航空戦略家としてのゼークト

 ドイツの軍事理論家といえば、第二次世界大戦前半に展開された「電撃戦」が与えた強烈なインパクトからグデーリアンなどの機動戦理論家達ばかりが有名ですが、その基礎を築いたのが第一次世界大戦後にヴェルサイユ条約下の厳しい軍備制限に苦しみながら国軍再建を担ったゼークトだったことは一般にも概ね認められています。けれどもゼークトが空軍再建についてもその基盤を固めた掛け替えのない指導者だったことはあまり知られていません。もしゼークトがせいぜいグデーリアン程度の見識のありふれた陸戦理論家であったなら、1935年以降のドイツ軍はあれほど強力な存在として復活しなかったことでしょう。

 ゼークトの空軍論は単に陸戦にとって航空兵力が決定的存在であるというだけではありません。世界大戦を戦ったドイツ陸軍の高級指揮官であればほぼ全て同じ認識を持っていましたし、「航空機はまだ未発達で陸戦には大した影響を与えることはない」などという時代錯誤な頭では1個連隊を指揮することすら困難でした。ゼークトの空軍論の特徴はひと言で言えばその先鋭的な理論と世界大戦の経験がバランスされた実戦的なものだった点にあります。それは次のようなものです。

1.陸軍、海軍に対して対等の独立空軍の創設。
2.航空兵力の攻撃的運用を徹底。
3.空軍にとって最大の敵かつ最優先攻撃目標は敵国空軍であるとの認識。
4.航空撃滅戦による航空優勢確立を最優先。
5.航空優勢下での動員の妨害と敵野戦軍の無力化を重視。
6.戦略爆撃の効果に対する冷静さ、とくに敵国民の士気崩壊効果への疑念。
7.戦略爆撃に対抗する防空体制の重視、民間防空の促進。

1の海軍にもそして陸軍にも対等の立場にある独立空軍という発想が陸軍の将校であるゼークトの頭にあったのは何故でしょうか。戦争中に空軍独立が海軍の反対で潰れたことは前に紹介しましたし、ヴェルサイユ体制下でほとんど意味をなさない存在に成り果てた海軍はもはや無視できましたから空軍独立を妨げる障害はヴェルサイユ条約そのものしかありません。そうはいっても陸軍に対しても対等な独立空軍とはいったい陸軍にとって何の利益をもたらす存在なのでしょう。

 それはゼークト本人の言葉にもある通り、「戦争の基本的な枠組みは変わらない。しかし今まで陸軍や海軍が最重要視した攻撃目標をもっともたやすく攻撃できるのは空軍である。」という発想に基づいています。ドイツ流の陸戦理論が航空機の台頭を迎えてさらに突き詰められた結果がゼークトの独立空軍論です。航空機を徹底して攻撃兵器として最重要目標に対して集中運用する基盤をゼークトは独立空軍と呼んだのです。乾坤一擲の大攻勢作戦に従来の陸軍の枠組みを超えた大量投入、集中運用を実現する組織がゼークトの主張する独立空軍で、空軍の能動的な戦闘が陸戦の勝利に必須と考えられた故にこそ、そうした発想が生まれています。事実、程度の差こそあれ、欧米諸国の空軍とは全てそうした発想に支えられて独立しています。欧米の独立空軍とは諸国の陸軍が自ら望んで生み出した異能の子でもあります。

 そして最重要目標をもっとも迅速かつ容易に攻撃できるのが強力な独立空軍であるならば、それを阻む最大の敵は敵国の独立空軍であることは当然で、ゼークトにとっての将来戦とは自国の空軍が敵空軍を撃滅することから始まります。この発想も世界大戦でドイツ陸軍が学んだ教訓の一つです。航空優勢を確立することが友軍の地上兵力に行動の自由を与え、敵地上軍を拘束、無力化する最短の道であることは既に経験から導き出されていますからゼークトのような陸軍の将校が航空機を単なる支援兵力として考えず、決勝兵器として位置付けたのも論理的な思考の結果といえます。

 また、ゼークトの空軍論には特徴的で面白い部分があります。それは戦略爆撃への冷淡な態度です。ドイツ陸軍は戦略爆撃を世界に先駆けて発想、実施した軍隊ですが、ゼークトは1920年代の空軍理論家達とはまったく異なり、戦略爆撃によって敵国の戦争継続能力を破壊し、敵国民の士気を崩壊させるという発想に熱狂することなく、戦略爆撃に優先権を与えません。これは実際に戦略爆撃を実施した経験、戦略爆撃を受けた経験によって導き出された態度なのかもしれませんが、そうとも言い切れないものがあります。確かにドイツ軍の期待通りにイギリスの国民士気を崩壊させることはできなかった上に、自国民もイギリスの戦略爆撃に耐えてしまいましたから、これも世界大戦から得た教訓の一つではありますが、ゼークトの頭の中にはそうした消極的な理由だけではなく、空軍を別の用途に集中投入することで、戦略爆撃よりも迅速かつ確実に戦争を勝利に終わらせることができるとの発想があったようです。

