即席空軍大国 11 (写真偵察と爆撃作戦)

 第一次世界大戦中の航空作戦が地上戦の勝敗を決する程の重要性を持つまでに発展していたと言っても、信じない人は信じないことでしょう。日本語でそうした戦闘の様子が紹介されることがほとんど無かったからです。けれどもよく考えてみれば、第一次世界大戦中の砲撃戦についてさえ、どんな射撃が行われていたのかを伝える戦記の類は僅かです。将棋の棋譜を読むようなゲームじみた解説は行われても具体的にどんな形で戦闘が進展したかが説明されることは稀なのです。そんな訳で、第一次世界大戦も押し詰まった1918年9月に実施されたアメリカ陸軍航空部隊のある航空作戦の経過を追いかけてみたいと思います。

  戦争の新参者であるアメリカ陸軍にとってさえ1918年には航空写真偵察は陸戦にとって必須のものと認識されています。航空偵察は敵陣の位置や部隊の配置、規模、物資集積やその頻度を手にとるように把握できます。しかも持ち帰った偵察写真情報は地上の将校斥候が現地で判断するのと違い、複数の専門家によって時間をかけて分析することができ、敵軍の意図を深く考察することができる点で画期的だと評価されたのです。この物資の集積は敵軍の次の行動がどんな種類のものであるか、それを解明できるのが航空写真偵察の今までに無く優れていた点なのです。

  9月26日、アルゴンヌ-ミューズ地区で攻勢にあったアメリカ陸軍が受け取った偵察情報はまさにそれでした。アルゴンヌの森林地帯中央部、ドイツ軍戦線の後方8キロに夥しい歩兵と砲兵の集中が行われていることが報告され、写真解析の結果、これは大規模な反撃作戦の準備であるとの判定が下ります。こうした判定は数枚程度の写真からではなく、それこそうんざりするほど大量の写真乾板(大型写真機)やロールフィルム(小型写真機、といっても現代から見れば大判のフォーマットです。)からプリントされた山の如き写真を分析した結果で下されていたということで、この頃には既に写真解析を行う専門チームが偵察写真から得られる情報を検討して敵軍の意図を推定していました。 そして総司令部はアルゴンヌ中央部に集結した敵軍に対して手持ちの航空兵力を集中することを即断します。即断できたこということは、このような局面では何を行うか、というドクトリンが成立していたことを意味します。大きな組織は当たり前のことしか即決できません。このように敵予備の異常な集中を認めたなら、航空総攻撃を実施することが当然の判断だったということです。

 航空隊司令官だったのはいわずと知れたウィリアム=ミッチェルです。直ちにアメリカのみならず、指揮下にあったフランス軍航空部隊も巻き込んで攻撃隊が準備されます。そして合計352機の戦闘機と爆撃機で構成された大編隊が離陸して前線を越えてドイツ軍の上空へと向かいます。このような大規模出撃は当然、ドイツ軍に察知されますから、やや弱体化していたとはいえ依然手強い存在だったドイツ戦闘機隊がこの攻撃を阻止しようと立ちはだかります。けれども352機という大規模な戦爆連合編隊を構成していたのはドイツ戦闘機よりも高速なスパッドXIII戦闘機と、その高速と重武装でほとんど「複座戦闘機」でもあったアメリカ製DH4です。結局ドイツ戦闘機隊は12機を失って敗退します。連合軍編隊の損害は友軍前線を超える際に誤射された1機のみでしかなく、全爆撃機は30分程かけてドイツ軍部隊の上から合計32トンの爆弾を投下して集結していた敵部隊を壊滅させてしまいます。

  この爆撃作戦の結果、ドイツ軍2個師団が大損害を受けたことが後からの情報で判明しますが、爆撃直後からも航空写真偵察が丹念に実施され、その写真判定で敵の反撃計画が頓挫したことが確認されています。情報収集、攻撃、情報収集というサイクルが繰り返されていた訳です。第一次世界大戦末期にはイギリス軍でも月に約30万枚の偵察写真をプリントするようになっていますし、アメリカ軍はアルゴンヌ攻勢中にたった4日間で10万枚の写真をプリントしています。

 当時、1918年10月1ヵ月で半切印画紙150万枚(四つ切りで使えば300万枚)30万枚の写真乾板、2万ロールの写真フィルムが連合軍用に出荷されていました。ちなみに写真偵察機が装備していた航空写真機は写真乾板を使用する大判のものもありましたが、連続撮影を実施できるモータードライブ式の写真機まで開発され、装備されています。

 そして1918年になると爆弾も体系的に整備され、陸用爆弾は50ポンド、100ポンド、250ポンド、500ポンド、1000ポンドというほぼ第二次世界大戦中と同様のサイズが揃います。そのなかで多用されたのは扱いやすい100ポンド爆弾と250ポンド爆弾で、それに加えて20ポンドの破片爆弾、50ポンド焼夷弾が目標によって使い分けられています。

