正月特番 「原爆機の邀撃はこんなに大変」 1

夏休み特番からサボりにサボって再開したとたんに大晦日になってしまいました。けれども、本編で続いている核戦略下の地上戦についてよりイメージを深められるかも、と思い、アメリカ空軍の邀撃機とその戦術についてご紹介したく思います。1950年代のアメリカがまだまだ実力が伴わず、ミサイルさえろくに無い揺籃期にあったソ連の核軍備によって、どうして対ソ先制核攻撃を「抑止」されてしまったのか、現場の様子がわからないと腑に落ちないと思うからです。

人間が肉眼で空を見上げて敵機の侵入を発見通報する防空監視哨といえば我が国の専売特許のような気持になりますが、民間の力を借りた肉眼に頼る旧式な哨戒システムを太平洋戦争が終わってからも大規模に存続させた国があります。それはアメリカです。

広大な国土を持つアメリカは全土をカバーするどころか要地を守る防空レーダーシステムさえ、なかなか完成しません。導入案はあっても膨大な数のレーダーサイト(375箇所)の建設計画は1949年になっても「時期尚早」として流されてしまいます。しかも、戦争中は何も飛んで来なかった上にその戦争がとっくに終わってしまったにもかかわらず、半ば以上ボランティアに頼る防空監視隊の士気は高く、地域のコミュニティに溶け込んで活動は衰えません。同窓会なども盛んだったそうです。

そうはいってもソ連爆撃機が昼間低空ではなく高高度または夜間侵入を予想されたため肉眼での哨戒は無効と判断され 全国組織は1950年に解散しますが、完全に活動停止するのはさらに後になってからのようです。全天候戦闘機F94が配備された時、地上ではまだ双眼鏡が空を睨んでいた訳です。その任務を引き継ぐレーダーサイトはたった75箇所しか着工されず 、どこの大日本帝国かと思えますが、この時期、地上からの高度な管制邀撃システムの必要性が まだ実感されていない、という問題もあります。

 

アメリカ初の全天候邀撃戦闘機はF94です。直線翼で何とも古臭い戦闘機ですが、これが1950年に配備され始めるまで 防空任務に当るのはブラックウィドーとツインマスタングでしたから仕方ありません。本当は少しは近代的なF89が初代となるはずでしたが、試作を急いだ挙句、欠陥だらけで遅れに遅れ、 ストップギャップとしてT33ベースのF94が先行します。 彗星夜戦みたいな存在ですね。

F80ベースと言わないのはT33という複座機が重要だから。当時の全天候戦闘機とはすなわち夜間戦闘機のことですから単座では色々とキツい訳です。だから複座練習機のT33をベースに夜戦が造られたということです。しかもF80/T33は機首にインテイクが無いのでそこから機関砲を少し下せばレーダーも積めます。上昇力と速度の不足は後からアフターバーナー追加で補われます。

こうして出来上がったのがF94A/Bでしたが、複座機といっても単座機の改造機ですし、レーダーとFCSが重く大きく乗員は相当窮屈だったようです。そしてオン、オフの2ステージ式のアフターバーナーは
上昇力の向上には寄与したものの速度はあんまり伸びず、しかも燃料を馬鹿喰いします。これでB36Dを100マイルの距離で発見、スクランブルすると 上昇、会敵、追尾機動を行ったら目標の爆撃機ともども「目標上空」になってしまいます。だからといってアフターバーナーで加速すると会敵時に「燃料切れ」です。 しかし飛行性能に優れるF86などの昼間戦闘機では夜間邀撃は不可能。 となると、機体の改良だけではどうにもならないことが見えて来ます。

もう少し遠くから発見しないと間に合わないし、もっと正確に無駄なく接敵しないと燃料がもたない。でも機体の改良はほとんど限界。 F94より夜戦としての適性のある戦闘機はまだありません。 そんなことで、地上からの精密誘導の必要が認識され レーダーサイトの建設が促進されます。アメリカの邀撃戦闘機が何だか垢ぬけない理由はミサイル万能時代の戦闘機だからではなく、夜中に飛んで来る原爆搭載機に普通の戦闘機では間に合わない、という機関銃時代からの問題意識にあったのです。

