世の虚しさを知る神よ

 諸兵科協同を理想として連隊組織を廃して3つの戦闘団司令部を設けたアメリカ戦車師団は状況に応じて師団の兵力から適切な増援を受けて臨機応変に戦闘を行うことが建前でしたが、こうした組織は初めのうちはその方向に動いても時間が経つにつれて、いつでも同じような編成の戦闘団が状況とは無関係に編成されてしまうといった組織というものにありがちな傾向も持っていました。

 けれどもノルマンディ上陸以来2ヵ月余りの苦戦はアメリカ軍部隊に質的な変化をもたらします。ノルマンディのボカージュ地帯での戦いは小部隊の接近戦闘が延々と続く苦しい戦いだったこともあり、前線の部隊では本来の戦闘団単位よりもさらに小さい諸兵科混合のミニ戦闘団的な部隊運用の経験を好むと好まざるとにかかわらず重ねることになります。

 本来、ドクトリン上では戦車にしてもタンクデストロイヤーであっても独立部隊として集中運用することが理想とされていながら、実戦での要求に対応した小規模混合戦闘団の有効性が認識され始め、戦車にとってもタンクデストロイヤーにとっても歩兵支援のために中隊ごとに、あるいは小隊単位で分散配備されることが日常的になっています。

 また、ノルマンディ戦以降、タンクデストロイヤー部隊のうちM10GMC装備の自走式大隊は主に戦車師団に分属され、それは殆ど師団の正規編制に近い状態になっています。そして牽引式大隊は歩兵師団に分属され、牽引砲といえどもタンクデストロイヤーですから当然のことながら対戦車任務に用いる建前とはなります。けれども3インチ砲は写真で見ても納得できるような対戦車砲としては大きく重く鈍重な大砲です。その理由はドイツの75mmPak40が50mm砲の砲架を利用して無理矢理軽量化しているのに対して3インチ砲は105mm榴弾砲の砲架を利用して堅実に設計されているからですが、ボカージュ地帯での戦闘では3インチ砲は機動力不足から殆ど対戦車戦闘に参加できず、3個中隊編成の牽引砲大隊のうち1個中隊は間接射撃専門の野砲中隊として運用されるようになります。

 しかし野砲として運用するにしても3インチ砲は榴弾の炸薬量はM4中戦車の75mm砲と比べても遥かに小さく、野砲としてはどうにも威力不足である上に3インチ砲用の榴弾の供給は実に控え目、という目も当てられない状況です。装備が不適当である上に新鋭の90mm対戦車砲も試作砲1門を前線に送ったのみで、開発は中止されていましたからこのまま自走砲部隊の配備と共に解体されるのを待つばかりでした。

 M10GMC装備の大隊は戦車師団の予備戦車大隊として編制の中にほぼ標準的に組み込まれ、牽引式の3インチ砲大隊は歩兵師団の野砲大隊に成り果ててしまい、もはやドクトリンどころではないタンクデストロイヤー部隊でしたが、戦闘の矢面に立つ舞台がもう一度だけ訪れます。それはアルデンヌの戦闘です。

 この戦いでドイツ軍の攻勢正面にあった4個歩兵師団には牽引式の3インチ砲装備大隊が配備されていました。ローズハイム峡谷でドイツ戦車部隊の最初の攻撃を迎え撃ち、最初に蹂躙されてしまったのは牽引式のタンクデストロイヤー大隊だったのです。今回の敵は航空支援を受けた精鋭のドイツ戦車部隊だったこともあり、これらの大隊は12月16日から半月の間の戦闘で兵力の大半を失ってしまいます。

 けれどもアルデンヌの戦闘では面白い結果が残されています。牽引式3インチ砲装備のタンクデストロイヤー大隊が本来の敵であるドイツ戦車部隊と正面対決したからです。そしてその宿敵との対決での交換比率は3対1と惨憺たるものでした。アメリカ側の数字で3対1ですから、実態はさらに絶望的結果だったようです。このようにタンクデストロイヤー大隊は北アフリカと同じように弱点をさらけ出してしまいます。

 ところがタンクデストロイヤー大隊が単独ではなく歩兵部隊の防御戦闘に包括的に組み込まれて航空も含めた諸兵科協同で戦った事例を集計するとその交換比率は1.対1.3と好転します。この傾向は自走式の大隊にも見られ、M10GMCやM36GMCを装備した大隊が敵戦車部隊と独力で戦った場合の交換比率は1対1.9ですが、航空も含めた諸兵科協同で戦った場合の交換比率は1対6と極めて良好です。どうもドクトリンに沿った独立部隊としての戦闘に固執すると不利な結果を招くらしいことが段々と明らかになって来ます。

 自走式タンクデストロイヤー大隊ではこの頃になってようやく90mm砲装備のM36GMCが数を増してきましたから、とりあえず火力ではパンターに劣らないところまで持ち込めたことも大きな要因だったことでしょう。けれども大量集中と独立、半独立行動を基本とする本来のドクトリンとは大きく異なり、諸兵科協同の小戦闘団による臨機応変の戦闘を実施することがタンクデストロイヤー部隊を生かす唯一の道だったことがこの戦いで確信されます。こうして運用方法が確立し、戦果も上がり始め、M36装備のタンクデストロイヤー大隊はアメリカ軍の中でパンターと戦える数少ない有力部隊として再評価されることになります。

 こうして長い苦難の時期を経てタンクデストロイヤー大隊はアメリカ軍部隊の対戦車戦闘の主力として期待され信頼される存在へと生まれ変わり、新たなドクトリンの基礎のようなものまで見えてきます。ノルマンディのボカージュ戦で育まれ、アルデンヌ戦で確認された新しいドクトリンの萌芽は将来の装甲部隊の統一ドクトリンへと繋がって行くことでしょうし、アルデンヌに続いて襲い来るだろう新たなドイツ戦車部隊を撃破するため、M36GMCの増備と牽引式3インチ砲大隊のM36への改変が急がれます(実際には余剰品だったM18を装備)。
 唯一つ皮肉なことがあるとすれば、タンクデストロイヤー大隊の前にドイツ戦車の大集団が二度と出現しなかったことでしょう。

 これもまた人生にありがちな話であります。

7月 7, 2008 · BUN · 3 Comments
Posted in: タンクデストロイヤーとは?, 陸戦

3 Responses

  1. マンスール - 7月 16, 2008

     ルイジアナに始まりアルデンヌで(とりあえず)終わるツアー、ご案内いただき誠にありがとうございました。
     我々、「戦訓を生かさなければ」とよく言いますが、それは本質的にとても難しい、殊に現代の軍隊にとってはよほど難しいことなのだと思います。ルイジアナは北アフリカとは違うし、エルアラメインの教訓はそのままノルマンディーには反映できないのは当然でしょう。改めて読み返してみても、各段階でのTDドクトリンは十分合理的なものに映るのに、結果はみんな落第となってしまう訳です。
     明快にガイドしていただいた分、かえって割り切れない思いの積もる道のりでした。
     

  2. BUN - 7月 16, 2008

    ううむ、本文より適切なまとめの言葉。
    ありがとうございます。
    現在、ちょっと取り込んでおりますが、あと半月もすればまた新しいコンテンツを加えられると思います。
    またおつき合いくださいますように・・。

  3. king - 12月 13, 2008

    待ち伏せならまだしもM36の薄い装甲でパンサーに攻撃をしかける乗員の苦労が偲ばれます。3インチ砲も無防備なので榴弾と機銃の中、硬い装甲に向けて砲を操作し続けるのは相当な勇気です。

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