即席空軍大国 2(あとへは引けないアメリカの事情)
1917年4月のアメリカ参戦は国内を熱狂させるに足る出来事でしたが、その熱狂と同時にアメリカは連合国への軍用機供給計画を立案します。今まで原材料の供給だけで済ませていた援助を今度は完成品の軍用機でも行い、自らの航空機部隊も大拡張して戦場に送り込もうという計画です。こうした計画は政府や陸海軍の認識の甘さと、「工業大国アメリカ」に対する国民規模の自信と楽観主義によって急激に膨れ上がることになります。
軍用機調達予算は1917年5月12日に1080万ドルが認められ、ついで6月15日に3184万6000ドル、さらに7月24日には6億4000万ドル、そして第一次世界大戦を通じて16億7600万ドルが計上されます。アメリカに陸海軍に加えて新しい巨大な軍がもう一つ生まれたような予算です。戦争に勝つために必要なものを連合国が求め、アメリカ自身もそれが何であるかをよく認識していたことを示す予算であり、大国アメリカの恐ろしいところでもありますが、1080万ドルが認められた5月12日の段階で陸海軍が発注していた軍用機の注文残は334機あり、実はもうこんな程度の数字でさえ、各製造工場の生産能力を遥かに上回って納期の見通しすらつかない状態です。
この予算計画に対して航空部隊を傘下に置く陸軍通信隊司令官であり、博士号を持つ優秀な技術者でもあったジョージ スクエアは部下からの問いに対して「考え得る限りの規模の軍用機生産計画を思い浮かべ、さらにそれを二倍にして欲しい。それでも全く不足なのだ。」と答えたと言われています。4月の参戦以前から軍用機増産計画は存在していましたが、1月から2月にかけて検討されていた年間1000機の生産計画でさえ部内では「非現実的」として誰も真に受けなかったのに、それが3月23日には2500機に引き上げられ、参戦後の4月中旬には3700機をこれから12ヶ月以内に生産する計画が検討されるようになります。スクエアはこの計画案を却下しますが、それだけで収まる話ではありません。軍用機増産はアメリカの国威がかかる事業だからです。
アメリカ陸軍の計画は大まかに言えば100万人規模に拡大中の陸軍には初年度に36個飛行隊、1296機の第一線軍用機を必要とし、当座の乗員訓練用に10ヶ所の飛行学校と練習機334機が必要で6ヶ月後には練習機500機の追加が必要になり、次年度には5158機の調達が必要になるとの予想をベースとしていますが、計画はどんどん膨れ上がり5月23日の陸海軍統合技術会議では陸海軍の調達機数が7775機に跳ね上がります。さらに5月24日にはフランス政府から1918年春までに4500機の軍用機を前線に送り出すよう要望され、陸海軍統合技術会議はその要望に沿って第一線機12000機、練習機10000機に計画を拡大します。とにかく予算はあるので昭和19年の日本陸海軍くらいの大増産をいきなり始めようということです。
そうはいってもライト兄弟以来、アメリカで作られた飛行機を全て足してもせいぜい300機程度でしかありません。アメリカ航空機工業の実力と計画は絶望的に乖離していましたが、政府も陸海軍合同技術会議も、そして既に能力一杯の注文を抱えて麻痺している製造業者たちでさえ「アメリカが本気を出せばなんとかなる」と根拠も無く楽観視していたのが1917年春の状況でした。誰も彼もが航空機生産に関して余りにも素人だったのです。
そしてこうした航空機大増産計画の遂行は国民のプライドを満足させ、戦争への支持と勝利の確信を維持する重要な政策の一つでもあります。世界大戦中の航空戦は陰惨な地上戦とよりもまだまだ英雄達の領分が残されており、宣伝材料としては最上のアイテムだったからです。戦争の最もロマンチックな部分にアメリカが関与しないならそれは大きな失望につながります。ですからアメリカ政府としても一度、言い出した以上はあとへは引けません。戦争に引っ張り込んだ国民の手前、後へは引けないという国民感情への配慮がアメリカの航空軍備拡大を後押しした大きな要因のひとつであることは間違いありません。
しかし計画は膨らむものの、それを実行しようとするととにかく何もかもが問題となり、膨大な予算と信じがたい数値目標以外に何もない状態に誰もが困惑しはじめます。そんな中で大きく分けて6つの問題が認識されています。
1.どんな型式の軍用機を造ればよいのかわからない。具体的な機種についての情報がなく需要がさっぱりわからない。生産すべき軍用機を大至急評価選定しなければならない。
2.包括的な訓練体系や訓練学校、技術教育体制や練習飛行場群などを新しく作り出さなければならない。
3.陸軍通信隊の下にある現行の航空機部隊は平時において1500人程度の組織規模でしかない。これを合計15万人の規模を持つ戦時体制の組織に急速拡大しなければならない。
4.航空機生産能力の急速拡大を実現し年間生産能力を300倍にしなければならない。
5.現状の途方も無く未熟な状態から大規模な技術部隊を創設しなければならない。
6.この計画が必要とする資源の種類と量を確認し、同時に軍用機が必要とする様々な装備品を生産する新たな工業分野を急速育成しなければならない。
とにかく何もかもが無いという状態から、与えられた達成困難な目標に対して問題点の洗い出しが始まった訳です。同時に軍用機生産の手法を学ぶため連合国に対してアメリカへの航空関係技術者の派遣を求め、自らの技術者達を視察に送り出す手続きがとられます。連合国もアメリカの航空機工業に対してそれぞれのノウハウを提供する姿勢を示し、その中でも今までアメリカの工業技術と資源に依存していたフランスと、アメリカと国境を接するカナダは協力的でした。
こんな動きがアメリカの参戦からほんの2ヶ月程度の間に生まれ、慌しく推移する状況のもとでひとつの基本方針が生まれます。それはアメリカが他の連合国のような総合的な軍用機生産と航空軍備を目指すのではなく、連合軍航空兵力の一部を構成する限定的、重点的な分野に集中するというものです。こうして雲をつかむような目標を何とか手の届く範囲まで引き寄せる努力が始まります。
6月 29, 2009
· BUN · 2 Comments
Posted in: アメリカ陸軍航空隊, 即席空軍大国, 航空機生産
2 Responses
早房一平 - 7月 3, 2009
>新たな工業分野を急速育成しなければならない。
絶望とロマンが入り混じった世界ですね、うらやましく、かつ恐ろしい話です。
いつも目から鱗の落ちる話をありがとうございます。
BUN - 7月 4, 2009
早房さん
筆が遅くてごめんなさい。
このお話は教えを乞う側が実は進んでいたという点にあります。
面白いんですが続きはもう少しお待ちください。
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