 

F94が応急全天候戦闘機なら、本命はどうだったかというと、そうであるはずのF89は生まれながらの問題児でした。 この戦闘機、何だか少しデカいですね。お蔭でレーダーとFCSを搭載してもT33ベースのF94より余裕があります。 戦闘機がちょっとデカいとき、その理由は 「空技廠飛行機部が何か文句をつけて来た」のでない限り 「旋回銃塔を搭載しているから」に決まっています。

残念なことにXF89の発注後に修正されてしまいましたが、この戦闘機には旋回式の20㎜機関砲4連装機関砲が搭載されるはずでした。 空軍が旋回銃塔を承知で発注したことは紛れもない事実です。まあ、デファイアントみたいなものですが、亜音速の全天候ジェット戦闘機が何故デファイアントの真似をするのか。
まったくもって理解しにくい発想です。しかし世の中、何だかわかりにくい時はわかりやすい答が別にあります。実はXF89の旋回砲塔はイギリス流などではなく、F89にとって先代にあたるP61の遺伝子でした。P61のコンセプトがジェットエンジンで飛んでいるのがF89なのです。 初期の全天候戦闘機とは夜間戦闘機の別名だとはこういう意味で、空軍が正気に返ったことで20㎜×6という凡庸な武装に変更されてしまいましたが、「スコーピオン」とは「亜音速で飛ぶブラックウィドー」のことだったのです。

元々格闘戦をしない旋回銃塔式の戦闘機であるため、機体強度が致命的に低く、部隊配備後も空中分解事故が続き、まともに就役できません。いくら改造しても直しても元が悪いので地上攻撃機にも転用できず、 邀撃戦闘機としても不安がある、という不評な機体でした。 無事これ名馬とはいいますが、代打のF94は 「ソ連爆撃機と交戦しなかったのが成功の理由」と言われる、まるで我が国の隼戦闘機のような弱武装でしたから、20㎜やらロケット弾やらを積めるF89を止める訳にも行きません。

 

アメリカの防空部隊にとって最初の仮想敵はソ連空軍のTu-4でした。B29クラスの敵機であれば邀撃にも何とか余裕があります。初期の邀撃戦闘機が装備していた機関砲はTu-4の邀撃用です。まだまだのんびりした時代でした。ところがそのうちに次世代のジェット爆撃機の情報が入って来ます。Tu-16のことですね。
これは戦闘機とそれほど速度が変わらない、らしい。となると、100マイル先での探知、スクランブル、会敵、そして追尾機動では間に合わなくなります。しかも追尾機動中に機上レーダーから一旦ロストした敵機を再捕捉できない。 従来の夜戦の戦い方がまったく通用しない、と想定されるようになります。

機上レーダーだけではどうにもならないので、地上からの精密誘導が必要になりますが、それでも時間が無い。そこで敵機と反航しながらすれ違うポイントで旋回して「真横からロケット弾を斉射する」戦法が採用されます。これなら間に合うだろう、という発想です。けれども敵機を横から撃つという見越し射撃はトレーサーを撃って修正できる機関砲と違い、ロケット弾にはできません。そして当時の技術では2.75インチのロケット弾に誘導装置を組込むこともできません。
敵機と離れて反航している戦闘機はレーダーで敵機が見えませんから、旋回のタイミングは地上局が各機に教えることになります。初期の邀撃戦闘機が積んでいるFCSとはこの体勢でロケットを斉射するための単純な計算機だったのです。 ここで機関砲を撃ってもまばらに飛ぶ弾丸ではまず当たりませんから、多数のロケット弾を一斉発射して敵機を包み込む訳ですが、これもなかなか難しいので概ねサッカーグラウンド位の広さに散るロケット弾幕射撃をするのです。

