アメリカ戦艦の辿った道 番外編2(割を喰う空母建造)

 第二次世界大戦で世界最大の海軍国となったアメリカは当然のことながら空母大国でもあります。アメリカの航空母艦といえば桁外れな搭載機数を誇り、強靭かつ合理的で非の打ち所の無い存在と評される反面、ファンにとっては軍艦としての魅力に欠ける部分があるようです。「赤城」の複雑な艦容や「ヴィクトリアス」の精悍さに比べると「エセックス」のような優等生はつまらない、ということかもしれません。

 けれども実用性を重視した合理的な航空母艦の手本のように扱われるアメリカ空母はアメリカ海軍航空隊にとってみれば理想的とは言い難い建造経緯を持っています 。今回は「ラングレー」から「ミッドウェー」までアメリカ海軍航空隊が満足するような航空母艦が与えられたことは一度も無かった、というお話です。

 最初の実験艦「ラングレー」と巡洋戦艦改造の「レキシントン」「サラトガ」はともかくとして航空母艦としてまともな検討プロセスを経て建造された最初の艦は「レンジャー」です。「レンジャー」の計画は1922年に始まり、共和党政権下で海軍に冷たい風が吹く中で久々の大型艦の新造でもあり、様々な案が検討されます。「レキシントン」の就役前で空母の運用についてほとんど経験の無いアメリカ海軍は初めての新造空母案をめぐって悩みに悩み抜き、27000トンの大型空母案から10000トン代の小型空母案、島型案とフラッシュデッキ案の比較検討などあれもこれもといった案が次々にまな板に載るので計画はなかなかまとまりません。

 そしてようやく問題点が集約されワシントン条約で許された空母保有制限トン数13万5000トンから「レキシントン」「サラトガ」を除いた総トン数6万9000トンを大型空母3隻とするか、小型空母6隻とするかが焦点となってきます。日本でも同じような議論があったのが面白いところですが、とにかくこの時代にはまだ実際の運用経験が無いので結論が長引きます。

 このときの大型空母案には誰もが普通に思いつく飛行機運用の面ばかりではなく、主力部隊の陣形を離れて風上に向かって航行して発着艦を済ませ、再び陣形内に復帰するための高速を求められたことから、高速を発揮できる機関を搭載すればそれなりに大きな艦型が必要になる、という技術的な背景があります。この時代の空母は随伴艦を引き連れて自分中心に行動できないのです。そして小型空母案には飛行甲板の総面積が小型空母6隻の方が広く、格納庫の合計収容能力も大きく、戦艦部隊の目として飛行機運用能力に優れるという主張が後ろ盾となっていて、大型案、小型案とも、後世から見ればどちらも少しだけピントがずれた着想から生まれています。けれども忘れてはならないのは大型案も小型案もどちらも戦艦部隊随伴を前提として優劣が論じられている点です。

 そして1922年の計画開始から4年もかけて1926年に原案がほぼ形をあらわし、さらに遅れて3年後の1929年度計画で建造承認を得て、1934年に就役した「レンジャー」は1万3800トンの小型空母となった訳です。
 しかしこの程度の小型空母は第二次世界大戦ではあまり役に立ちません。防御面でも問題があり、肝心の飛行機運用面でも飛行機の発達に取り残されてしまい、第一線ではほとんど使用されないままその生涯を終えることになります。その結果としてアメリカ海軍は「レンジャー」という熟考に熟考を重ねた末に完成した「失敗作」によって条約下の建造枠がさらに目減りして5万5200トンになってしまったという現実に悩むことになります。

 「レンジャー」の後に続いたのはNIRA予算によって建造が承認された「ヨークタウン」「エンタープライズ」「ワスプ」の3隻です。条約の制限下で大型案の規模は2万トンに縮小され、「レンジャー」と戦隊を組む第二の小型空母「ワスプ」が計画されます。しかし1万5200トンの「ワスプ」だけに留まらず「ヨークタウン」「エンタープライズ」という2万トン空母も当時の海軍航空隊にとっては窮屈な空母で認識されています。この頃には既に「レキシントン」「サラトガ」の運用実績があり、その中で空母に対して第一に求められた条件は同時発艦機数の増大とそれを可能にする長大な飛行甲板だったからです。1930年代半ば以降の海軍航空隊内ではfull-deck strikesという概念が生まれ、運用能力に優れる大型空母が理想とされていたのです。けれども観測と偵察、防空を主体とする戦艦部隊随伴空母としては隻数の確保が重要ですから、そこで生まれた妥協がこの大きさと隻数につながります。結局、条約時代のアメリカ空母は大2隻、中2隻、小2隻という中途半端な陣容となってしまいます。

 アメリカ空母の中途半端な計画は条約下での保有トン数制限が消えてもまだ続きます。1938年に計画された「エンタープライズ」に続く新空母「ホーネット」は強く望まれていたにもかかわらず新設計ではなく、当時の航空隊にとって旧式で妥協の産物である「ヨークタウン」型の3番艦となってしまいます。その理由は新空母の設計時期がルースベルト恐慌後の新戦艦建造ラッシュに重なり、「アイオワ」の設計作業が最優先で進められていたため、新規設計は当面不可能と判断されたことによります。新戦艦の建造計画を優先するあまり日本海軍の「大鳳」(昭和13年計画開始)と同時期の計画にもかかわらず旧式設計の持ち越しとなった訳です。その分、早く完成したことは結果的に幸運でしたが・・。

