アメリカ戦艦の辿った道 6(陸軍の窮状)

 国家工業復旧法(National Industrial Recovery Act)を利用して海軍軍備を推し進め、「ビンソン トランメル法」として知られる建艦計画に踏み切ったルーズベルトですが、なぜか諸外国に対して「アメリカは攻撃的な軍備を捨て去り、軍縮を進めつつある」と宣言しています。軍縮条約の制限一杯までの大建艦計画(総額9億4400万ドル)の要求を段階的に実現しようとしている当の本人がよくもそんな発言ができたものですが、ルーズベルト本人はまったくの本気です。なぜなら陸軍と航空に関する予算は確かに削減されているからです。

 航空に関しては以前、B17の話題で触れたように実に寒々しい予算しかつかない状態でしたし、軍艦建造という労働集約型の産業に比べて、産業としての規模が遥かに小さく、しかも造船のように全国各地の沿岸地域に広く散在している訳でもない航空機工業による雇用促進効果はまったく取るに足らないものでしたからNIRAの予算を航空機生産に割くことは考えられません。そのために陸軍航空隊、海軍航空隊ともに機材の新規調達に苦しむ時代が第二次大戦開戦直前まで続きます。

 そしてアメリカ陸軍についてもまったく同じことが言えます。
 世界恐慌最初の年である1929年から1940年までの陸軍予算はこんな具合です。

1929年 3億1167万ドル
1930年 3億3241万ドル
1931年 3億3967万ドル
1932年 3億4371万ドル
1933年 3億466万ドル
1934年 2億7705万ドル
1935年 2億5554万ドル
1936年 3億5120万ドル
1937年 3億8824万ドル
1938年 4億1526万ドル
1939年 4億6020万ドル
1940年 7億4206万ドル

 たしかにルーズベルトは情け容赦ない予算削減を陸軍に対して行っていることがわかります。NIRA時代の1934年、1935年は第一次世界大戦以来最低の予算となっています。しかもドイツ再軍備後の1936年から1939年にかけての年度ごとの伸び率も10%程度でしかありません。ルーズベルト政権下でもアメリカ陸軍は少しも恩恵を蒙っていないことがわかります。これでは「空の要塞」を揃えるどころか、地上戦用の兵器すら満足に調達できません。P-39エアコブラからターボスーパーチャージャーが降ろされたり、戦車開発でドイツの後塵を拝したり、優秀なM1半自動小銃がちっとも行き渡らなかったりしたのも、その源をしつこく辿ればこの緊縮予算だともいえます。

 予算のついでに陸軍そのものの兵力推移も見てみます。

1929年 将校13,313人 兵力137,529人
1930年 将校13,344人 兵力137,645人
1931年 将校13,350人 兵力138,817人
1932年 将校13,287人 兵力133,200人
1933年 将校13,227人 兵力135,015人
1934年 将校13,152人 兵力135,974人
1935年 将校12,868人 兵力137,966人
1936年 将校12,909人 兵力166,121人
1937年 将校13,115人 兵力178,018人
1938年 将校13,304人 兵力183,455人
1939年 将校13,814人 兵力187,893人
1940年 将校14,667人 兵力264,118人

 やはり1930年代中期まで陸軍は縮小しています。特に将校は1935年度に谷間がある上に1940年になってもほとんど増員できていません。兵力は少しずつ増加していますが、第二次世界大戦開戦の年、1939年のアメリカ陸軍はせいぜいドイツ「空軍」の半分以下の兵力でしかありません。ルーズベルトの「軍縮を進めている」との言葉はこの点ではまったく正しく、1930年代を通じてこの程度の陸軍しか持たないアメリカが大規模な侵攻軍を編成することはまず不可能です。

 アメリカ海軍の軍備拡張は「世界情勢の緊迫化に従って大規模に進められた軍拡の一部」のようなイメージがありますが、実際には「ニューディール」時代にNIRA予算を使って行われた軍艦建造がいかに突出したものだったか、それがどんなに特別扱いだったか、を納得いただけたと思います。

3月 24, 2009 · BUN · 2 Comments
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2 Responses

  1. fff - 3月 25, 2009

    政治家の意志と予算というのは、結論を見いだしにくい話題では
    ありますが、知識として、とても参考になります。

    ルーズベルトが海軍を重視したのは、ある意味「島国」であるアメリカ
    にとっては国防上もっとも有効な策であるという面もありそうに思います。
    船舶の建造はハコモノに似て、ライン的にも雇用面でも、配備までも、
    取り敢えず時間を稼げるというのもありそうです。

    まだ帰趨のはっきりしない兵備は、実績を見てから整備すればよい、と。
    経済的にも、兵備の内容的にも、後手に回れる余力を残す目的で、戦前に
    可能な限り実兵力を押さえておくのは、悪く無いように思います。
    逆に、再生産力を破綻させてまで大兵力を持ち、維持と使い道に困るなんて言う
    のは、明瞭な意志が無い場合、最悪でしょうか。
    (意志があったらあったで、無鉄砲、や、この場合鉄砲がありすぎるのか・・・
     無茶な事ですが)

    大統領の意志がどこにあったか、とかく言われますが、今回までを読ませて
    頂いたり、自由圏が孤独化する事は避ける政策を見る限り
    (選挙民の総意は、自由なアメリカが世界中で大手を振って歩ければそれで
     良し。そこから先は、意見が別れてそうですが、「まだわからない」が
     最大じゃなかったかと。)
    「相手の出方次第で、どうとでも出来る」
    態勢を、整備することだったのでは無いかと思いました。

    この国のこの力と、判断力の優位の源泉は、ふたつと無い幸運と民主主義で
    得られたモノの様な気がしています。
    劣勢でも、これが出来るかどうかは、分かりません。
    もしかしたら、彼らは勝ち続けなければならないのかな。

    などと考えましたが、大ハズレだったりするでしょうか。
    乱文すみません。

  2. BUN - 3月 25, 2009

    fffさん

    おっしゃる通り、こうした史実をどう考えるか、色々と楽しみどころの多い部分だと思います。ニューディール時代に訪れた最も大きな変化は大統領の権威がかつてなく高まった点にあります。そしてもはや議会が海軍軍備の技術的側面や戦略面について論じられる状況ではなくなってしまった時代でもあります。さらに国家として解決すべき第一の問題は不況の克服であって戦争準備ではないのです。空軍の話題でも触れましたが、ルースベルトはこと軍備に関してはヒトラー以上に直截的でしかも実際に権限を持っていますが、それはあまり歴史の表面には出てきません。そしてニューディール政策について書かれた一般向け解説書にはほとんど触れられることがない、ときたら、多分それは我々にとって採り上げるべき「面白いこと」なのです。

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