即席空軍大国 5 (自動車工業連合)
軍用航空発動機を国産化するという発想を最初に抱いたのは陸軍通信隊傘下の航空部隊で装備担当主任将校だったディーズ大佐でした。元々はエンジニアでもあったディーズ大佐は彼を補佐する立場にあったウォルドン(同じく民間航空エンジニア出身で軍籍に入らず民間人として航空隊に勤務)に国産化案を相談し、両者の意見は即座に一致、計画が動き始めます。アメリカ参戦後、2ヶ月近く経過した5月29日のことです。
彼らの発想は発動機を単純に国内設計するのではなく、アメリカの機械工業に適合した設計を行い、5インチ×7インチの標準化されたボア/ストロークを持ち、気筒数を4気筒、6気筒、8気筒、12気筒とシステム化して小型機から大型機までの需要を全てカバーするもので、この構想が最初から存在していた点は注目に値します。日本が第二次世界大戦中に製造した陸戦兵器用の統制型発動機などと同じ着想が既に第一次世界大戦下のアメリカには存在していたということです。
そして国産軍用航空発動機の設計方針としては、
1 可能な限り軽量大馬力であること。
2 既存の技術、機構でのみ構成され、実用化されていない新機軸、新理論の採用を排除すること。
3 量産を最重視すること。
といった原則を堅持することが確認されます。
このような条件で新しい発動機を設計する場合、アメリカ国内で頼りになるのは航空用と同じ小型内燃機関を量産していた自動車工業界しかありません。ディーズもウォルドンも自動車工業界と関係を持っていましたから、国産軍用発動機計画に従事するエンジニアは航空関係ではなく、自動車関係から選定されています。当時、高性能で繊細な大馬力軍用航空発動機をいかに大量生産の手法に長けているとはいえ、自動車工業が担うことには大きな疑念があり、ヨーロッパ式の手作業による繊細な製造工程が相応しいというイメージが広がっていましたから、これはひとつの冒険的決断でした。
しかし自動車工業界にも航空に関係したエンジニアが全くいない訳でもなく、国産軍用発動機計画のために集められた設計チームのリーダーを務めるホールとヴィンセントはそれぞれ、ホール・スコット自動車製造、パッカード自動車の設計部門を率いるエンジニアです。そしてディーズとウォルドンの下に集められた設計者グループは当時の主要自動車製造会社の連合体といった雰囲気を持っています。進取の気性に富んだ創業社長たちが健在だった20世紀初めのアメリカの自動車工業界は祖国が参戦した世界戦争への貢献に極めて積極的です。このあたりは「時代の雰囲気」を感じるところです。
こうして新しい大馬力発動機はその企画こそ陸軍内部から生まれたものの、発案者は自動車工業に縁の深い民間エンジニア出身者で、基本設計は航空と自動車と両方の世界に通じる人々が中心となって試作発動機の各部の製作はアメリカの主要自動車関連企業に割り振られ、パッカード自動車の開発部門がその取りまとめを行うという形で進められます。
全て既存の技術と理論で作り上げる原則を貫いて、突貫作業で製作された試作1号機は信じられないことに1917年7月3日には完成してしまいます。
1号機は8気筒バージョンでしたが、これは200馬力台の8気筒バージョンが最も需要があると見込まれていたからです。馬力に応じて4気筒から12気筒までのバリエーションを持つことで単座戦闘機から大型爆撃機まで幅広く使えるシステム化された製品を造る方針でしたが、実際に量産できる時期にも陳腐化しないことが大切でしたから最終的には最も馬力の大きい12気筒バージョンに重点が置かれ、結局量産は8気筒と12気筒の2バージョンで行われリバティーといえば12気筒となって行きます。
連合国のアメリカに対する期待は「大馬力発動機の量産」なのですから当然です。
試作発動機はそれこそアメリカの自動車工業各社とその関連分野が総がかりで分担しています。たとえばこんな具合です。
ベアリング類=ジェネラルアルミニウム&ブラスマニュファクチャリング
コンロッド=ロッカーアーム キャディラック自動車
カムシャフト=L.O.ゴードンマニュファクチャリング
クランクシャフト鍛造=パークドロップ鍛造
クランクシャフト機械加工=パッカード自動車
べベルギア=ホール-スコット自動車
ボールベアリング=ヘス-ブライトマニュファクチャリング
ピストンリング=バード-ハイ コンプレッションリング
ピストン=アルミニウムキャスティング
バルブ=リッチツール
スプリング=ギブソン
キャブレター=ジーナスキャブレター
点火装置=デルコ
その他部品=パッカード自動車
各社が造り上げた部品はパッカード自動車の試作工場でただちに組み立てられ、7月3日に完成した8気筒バージョンの試作一号機は50時間の耐久試験に掛けられます。追って完成した12気筒バージョンも8月25日までには耐久試験に合格します。
異様な程に短期間で完成できた理由は徹底して既存の航空発動機の設計を流用し技術で製造できる部品とで構成されていたことと、パッカード自動車が担当した試作作業全体の統制が優れていた点にあります。リバティーとは当時の各種大馬力航空発動機の優秀な部分をコピーして再構成したものです。シリンダーはメルセデス、ロールスロイス、イソッタフラスキーニ、ロレーヌ デートリッヒの設計を参考にしたもの、カムシャフトとバルブメカニズムはメルセデス、ロールスロイス、V型シリンダーの角度はルノー、パッカードの経験により45度に決定されています。当時、アメリカで国産化しようとしていたイスパノスイザとロールスロイスの設計を基礎に各国大馬力発動機の設計を採り入れ、自動車製造で得た経験と補機類を転用したのがリバティー発動機で、それは設計者の作品というよりも企画立案者と計画を統制した組織者の成果というべきものでした。
8月 16, 2009
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Posted in: アメリカ陸軍航空隊, 即席空軍大国, 発動機, 航空機生産
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