 第二次世界大戦最良の空母と評されることもある「エセックス」型の計画も理想とは程遠い状況下で進行します。17隻もの新戦艦建造計画が建造承認または承認待ちである以上、それらを支援する空母もとにかく急速かつ大量に必要です。そのために「エセックス」型も「ヨークタウン」の小改良拡大型に過ぎない艦となってしまい、当初の計画では1944年後半に完成予定の空母なのに「ヨークタウン」の拡大型という艦型的制約から水中防御も不完全で、同世代の空母には常識となりつつある装甲飛行甲板も持たない、という首を傾げたくなるような応急仕様で完成します。このような選択が行われた裏には空母の新規設計は戦艦よりも手間がかかる(「アイオワ」の基本的図面の総数は8150枚に対して「エセックス」は9160枚)という事情もあります。

 だからといって海軍航空隊は「エセックス」に不満を述べることはなく、逆に超大型装甲空母「ミッドウェー」に対して冷ややかな反応を示します。大型過ぎて多数の搭載機運用が煩雑になるというアングルドデッキの採用まで付きまとう問題を実感していたからです。「エセックス」の防御力の大小を気に病んでいたのは現場の航空部隊ではないのです。 航空部隊の発想はどこの国もそんな雰囲気です。

 このようにアメリカ海軍内の大艦巨砲主義と新戦艦建造計画によって、アメリカの航空母艦建造史は迷走と妥協と応急策に塗りつぶされています。なぜ?と聞き返したくなる程に不思議なことですが、それがアメリカ海軍における戦艦と空母の関係です。対日戦で猛威を振るったアメリカ海軍母艦航空部隊は第二次世界大戦直前まで、その総飛行時間の75%以上を戦艦部隊の支援任務に費やしていたのです。航空躍進時代だった1930年代を通じて、そして太平洋戦争期に至るまでのアメリカ海軍軍備計画の中で戦艦は相変わらず王者の地位に君臨し続けたということです。日本海軍とはえらい違いです。

6月 5, 2009 · BUN · 8 Comments
Posted in: アメリカ戦艦の辿った道, アメリカ海軍

8 Responses

  1. ペドロ - 6月 5, 2009

    >旧式設計の持ち越しとなった訳です。
    >その分、早く完成したことは結果的に幸運でしたが・・・。
     
    歴史を結果から眺めることに慣れてしまうと、こういう視点が失われてしまいますね。「熟考に熟考を重ねた末」に「強靭かつ合理的で非の打ち所の無い存在」が直結するのか、まだまだ模索する余地はありそうです。

  2. BUN - 6月 6, 2009

    MI作戦敗北後の日本海軍が空母の急速建造を計画した際に、航空本部が提案した応急空母案がそうであるように、航空の側から見たら、空母の「軍艦としての機能」はどうでもよく、それよりも「飛行場としての機能」が満たされることが最大の関心事です。そのあたりが戦艦と空母の違いなんですが、次回は隆盛を誇ったアメリカ戦艦部隊がどのように息絶えていったかを追いたいと思います。

  3. いものや - 6月 6, 2009

    エセックス級みたいな立派な空母を雲霞のごとくに作ってもらっていいなあとつくづく思いますが・・・。

    これまでの記事を拝見していると、公共事業として大車輪で動き始めたアメリカの建艦方針って、とにかく沢山作ることが第一義であった、ということでしょうか。その『とにかく沢山』のフネが、これがまた日本からみたら十分すぎる優秀艦であるだけに、溜まったもんじゃなかったでしょうね。

  4. BUN - 6月 7, 2009

    いものやさん

    わかります。その「溜まったもんじゃない」感じ。
    細部を見れば見るほどため息が出るのがアメリカの兵器なんですが、じゃあ細部を見ないで語ればこんな感じかな・・と。でも、それではいったい何時から「溜まったもんじゃない」アメリカ兵器になったのか、というお話もそのうちにやりたく思います。

  5. ねこ800 - 7月 5, 2009

    >このような選択が行われた裏には空母の新規設計は戦艦よりも手間がかかる(「アイオワ」の基本的図面の総数は8150枚に対して「エセックス」は9160枚)という事情もあります。

    ここがなんか引っかかります。

    船を作る側にとっては空母っていうのは手間隙がかかる割りに儲からない上に、船を作っているというよりは飛行場とその整備工場を設計しているような感じで、戦艦の方が造船技術者にとってははるかに面白いものだったんじゃないかなあと。

    だから空母中心の艦隊になることを嫌がったのは案外メーカーとか造船部局だったんじゃないかなあとふと思ったりしました。

  6. BUN - 7月 5, 2009

    ねこ800さん
    ご感想ありがとうございます。

     ミリタリーファンにとって戦艦と空母の違いは大ごとですが、要素的には戦艦も空母も大して変わりませんし、造兵部門を除けば仕事の質に大きな変化は無かったんじゃないでしょうか。
     またアメリカの軍艦建造で製品開発を担う「メーカー」という意識で造船所が関わることはありません。空母建造は超大型軍艦の建造という意味で戦艦と変わらない大仕事なのです。

     けれどもおっしゃるような部内の技術系集団と用兵系集団との主導権争いといった視点は大切だと思います。アメリカの軍艦建造史には両者の対決場面がいくつも見られるからです。

  7. ハワイ - 12月 31, 2010

    米空母は搭載数に関してはたいしたことないですよ。

    搭載数が多いのは米軍の艦載機が翼をかなり折り曲げられるのと、頑丈なため甲板に置いておくことができたからで空母の性能というよりは艦載機をほめるべきでしょう。

    実際エセックスより翔鶴のほうが格納庫の面積広かったんですし。

  8. BUN - 12月 31, 2010

    ハワイさん

    日本空母も甲板上に露天搭載することが常識ですが、
    それでも追いつきません。
    翔鶴型は後部昇降機の固定まで検討されるほどです。
    格納庫は面積もさることながら天井の高さも重要です。
    日本の航空母艦はアメリカのものに比べて
    艦上機の本格的な運用経験が数年分不足しているように感じられます。

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