正月特番 「原爆機の邀撃はこんなに大変」 2

昔の夜間戦闘機と同じような戦い方をする、F94A/BとF89のD以前を全天候戦闘機の最初の世代とすると、地上レーダーと連携してロケットを撃つようになるのが第二世代と言えます。レーダーとFCSと機体設計を一新した新世代はYF95A、YF97Aとして発注されますが、そんな型番は誰も知りません。 結局、YF95AはF86Dに、YF97AはF94Cに呼び換えられたからです。
F86はDで機体設計を一新したのではなくて、別の機体を86に混ぜたんですね。あんまり変わらないF89Dも含めて第二世代にまとめられる理由は F86D、F89D、F94Cは基本的に同じFCSを搭載したロケット弾戦闘機だからです。

さて、セイバードッグことF86Dです。

この戦闘機は速いし、上昇力があります。 しかもF86F大量生産の余勢をかって、あんまり共通部分が無いのに量産も進みます。そのために配備も進み、装備した飛行隊はF89Dの2倍、F94Cの6倍です。 まさに代表的な存在といえます。 全天候戦闘機の根本的な欠陥だった速度と上昇力が大幅に改善されているので 操縦する側からは大変評判の良い戦闘機でしたが、その理由は「単座だから軽かった」に尽きます。

遅い邀撃戦闘機を何とかするためにとにかく単座機を作った訳です。戦闘機の操縦者というだけで忙しい職種がレーダー操作と航法を兼務するという、 恐ろしく忙しい仕事をこなすのがF86Dの乗員でした。このため、邀撃戦闘機の世界選手権、ウイリアムテルの成績は参加飛行隊が断然多いのに優勝回数が少なく、優勝回数と飛行隊数の比ではF94Cの1/4しか勝てません。この時代において後席に人が乗ることの重要さがよく現れている数字です。

そして単座機ベースであるためにもう一つ特徴があります。それはロケット弾装備数の少なさです。もう機関砲でジェット爆撃機を撃墜することは困難だと思われていますからロケット弾の一斉射撃に頼るしかないのですが、F86Dのロケット弾は機首下面に垂下式で出入りする24発のみです。12発の斉射を2回、または24発の全力発射1回で武器が無くなります。
これは相当に頼りない・・けれど仕方が無い。

単座の「月光」(わが国の空軍がF86Dにつけた愛称ですね)という、名前からして無理のある雰囲気の夜戦が大量配備されたのは防空部隊が必死だったからです。
1950年代はソ連が原爆を実用化した時代で、Tu-16が片道攻撃だろうが何だろうが、遮二無二突っ込んで来る・・かも知れない、という、アメリカ建国以来の危機感がありました。時代はのんびりしていたのですが防空陣の雰囲気は深刻だったのです。

速くて上昇力がある画期的な全天候戦闘機だけれど、まさにその為に武装が貧弱で敵爆撃機の撃墜がそれほど期待できない戦闘機という、矛盾の塊のようなF86Dを装備した飛行隊をどう使うか。これは悩みどころです。

数少ないロケット弾を撃ち尽くしても爆撃機を撃墜できない場合の攻撃法として 空軍中枢が研究していた戦法は「ラム攻撃」でした。機体を接触させて撃墜するという荒技です。さすがにラム攻撃の命令や訓練は結局、一度も行われませんでした。この戦法が公式のものになったことはありません。けれども、F86Dの乗員は、もしロケット弾を撃ち尽くしてしまっても 目前の原爆搭載機を撃墜できず、敵機が目標上空に侵入しつつある場合は「体当たりするしかない」と決意していたと言われます。
本人達がそう回想しているのですから、おそらく、そうなのでしょう。

原爆機の邀撃とはなんと厳しい仕事でありましょうか。

 

とはいえ第二世代の全天候戦闘機は圧倒的に2500機製作されたF86Dで占められています。F94Cは400機に足らず、F89Dは700機位です。F94Cはエンジンを強化して主翼を再設計したことで、速度と上昇力が大きく向上していますが、その分だけ、離着陸が大変な飛行機でした。特に着陸速度が高く、滑走路をオーバーランする危険が大きいので ドラグシュートを装備していますがこれが曲者で、シュート回収班がいない飛行場に降りると大変なことになる飛行機でした。そしてアメリカ空軍基地の殆どに回収班はいません。

けれどもF94Cの問題はほかにありました。元々単座戦の改造機ですから機首に仕込めるロケット弾は24発しかありません。先に紹介しました通り24発というのは乗員に「体当たり」を決意させる数ですからこれでは困ります。 そこで主翼にポッドを追加して48発撃てるように改良されます。ところが機首のランチャーから発射すると排煙と燃えカスが 機体の両サイドのインテイクからエンジンに吸い込まれる危険があり 機首のランチャーは使用せずチューブ内にバラストを積む指示が下されます。 でも、指示は出ても部隊は従わなかったようです。そうするとロケット弾が「24発」になってしまうからでしょう。
「ロケット弾代用にバラストを詰めた機体なんて無かった」とのことです。

もう一方の複座戦、F89Dは空軍にとって理想の全天候戦闘機でした。何しろ機体が大きいので余裕があります。F86DやF94Cの重大な弱点だった航続距離も長く、両翼に装備したロケット弾は104発に及びます。武装と航続力を兼ね備えた理想の戦闘機だった訳です。欠点といえば、ちょっとだけ遅く、上昇力が悪く、どうも機体強度に問題があるらしいことと、盛大に火を吹く両翼のロケットポッドの後半部分が大型燃料タンクなのでロケット弾の射撃に相当な度胸が要るくらいのことでした。

