アメリカ戦艦の辿った道

 今回は戦艦のお話です。戦艦というと極めて伝統的な存在のように思えますが、ドレッドノートから始まるド級戦艦、超ド級戦艦は実は第一次世界大戦で初めて使用された「新兵器」の一つであるという点では飛行機や戦車とそれほど変わりません。特にド級巡洋戦艦は誕生以来賛否両論のある存在で、フォークランド海戦からジュットランド海戦、さらに戦後に至るまで様々な議論を呼んで、実に「新兵器」らしい雰囲気に包まれています。けれども第一次世界大戦で初めて使用された圧倒的威力の「新兵器」であるはずのド級戦艦が「伝統的」なイメージを持ってしまうのは何故でしょうか。

 その理由のひとつが飛行機の存在です。第二次世界大戦は航空機の戦いでしたからその結果からさかのぼって航空機の台頭を辿る歴史観が根強くあります。「大艦巨砲主義vs航空主兵論」といった視点です。旧思想と新思想の対立構図は説明しやすく理解しやすいものですし、しかもそれを補強する事実もありますからド級戦艦は頑迷な旧思想の側に追いやられてしまう訳です。

 ミッチェルが1921年にデモンストレーションした旧式戦艦と鹵獲戦艦に対する爆撃実験などはその最たるもので、そこに転換点があったと考えたくなってしまうのも無理はありません。けれどもド級戦艦建造の歴史はそんなに単純ではなく、軍縮条約で建造を差止められたり、無条約時代を迎えると各国で新戦艦群が続々と建造され、その先頭を歩んだアメリカでは1937年から17隻の新戦艦建造が認可されたりします。ここではそんな戦艦建造の先頭にいたアメリカ海軍の戦艦をめぐる動きについて見直してみたいと思います。

 結論から言ってしまえば、アメリカ海軍の戦術思想は戦艦中心主義から一歩も動かないまま第二次世界大戦を迎えています。戦術思想の範囲で見る限りミッチェルのデモも航空母艦の発達もほとんど影響していません。アメリカ海軍は戦艦こそ洋上決戦の主力とする思想を堅持し続けるのですけれども戦艦建造への逆風は航空とは別の方向から吹き寄せることになります。軍用機の発達が戦艦の前に立ちはだかった訳ではないのです。

 戦艦建造に対する一番の障害は第一次世界大戦の結果から出現した「戦艦への失望」でした。1920年代に海軍組織の外にあった人々にとって「戦艦」が膨大な予算を消費しながら戦争の結果に対して何の影響も与えられなかったという事実は失望以外の何ものでもありません。ドッカーバンクやジュットランドで激戦を戦っても戦争が終わるどころか、その終結を促進する効果さえなかった上に、連合国海軍は膨大な数の戦艦群と合計100万人もの兵員を抱えながら、たった1万人のドイツ海軍潜水艦部隊にイギリスを崩壊寸前にまで追い詰められてしまったのです。

 次世代を担う新兵器として、この実績は惨憺たるものでした。異様に金を喰う割には次の戦争で国民の出血を減らせる可能性が少ないという認識が国内に生まれてしまったことは戦艦にとって致命傷に近い打撃です。ミッチェルの爆撃デモはそうした認識を煽る意味で重要でした。海軍部内から見れば、旧式艦や戦闘損傷を十分に回復していない鹵獲戦艦が、大して命中率も良くない爆撃を受けて沈んだところで何の驚きもありません。艦が停止している上に、ダメージコントロールを行う兵員も乗り込んでいない旧設計の戦艦が爆撃によって沈没するのは当然のことだったからですが、一般の人々の目にはそうは映りません。しかもミッチェルはこうした煽動に関しては大した知恵者ですから戦艦の上空で爆弾を炸裂させることによって非常に派手な(海軍軍人から見れば無意味な)写真を撮影させています。

 「乗員が満たされた新型戦艦が戦闘航海中に爆撃で撃沈されることは考えられない。」とするアメリカ海軍の反論は誇張でも何でもなく、当時としてはまったくの事実です。そしてたとえ爆撃の精度が向上しても、あるいは航空魚雷が実用の域に達しても(現実には1930年代後半までかかった)将来建造される新設計のアメリカ戦艦は強化された水平防御とより進歩した水中防御で対抗可能だとする考えもこの時代には間違いではありません。しかもイギリス海軍よりも若い戦艦群を保有していたアメリカ海軍は現有戦艦に対しても相当な自信を持っています。

 とは言うもののアメリカ海軍部内がどんなに自信に満ちていても第一次世界大戦で地に堕ちてしまった戦艦という兵器に対する期待をもう一度呼び戻すことは不可能でした。海軍の外部に対してこのような軍事技術論を言い立てても十分に説得できないからです。戦争を終わらせる能力を持たない兵器、戦争終結を早めた実績の無い兵器としてワシントン会議で戦艦が軍縮の槍玉に上げられてしまう下地はこうして生まれています。そして軍縮条約下での戦艦新造の禁止は戦艦をめぐる海軍外部での議論に対して戦艦の立場をさらに悪化させることになります。水平防御、水中防御を強化した将来の新戦艦が建造できないということは、戦艦が第一次世界大戦中の実力のまま、発達を続ける航空機のイメージと対決しなければならない苦境が条約下で続くことを意味するからです。

 そしてアメリカ戦艦にとって最も恐るべき「敵」は戦後の戦艦への失望でも、ミッチェルが煽った航空機の威力でもなく、1930年代初期まで続くアメリカ共和党政権だったのです。

3月 15, 2009 · BUN · 4 Comments
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4 Responses

  1. きっど - 3月 15, 2009

    >戦争を終わらせる能力を持たない兵器、戦争終結を早めた実績の無い兵器
    ということは、日露戦争的な戦争経過を辿れば(ジュットラントでどちらかが全滅→勝者有利で戦争終結)、逆に新時代を担う主力兵器として建艦競争が継続・推進された可能性も有るという事でしょうか?

  2. アラスカ - 3月 15, 2009

    >>日露戦争的な戦争経過を辿れば、逆に新時代を担う主力兵器として建艦競争が継続・推進された可能性も有る
    確かにそうですね。
    実際、第二次世界大戦後のアメリカ海軍では太平洋戦争で空母が重要な役割を果たしたおかげで「主力兵器」のような位置づけになっていますし。

  3. BUN - 3月 17, 2009

    きっどさん
    アラスカさん

    アメリカ海軍は実に面白い海軍ですよね。
    最も旧式な発想の海軍が最も先進的な洋上航空兵力を整えてしまうまでの道筋を追うと日本海軍の軍備政策についても見方が変わって来ます。

    しかし・・・新幹線車中で書き上げると、どうにも推敲の足りない文章になってしまいます。読みにくいところはどうか御容赦ください。

  4. アラスカ - 4月 7, 2009

    >>ドッカーバンクやジュットランドで激戦を戦っても戦争が終わるどころか、その終結を促進する効果さえなかった

    第一次大戦中のイギリス海軍の存在意義は「植民地からブリテン島へ資源を運ぶ」と「ブリテン島から大陸へ兵士を送る」と「存在する(牽制)」の二つにあって、「ドイツ海軍の粉砕」はその手段に過ぎなかったんでしょうね。

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