で飛べるのは軽爆撃機であるモスキトーMk.Ⅳが最大速度380マイル、巡航最大340マイルで唯一合格点にあるのみという状態です。戦前の理論を体現するには出来上がった爆撃機の性能が不足していたということです。

 もう一つの問題は武装でした。イギリス空軍は戦闘機の武装強化を他国に先駆けて着手していますが、爆撃機に対してイギリス戦闘機の武装水準に対応させる動きは1938年になってからようやく検討されはじめ、爆撃機の武装に20ミリ機関砲を採り入れる決定がなされます。けれども1936年度計画の爆撃機は既に試作途中ですからこの武装方針を盛り込む余地がありません。イギリスの大型爆撃機が7.7ミリ機関銃で武装しているのは1936年度計画機が1938年度の武装方針変更に対応できていないという事情によります。イギリス空軍が小口径機関銃を好んだ訳ではありません。

  このように爆撃機自体の性能が不足している中で、1936年度計画の爆撃機が実戦に参加します。1941年7月に港湾攻撃に出撃したハリファックスは大損害を受け、続いて投入されたランカスターもまた大損害を受けます。イギリス空軍も爆撃機が同数以上の戦闘機に邀撃された場合、劣勢であることを認め、敵昼間戦闘機の活動を避けて夜間爆撃に転じる方針が決定され、以後、イギリス空軍は夜間爆撃を戦争終結まで継続することになります。

 もちろん1941年の方針転換以前でも夜間爆撃は実施されていました。夜間爆撃に転換したのは昼間精密爆撃を担う昼間爆撃用の中型、大型爆撃機です。そして危惧されていた通り、確かに損害はある程度減少したものの爆撃の精度が低下して軍事、工業目標への爆撃効果はあまり見込めないこともあらためて認識されます。そのために爆撃の目標は敵国民の士気崩壊に向かうようになります。

 同時にイギリス空軍は自ら実施した夜間爆撃の経験からドイツ空軍も夜間爆撃の軍事、工業目標に対する効果の低さを認識し、主な狙いを国民士気の崩壊に置いて夜間爆撃を夜間無差別爆撃としてより大規模に展開してくるとの確信が生まれて来ます。既にその傾向にあったドイツ空軍の爆撃作戦が大規模無差別爆撃へ移行するという確信があったためにイギリス空軍はドイツ本土への夜間無差別爆撃をためらわなかったのです。

イギリス空軍が夜間無差別爆撃を主とした理由は、大きくまとめるとこんな具合です。

1.もともとドクトリン上の選択肢として戦況に応じての夜間爆撃があった。
2.爆撃機の機体設計が戦況による夜間爆撃転向を考慮していた。
3.飛行性能の不足、武装の不適切が加速した実戦での大損害。

 そしてイギリス爆撃機コマンドに代わって昼間精密爆撃を担うアメリカ長距離爆撃機という存在があったことも夜間爆撃継続の大きな支えとなっています。戦史を眺めれば同一目標に対するアメリカの昼間爆撃に続くイギリスの夜間爆撃という事例が数多く見られ、1920年代からのイギリス空軍の爆撃ドクトリンが同盟国の爆撃機兵力を利用しながら実現していることに気が付きます。アメリカの昼間精密爆撃とイギリスの夜間無差別爆撃のコントラストは両者の思想の違いではなく、戦況に応じて採用された役割分担というべきものだったのです。

9月 11, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: イギリス空軍

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