こうした複座戦が主力とならなかった最大の理由は、またも戦術思想でもFCS等の電子技術の進歩でもありません。複座戦が下火になった最大の要因は「レーダー手の不足」でした。
当時、好景気に沸いていた電機関連産業が 空軍の2倍から3倍の給与で大量採用を続けていたお陰で大切なレーダー要員は任期を終えると多くが退役してしまったのです。数千人のレーダー手を確保できない空軍は単座戦に頼るしかありません。
平時の軍隊というものは多かれ少なかれ、こんな感じなのでしょう。

 

アメリカ全天候ジェット戦闘機の歴史とは、実はノースロップF89「スコーピオン」の開発史のことかもしれません。F89の武装の変遷こそが全天候戦闘機の歴史そのものです。

XF89原案 20㎜旋回砲塔(WW2夜戦世代)
F89A 20㎜固定機関砲(第一世代)
F89D 無誘導ロケット弾(第二世代)
F89H、F89J 誘導ミサイル(第三世代)

機関砲の時代は爆撃機と邀撃戦闘機の武装は威力、射程でほぼ対等でした。斜め銃にしたり、旋回銃塔にしたり、有利な射撃を行う工夫が必要な時代で、ストレートな固定機関砲を持つF94A/Bが頼りなく思われたのは当然のことでした。「90度横から撃つロケット弾」の時代になると、ここから爆撃機が不利になります。 ロケット弾はマッハ2で飛んで来ますし、それを撃墜することはできません。爆撃機は回避機動で逃げるか、邀撃機の機上レーダーをジャミングするしかありません。

けれども、そのジャミングがけっこう有効でした。
E4、E5、F6という管制弾数の違いだけで基本的に同型のレーダー連動FCSは、敵機をレーダーが捉えてから射撃諸元を得るまで数秒かかります。 この時間に妨害が行われると射撃機会が失われてしまいます。
かといってジャミングを避けて周波数を変更するとまた時間が掛ってしまいます。仮想敵であるTu-16は友軍戦闘機と同じくらい速いと考えられていたので、一度、射撃機会を逃すと第二撃のために再び占位するのは困難と判定されていました。 B29対どこかの国の防空戦闘機みたいなものです。だから敵機が本気でレーダーを妨害し始めたらアメリカの全天候戦闘機はまったく手が出ない「かもしれない」のです。

第三世代の全天候戦闘機が装備するようになったレーダー誘導または赤外線誘導の空対空ミサイルは理屈の上では極めて有効で、数撃ちゃ当る式のロケット弾より格段の進歩なのですが、極初期の空対空ミサイルというものは実際に撃つと何故か「当らない」ものです。ジャミングについても、本当にソ連空軍がそこまでやって来るかどうか、アメリカ側にも何の確証も無かったのですが、B47を相手にした訓練はそうした想定で実施され、爆撃機側の対抗手段はひと通り実験され、その効果が確認されていたのです。

そこで、レーダー連動FCSによる90度横からのロケット弾見越し射撃や、ミサイルのレーダー誘導が敵機のジャミングで無力化されるかもしれないという、居ても立ってもいられない不安を解消する、「絶対にジャミングされない兵器」として考案されたのがMB-1「ジニー」です。 核弾頭を仕込んだ「ジニー」が非誘導式なのはこうした理由です。ジャミングを受けてトンチキになったFCSからでも腰だめで撃てるようになっているのです。

半径400mから800m以内の敵機を破壊できるとされたMB-1は小さなロケット弾やミサイルのように精密な照準が必要ありません。着発信管と近接信管(wiki何とかの時限信管・・は間違い。それじゃ我が国の6番27号爆弾と同じで敵機を撃墜できないヨ)によって炸裂するMB-1の射程距離は約10km。すなわち、高高度で使用しないと地面に刺さる可能性が高く、たとえ不発でも放射性物質をまき散らす厄介な存在でしたが、アメリカの邀撃戦闘機は初めて本当に有効な攻撃手段を獲得することになります。1957年、F89Jと共にMB-1が配備されたことでアメリカの防空陣は ようやく落ち着いて物を考える時間が持てるようになります。

F106のプラモデルを作ってみると、あまりにアッサリとした武装に何とも頼り無い印象を抱いてしまいますがさにあらず、日本製プラモにならない禍々しいMB-1「ジニー」が邀撃戦闘機の有効性を保証していたのです。「色モノ」ではなく、これが本音の「主力兵器」です。それが証拠にアメリカ空軍はその発射台として維持し続けたF106が 「まだあったの?」と言われながら引退する1988年まで 「ジニー」を大切に磨いていました。

12月 31, 2012 · BUN · 2 Comments
Posted in: アメリカ空軍, 冷戦, 核戦争

2 Responses

  1. NG151/20 - 1月 1, 2013

     BUN様
    明けましておめでとうございます。
    今年もよろしくお願いします。

    再開を心待ちにしていました。
    また目からウロコの話しを
    いろいろお聞かせください。

  2. BUN - 1月 1, 2013

    NG151/20さん

    今年もよろしくお願いしますね。

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