第一次世界大戦ドイツの航空戦ドクトリン3
海軍の反対により独立空軍とはまで行きませんでしたが、1916年中にはドイツ陸軍航空隊は独自の総司令官と総司令部を持ち、各飛行隊は航空隊の組織の中により強く組み込まれることになります。今まで地上軍指揮官の下にあった各飛行隊長はより上位の総司令部の指揮を受けるようになり、航空部隊の半独立が実現したということです。地上軍が隷属させていた飛行隊を半ば手離してしまった最大の理由は航空兵力の機動集中がより大規模に実施できなければ陸戦も負けてしまうという認識がかなり広い範囲で共有されていたためです。
こうした組織改革はドクトリン面にも大きな変化をもたらし、1917年初頭から各分野の新しいドクトリンが生まれ、次々にマニュアル化されます。これらを総じて1917年ドクトリンと呼ぶならば、それは前年のベルダン戦への反省から成り立っているといえます。ベルダンで航空優勢確立に失敗した本質的な理由について「飛行機を防御的に用いたからだ」と分析することで、攻勢的航空戦の具体的な実施方法と手順がマニュアル化されているのです。
1916年の組織改革と1917年ドクトリンによって独立空軍的性格を強めたドイツ航空部隊はその成果を1917年の5月から11月にかけての西部戦線でのイギリス軍攻勢に対して発揮します。「血まみれの四月」はその序曲でしかないのです。1917年の航空戦で前年と明らかに異なる点は総合的航空戦が初めて戦われた点にあります。この戦いの特徴は両軍の航空部隊が互いに戦線後方の諸施設に対しての本格的航空攻撃を実施したことと、航空優勢を争う航空撃滅戦が戦闘機同士の連続的空中戦と敵飛行場攻撃を常態化させたことです。
既に1916年度の航空機生産で明らかに劣勢に立つドイツ航空部隊は従来のような分散した航空戦を戦えば数の力で圧倒されてしまいます。そのためには機動集中による局所優位を得られる編制と支援体制を充実しなければなりません。こうした課題を解決するために誕生したのがヤークトゲシュバーター(JG)です。それまで戦闘機飛行隊は数機から10機程度の単位で活動していましたが、1917年6月に編成されたJG1はそれぞれ12機、14名のパイロットを持つ戦闘機飛行隊を集成した航空機動単位といった性格を持ち、その制空作戦は原則的に50機単位で実施されるものでした。総兵力で優るイギリス軍戦闘機はJG1の出撃単位の大きさで個々の空中戦では数的劣勢に陥ります。しかもJGは機械化された支援部隊と共に常時必要な戦区に移動しますからイギリス軍戦闘機隊はそれに応じた機動が出来ない限り対抗できません。1917年頃、第一線戦闘機部隊の兵力は2対1という劣勢に陥っていましたが、それでも航空戦を戦い続けられた理由の一つにこうしたドクトリン上の優位があります。
さらに地上攻撃ドクトリンにおいてもドイツ側は専門に開発された防御装甲を持つ地上攻撃機の集団投入戦術を確立していましたから、野戦軍の指揮下にある通常の戦闘機が単機で塹壕を銃撃することを許していたイギリス軍の戦術よりも遥かに効果的です。そして爆撃機部隊は戦線上空だけではなく、後方への爆撃作戦にも投入され、鉄道拠点、補給拠点、予備軍、砲兵陣地への爆撃を頻繁に行うようになります。
航空兵力の機動集中戦術と地上攻撃ドクトリンの熟成によって、ドイツ航空部隊は数的劣勢を何とか支えることに成功します。塹壕戦の悩みどころは対峙する両軍の突破できる縦深が、迎え撃つ側の防御縦深を超えられないことがその本質でしたから、砲兵陣地への攻撃で阻止砲撃を緩和し、その上で鉄道拠点や補給拠点への攻撃と予備軍による増援の妨害が実現できれば、防御縦深を実質的に浅くすることができます。1918年春のドイツ軍最後の地上攻勢がある程度進捗する理由の一つがこの航空戦術の変化と専門機材の充実です。陸戦の範疇から狭く眺めれば「戦闘群方式」による浸透戦術が有効だったという通説になりますが、たしかに自立的な分隊単位の戦闘という新戦術は画期的ではありますが、1918年攻勢が敵の塹壕線を突破できた背景にはもう一つの要因があったということです。
こうした変化は、実は諸刃の剣でもあります。イギリス軍もフランス軍もアメリカ軍でさえ、そうしたドイツ軍の機動集中戦術に数ヶ月遅れて対抗し始めます。ドイツ軍の機動集中戦術による局所的な兵力優位は、じきに連合軍側にも応用され、航空機生産で圧倒的な余裕を持つ連合国側はドイツ軍に対してほぼ同じ攻撃を同じようなやり方で大規模に実施できるようになってしまいます。
第一次世界大戦で両軍に大きな出血を強いた塹壕戦は相変わらず難題ではあっても、航空戦術の発達によって両軍にとって何とか克服可能なものになってしまったということで、自ら撒いた種が敵側でも実ることは避けられないことでしたから、ドイツ軍の西部戦線がやがて崩壊の危機に曝されるのは時間の問題でした。敗戦はほぼ明確に見えていた訳です。