 しかし爆弾はただ投下するだけでは命中しません。飛行機が飛ぶ速度や風向きを修正して見越し角をとって投下しなければ爆撃の精度が上がりません。しかし「第二次世界大戦当時の数分の一でしかない速度で飛ぶ木と布でできた爆撃機」は、この頃既に飛行機の速度、高度、風向などを計算して投下する方式の爆撃照準器を装備するようになっていて、アメリカはイギリス式の爆撃照準器8371台を生産して爆撃機に装備しています。第二次大戦中とほぼ同様の照準器を装備して、飛行速度が数分の一という条件で投下されるこの当時の爆弾は意外に「当たる」ものです。

 膨大な偵察写真からの情報分析によって目標が探し出され、大規模な兵力集中による爆撃作戦が実施され、さらにその効果が濃密な写真偵察によって分析されるという世界が、航空戦史の最初の章から既に始まっていたのです。

10月 26, 2009 · BUN · 9 Comments
Posted in: アメリカ陸軍航空隊, 第一次世界大戦, 航空機生産, 即席空軍大国

9 Responses

  1. 栗田 - 10月 27, 2009

    いつも啓蒙されています。

    第1次大戦時に、もうすでにスゴイ!ことになっていたんですね。
    戦力集中した航空攻撃の一撃で2個師団の無力化するなんて、第2次大戦でもなかなか思いつかないような大戦果です。

    陸上目標に対する優位が明らかなら、海上目標に対してはどうか?と考えるのも、わりと自然な発想ですね。

  2. ヤマザクラ - 10月 27, 2009

    いつもながら、面白いです。

    >砲撃戦についてさえ、どんな射撃が行われていたのかを伝える戦記の類は僅か

    ドイツ軍の1918年攻勢の準備砲撃の目標は、
    司令部と予備隊集結地だったと聞いたことがあります。
    今回の記事のアルゴンヌの空襲といい、
    後方の戦力集中を妨害・減殺されるのは
    地上軍が前線を維持する上で致命傷なのかもしれませんね・・。

  3. ペドロ - 10月 27, 2009

    ミシチェンコの騎兵軍もこうやって先んじて発見し叩けていればと考えた日本陸軍軍人は多かったことでしょう。
    後年襲撃機と軍偵が一体になっているのはこの辺に源があるのでしょうか?

  4. BUN - 10月 30, 2009

    栗田さん

    WW1のアメリカ陸軍航空隊が「巡航ミサイル計画」を持っていた、という話も書いたのですが、どうせ誰も信じないだろうなぁ、と思って切り捨ててしまいました。

    ヤマザクラさん

    艦砲射撃の世界が意外に面白いように砲兵の世界も面白いですよね。
    いつかお題に採り上げたいと思います。

    ペドロさん

    そのあたりをあれこれ考えるとこれまた面白くて夜更かししてしまいますね。

  5. アラスカ - 10月 30, 2009

    >>将棋の棋譜を読むような

    どんな説明方法も、要は使いようだと思います。自衛隊にも兵棋演習というのがありますし、これってそんなに問題があるんでしょうか?
    戦術とかドクトリンを手っ取り早く理解するのに、こういう手段意外に方法は無いと思ってしました。

  6. toto - 10月 31, 2009

    楽しませていただいています。
    >WW1のアメリカ陸軍航空隊が「巡航ミサイル計画」を持っていた
    まさかと思いながらも、少し検索しただけでケタリング・バグなるものが出てきました。
    新しいものは使い物になるのか?という疑問にさらされる宿命なのでしょうが、
    敵より高速な機体と、信頼できる爆撃照準器がありながら、何故?と思うのは
    私だけなのでしょうか。
    後年のわが国の風船爆弾と比べため息がでる思いです。

  7. BUN - 10月 31, 2009

    アラスカさん

    その通りだと思います。
    けれども、さも当たり前のように使っている言葉が何を意味しているのか、それは何をすることなのか、実は解っていないのに抽象的な言葉だけが独り歩きしてしまう事が余りにも多いように思います。

  8. BUN - 10月 31, 2009

    totoさん

    1918年になると機械と人の供給問題が逆転するからじゃないか、と思っていますが、これもアメリカならではの話かもしれませんね。

  9. さとうてらじ - 11月 1, 2009

    先日訪れたスミソニアンに無人兵器コーナーがあり、パネル展示だけでしたがケタリング・バグがルーツであると紹介されていました。復元機もあるらしいです。それにしてもアメリカは無人兵器一杯作ってるんですねえ・・・。

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