爆撃目標選定は「科学的」だったか?

 アメリカの対ドイツ戦略爆撃計画は開戦前に策定されたAWPD-1に沿って準備され、開戦後にAWPD-1942で軌道修正されたものです。AWPD-1は戦前からのドーウェ思想を体現した戦略爆撃論の原則を体現したもので、その目標選定は電力関連施設、輸送システム、石油関連施設の破壊、そして国民士気の崩壊に置かれています。AWPD-1はこうした着想をアメリカ自身の工業と経済社会の分析から導き出し、それを応用してドイツの戦争継続能力を根本的に破壊することでもし可能であれば地上軍の大陸反攻を行わずに戦争に勝利する可能性も想定していましたから、いってみれば戦略爆撃の理想のような計画です。

 これに対してAWPD-1942は大陸への地上軍侵攻を前提として、そのための航空優勢を確立することをテーマとしています。そのために目標選定は航空機組立工場、発動機工場を第一に置き、航空燃料の供給を絶つために石油関連施設を叩き、アルミニウム関連工場を叩き、合成ゴム工場を叩くという計画が実際に行われた戦略爆撃における目標選定の基準になっています。戦略爆撃がしばしばあまり戦略爆撃らしくない様相を呈するのはAWPD-1942が持っていたこうした性格が大きな要因となっています。

 1943年1月、フランス国内の目標に対する「練習」のような爆撃作戦の後で長距離爆撃機部隊に命じられた次の作戦はドイツの潜水艦基地攻撃でした。AWPD-1942にも潜水艦建造施設の攻撃は盛り込まれていましたが、それよりも当時、大西洋で最大の脅威だったUボートの活動を妨害することで戦略爆撃よりもより即効性のある作戦が求められたためです。臨時にUボート基地攻撃が優先順位第一位に置かれましたが、爆撃機の機数不足に悩む長距離部隊にとっては妥当な目標でもありました。しかし厚く防御された潜水艦ブンカーへの爆撃は殆んど成果を挙げることができず、この作戦は失敗に終わります。差し迫った戦況によって短絡的に行われた目標選定が失敗した一つの例といえるでしょう。

 それにしても十分な数のB-17、B-24が揃わないという問題は目標選定に大きな影響を与えます。数の限られた爆撃機で爆撃する以上、より広範囲に長期的な効果のある目標の研究が行われ、既に前年から活動を始めていたアーノルドの作戦分析委員会のアナリスト達がある目標を推奨します。これがシュバインフルトのボールベアリング工場群です。ドイツの工業にとってボールベアリング工業はボトルネック的存在で、この部門を壊滅させることで工業生産全体に、そしてAWPD-1942が掲げるドイツ空軍の撃滅に至る航空機工業の壊滅にも大きく寄与するという分析結果が採り上げられ、1943年8月17日以降、B-17の編隊はシュバインフルトの上空へ侵攻を繰り返し、よく知られるように大損害を蒙ることになります。

 しかしこの爆撃は目に見える成果は殆んど無かったことがやがて判明します。アナリストの推定よりもドイツの工業ははるかに強靭で余裕があり、損害は急速に復旧されてしまった上に、工場の疎開分散が開始され、機械工業がボールベアリングへの依存度を下げる努力を開始したことと、アメリカ爆撃機部隊に損害復旧を妨げるほどの反復攻撃を掛ける兵力が無かったことが直接の原因ですが、この作戦に留まらずアメリカ本土のアナリスト達の推奨というものは戦後に言われる程に素晴らしい結果には結びつかず、むしろ人命と機材をドブに捨てるような作戦を促進してしまう傾向がありました。

 それは電力関連施設への爆撃にも言えます。ドイツ本土の電力関連施設に対する組織的爆撃作戦は終戦までまともに実施されていません。電力関連施設の重要性はAWPD-1策定時に優先順位第一位に置かれたことからも判るようによく認識されていましたが、アナリスト達は長距離爆撃機部隊をどの目標に投入するかを絞り込むことができず、目標選定は場あたり的な散漫なものになってしまいドイツ工業と経済がほぼ壊滅状態となった終戦直前まで電力関連施設はほぼ完璧な状態で生き残り、結局、電力関連施設への爆撃は「今さら実施してもドイツそのものが崩壊しつつあるので効果が無い」と判断されて放棄されてしまいます。

 結局、1943年8月からのシュバインフルト爆撃やレーゲンスブルグ爆撃は航空機工業に対する爆撃作戦でしたし、1944年に入って実施されたビッグウィーク作戦も同じ性格を持った爆撃作戦でした。1944年6月のノルマンディー上陸作戦以前までに行われた爆撃作戦は「大陸反攻に先立つ航空優勢の確立」を掲げたAWPD-1942の枠内にほぼ収まる、あまり戦略爆撃らしくない面も併せ持つ作戦だったのです。しかしその目標は十分に達せられています。ノルマンディーで圧倒的な航空優勢が実現したからです。戦略爆撃の対象として科学的に「ターゲッティング」された目標を叩くよりも飛行機の組立工場を直接叩くというストレートな努力が一番効果的だったという極めて皮肉な結果ですが、戦略爆撃にはもう一つ重要な成果があります。

 それは作戦を通じて、2452機ものB-17、B-24をドイツ戦闘機によって撃墜されながらもそれ以上の数のドイツ戦闘機を返り討ちにして積み上げた膨大な撃墜戦果のことです。1944年初頭からのドイツ戦闘機隊パイロットの質的な崩壊はまさにこの損害によって引き起されたもので、P-51の投入は既に起こっていた破綻に対する駄目押し的な出来事です。このように文字通り血で血を洗うような航空消耗戦によってドイツ空軍は弱体化し、一方で連合国空軍はそれを生き残ったのですから、願わくは対ドイツ戦略爆撃という史実から「やはりターゲッティングが重要なのだ」といった三流の経営コンサルのような結論が導き出されないことを祈ります。

9月 7, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: アメリカ陸軍航空隊

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