 ですから戦略爆撃の実施に消極的な態度を示したにもかかわらずゼークトは将来の戦争で戦略爆撃は日常的により激しく実施されると予測し、戦略爆撃に対抗する防空体制を重視していることが挙げられます。とはいっても現実にはヴェルサイユ体制下でろくな対空火器もない状態での積極的防空は不可能ですから、防空戦術の研究とドクトリンの整備、そして次善の策としての民間防空の充実を推進しようとします。このようにゼークトの認識としては、戦略爆撃は無力なのではなく、むしろ十分に警戒すべきものであるけれども、将来再建されるドイツ空軍にとって開戦劈頭になすべき仕事は他にあると考えていたのです。

 1920年代は紛れもなく戦略爆撃万能論の勃興期です。けれどもゼークトがそれに与しなかったのはゼークト本人があくまでも経験豊かな陸戦指揮官であったことが大きな理由のようです。ゼークトにとっての独立空軍とは、将来の陸戦が地上軍だけではなく強力な航空兵力との連携による大規模な空陸一体の突破作戦となる時代に勝敗の鍵を握る存在のことです。その心の中にはもし敵空軍を開戦劈頭に撃滅して航空優勢を確立できる本当に強力な独立空軍が実現するのなら、今度こそドイツ陸軍の機動突破作戦は途中で頓挫することなく、仮想敵国フランスの首都パリに到達するだろうとの確信があったのでしょう。

 ゼークトの独立空軍構想は、突き詰めればもう一度フランスに突破作戦を仕掛けるための航空軍備と言うことができます。やるべきことが明らかで主張が具体的でしたからドーウェのような夢想的理論で注目を集める必要はありません。そしてかつて空軍独立を妨害したドイツ海軍はヴェルサイユ条約下で壊滅同然でしたからミッチェルのような海軍を敵視した派手な煽動も必要もありません。

 ゼークトは20世紀を通じてみればむしろ航空戦理論の隠れた本流ともいえる航空撃滅戦と空陸一体の機動突破を主体とする新たな戦争形態を世界に先駆けて唱えた人物と言えます。戦略爆撃の威力を声高に主張したドーウェ、ミッチェル、トレンチャードといった「航空出身の空軍独立論者」が意識的あるいは無意識に避けて通り、あるいはただ能天気に見過ごしていた「空陸一体の機動突破作戦」という概念をそれこそ身に染みて理解していた「機動戦論と掛け持ちの空軍独立論者」であることでゼークトは異彩を放つのです。

1月 4, 2009 · BUN · 6 Comments
Posted in: ドイツ空軍, ドクトリン

6 Responses

  1. king - 1月 5, 2009

    謎だった部分が糸のようにどんどん繋がっていきます。フォン・ゼークトに焦点を当てると理解が進むとは思いませんでした。一般の歴史情報ではスルーされてしまう人物ですよね。
    ゼークトからゲーリング、ヒトラーにどの様に繋がっていくのか興味深深です。それともこの二人はルフトヴァッフェの発展に関与していないとか。

  2. BUN - 1月 5, 2009

    kingさん

    ゼークトは、電撃戦礼賛指向の論調からは、なるべくサラッと通過したいような人物なんです。その後の電撃戦イデオローグたちの伝説と整合性がとれない部分が出てしまうから。そして突き詰めてしまえば「機動戦にとって戦車は二義的な存在だ」という、これもまた一般には刺激の強い話になりかねないからです。

  3. fff - 1月 6, 2009

    上海事変の「ゼークトライン」の指導者ですよね。
    南京政府には二級品を売りつけたって事なのかな。

    日本軍を使って実験した?
    指導者が知識に先んじているという事は、強力な
    事ですね。

  4. king - 1月 6, 2009

    「機動戦にとって戦車は二義的な存在だ」とは確かに刺激的過ぎます。是非読んでみたいものです。
    自分を含めて戦車主力による大突破と機動戦に萌えてドイツ陸軍にハマル人が殆どのはずですので。

  5. fff - 1月 7, 2009

    電撃戦の要諦として、スツーカの存在は必ず併記され
    ますけど、実際には無視に近いですよね。
    よく、空飛ぶ砲兵と言われるけど、半誘導砲弾と言った
    ほうが近いと思います。
    太平洋側のように、巨大な艦船相手に比べると命中率
    は落ちそうですが、ナポレオンの砲兵どころではない
    圧迫を相手に与えたでしょうから、高速の陸上部隊と
    協力したときの突破力は比肩出来る物が無かった、
    と理解しています。
    つまり、空軍を使えると使えないとでは、出来る事が
    もう全然違ってくると。
    どうなのかな・・・。

  6. BUN - 1月 7, 2009

    fffさん
    ゼークトを否定的に扱う本も多く出回っていますが、この人をどう眺めているかで、執筆者の姿勢が明確にわかるというひとつの試薬のような存在かもしれません。

    kingさん
    その通りですね。説明するのが億劫になるほど大変です。

Leave a Reply