 

これで当たるのか、といえば相当な確率で命中します。だいたい当たらなければこんな兵器システムは造られません。
ただし、敵機がある程度高速で(低速だと当たらない)、 一定速度で(加速すると当たらない)、 水平に飛んでいて(降下、上昇すると当たらない)、 直線飛行を続けていて(旋回すると当たらない)、 くれる場合の命中率が優秀なのです。
これは技術陣が愚かだったのではなく計算機の能力がそれで一杯だからです。

邀撃戦闘機を地上施設も含めたシステムの中に取り込む、という発想は科学技術の進歩と戦術思想の発展がそうさせたのではなく、速度も上昇力も不十分で初期のアフターバーナーのために航続力が無いアメリカ邀撃戦闘機の性能不足を補う目的で「ロケット弾を横から撃つ」ために否応なく生まれたものだったのです。

そんな訳で、1956年のある日、海軍の無人標的機F6Fが誘導を外れて陸上へ迷い込み、 F89Dを装備する第437邀撃戦闘飛行隊に撃墜命令が出ます。飛行隊はただちに出撃して目標を捕捉。ロケット弾攻撃を行いますが、何度斉射しても当たりません。誘導を外れたF6Fが低速で旋回し続けていたからです。
最後は零距離に近づいてロケットを撃ち、ようやく命中させますが、今度は近距離過ぎてロケットの安全装置が解除されないまま 装備していた着発信管が作動せず、高速のロケットはF6Fの胴体を貫通して飛び去ってしまいます。頑丈なF6Fはそのまま悠然と飛行を続けています。

アメリカ空軍が平和の有難さを知った瞬間でした。

12月 31, 2012 · BUN · 4 Comments
Posted in: アメリカ空軍, 冷戦, 核戦争

4 Responses

  1. マンスール - 12月 31, 2012

     大晦日に歳神をも恐れぬ特番、ありがとうございます。
     XF89の旋回「砲塔」は、機首につける予定だったというので、派手にグルグル振り回すつもりではなく、「ちょい右、もうちょい下」程度の弾道調整用だったのではないかと言う気がします。それにしても、B36やTu95も本格的な砲塔を装備してデビューしたことですし、旋回銃信者はしぶといですね。

  2. BUN - 12月 31, 2012

    マンスールさん

    年末のお忙しいところをありがとうございます。
    動力銃架はおそらく爆撃機の尾部銃座との正面対決を避けるという発想なのだと思いますが、何にせよ禍々しい発想ですねぇ。

  3. きっど - 1月 2, 2013

    あけましておめでとうございます。
    今年もあまり語られることの無い話をお願いします。

    さて、レーダーサイトが中々作られなかった理由ですが、“戦争が終わってお金が無かった”以外の理由も有るのでしょうか?
    夜間に侵入する敵機を肉眼で発見するのは困難を極める上に、同盟国のイギリスが散々夜間爆撃をしていたのですから、夜間爆撃が無いと想定していた訳ではないでしょう(全天候戦闘機を作っていますし)。
    機上レーダーを空飛ぶレーダーサイトとして使うつもりだったのでしょうか?
    単純に、ソ連にはアメリカに届く爆撃機が無いと思っていたからなのでしょうか?(でも、Tu-4は47年にはお披露目されていますよね)

  4. BUN - 1月 3, 2013

    きっどさん

    あけましておめでとうございます。
    レーダーサイトはそもそも都市近郊に作っても意味がありませんので出来る限り僻地、辺境に設置されます。
    するとそこに配備する人員は劣悪な環境で孤独な長期駐在勤務を強いられます。
    こうした人員を大量に養成確保することも困難なら、そんな僻地に基地を建設すること自体もまた厖大な予算を必要とします。
    一度の爆撃で都市を壊滅させらず反復攻撃が必須だった通常爆弾での戦略爆撃に対抗するにはこのような投資は不経済だったということです。

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