「戦車があの程度のものだったのに何故?」「歩兵戦術の変化がそれほど画期的だったのか?」と喉に魚の骨が引っ掛かるような気持ちで眺めていた第一次世界大戦の地上戦も一度、空から眺めてみれば別の流れが見えてくるかも・・・というお話です。
12月 15, 2008
· BUN · 11 Comments
Posted in: 第一次世界大戦
11 Responses
ヤマザクラ - 12月 15, 2008
驚きました。敵後方へのインターディクションで
防御の機能を低下させて攻勢を行う構図は、
WWII以後と基本的には同じですよね。
WWIというとなんとなく、滲透攻撃や戦車を用いるだけで
敵戦線が崩壊した時代のようなイメージがありましたが、
現代に繋がる軍事理論の胚胎があったのですね・・。
BUN - 12月 15, 2008
ヤマザクラさん
ヴェルサイユ体制下の長いインターバルを経ながらドイツ空軍が急速再建できたのも、第一次世界大戦中、ドイツ陸軍が画期的塹壕突破兵器であるはずの戦車に対してどことなく冷淡なのも、その理由の一部はこの辺りにあるようです。
陸戦理論の巧拙だけを批評しながら第一次世界大戦の地上戦を語るのは、ちょっとリスキーな行為なのかもしれませんね。
king - 12月 16, 2008
同じく第二次上海事変のゼークトライン突破も喉に魚の骨がある感じですね。航空の支援もそれほどなく?歩兵の浸透戦術だけで要塞地帯をなぜ突破できたのか気になります。
BUN - 12月 16, 2008
陸軍の上陸前には支那軍の増援阻止のために交通要衝を攻撃、陸軍の攻撃開始後には突破作戦支援と、上海への地上支援作戦には当初1、2航戦他を中心としながら結局中攻隊、大攻隊も投入されます。すなわち海軍航空隊のほぼ全力が参加していますね。高速空母を狙える技量の艦爆隊が地上支援を行っているんです。
でも地上で弾をくぐっている側にとってみればそれは「当然のこと」なんです。このあたりは戦記の落とし穴みたいなものですね。
fff - 12月 16, 2008
某有名1次大戦サイトで、空軍の項目はおつまみ程度になってますね、フランス側の連絡技術のみ書いてある。
確かに、偵察と通信技術自体は重要かと思いますが。
空軍の活用と、その生産力の限界、この取りこぼしは大きいですよね。
あちらでは敗戦自体を戦略的な物ではなく、個人の戦意、特に、ルーデンドルフ個人の責任としているように思います。
ちょっと見方が変わりそうです。
上海事変のゼークトラインの所では、後方への航空攻撃
は書いてあるけど、浸透戦術は陸軍の功績になってますね。
この時点で日本陸軍は浸透戦術を身につけ世界最先端であった。
としていますけど、それが可能になった理由がぼかされていて、違和感があったんですよね。
今後も楽しみにさせて頂きます。
fff - 12月 16, 2008
ああ、書き漏らした。
そりゃ、塹壕で撃ち合ってるときに空から一方的に
撃たれたら、壁の一穴。
圧倒的に隙が出来ますよね。
これと、浸透装備を持った陸兵が加わったら、穴も
広がる。
陸側と連絡が取れたとは思えないから、航空機側が
ポイントを把握していたのかなあ。
この辺興味有ります。
BUN - 12月 16, 2008
fffさん
他所は他所、私は私ですのでどうか穏便に。
ご指摘の航空機と地上軍の協同という課題は、軍事航空史の中で一番最初に生まれて、最後まで残っているんです。お考えの通り、戦略爆撃より低級なイメージのある地上支援こそ、実は一番困難な課題だったんです。
uuchan - 12月 16, 2008
空軍と陸軍の協力ということで疑問があります。
WWIでは砲兵の弾着観測をどのようにしたのでしょうか。
気球なら有線で連絡がつきますが、航空機からは無線で伝えたのでしょうか。
空軍の地上協力には、WWIIのような地上管制官的な役割の人が必要と思いますが。
つたない質問ですいません。
BUN - 12月 16, 2008
原始的な方法から近代的な方法まで一挙に進むのがww1の面白いところですが、このあたり、もしお付き合い願えれば掘り下げたく思います。
king - 12月 17, 2008
ぜひ掘り下げて下さい。
そういえば自衛隊って航空機の弾着観測の仕組みが無いように思えます。空⇔陸の通信インフラも無いようですし。
上海への地上支援作戦→
1,2航戦と中攻を陸軍の地上支援に使うとは、、贅沢過ぎます。
BUN - 12月 17, 2008
自衛隊については基本的な情報はかなり調べられます。
ご健闘を祈ります。
母艦航空隊が出撃した理由ですが、他に機動できる航空部隊がいないという建前はありますが、上海で包囲されている部隊がどんな部隊なのか、という点も重要ですよね。
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