みるみる溜まる戦闘機

 軍用機は工場で機体が完成しエンジンやプロペラを取り付けて飛べるようになっても、そのまま前線に送られることはありません。完成した飛行機を実際に飛ばして問題が無いかどうか試験飛行しなければなりませんし、エンジンが順調に回って安全に飛べたとしてもまだ武装や無線機などを積み込む作業が残っています。飛行機工場は機体を作り上げるだけですからエンジンやプロペラは外から持ち込まれます。そして武装や無線機は工場で積み込まれることもあれば、軍に引き渡された後に補給拠点で搭載される場合もあります。

 機体が完成してからもこのような仕事が残っていますから、何年何月○○機生産と記録があってもそれが工場完成機数であるか、飛行試験完了機数なのか、軍が領収した機数なのかで数字が大きく異なる場合があります。こうしたプロセスを経て部隊に引き渡されるものですから工場完成から部隊に配備されるまでの間に予想外の時間を費やしていることがあります。ここで手間取ると飛行機が滞留してしまいますので滞留機数は常に管理の対象となります。こうした事情はどこの空軍でも概ね同じで、例えば日本海軍の局地戦闘機「紫電」などは昭和19年前半までは工場で完成しても飛行試験を終了できない機体が溢れかえり、常時100機以上の滞留機が生まれて問題化しています。

 機体の完成だけでエンジンが間に合わず首無し状態となって完備機とならない事態もありますが、飛行機は工場で完成状態となりエンジンを積んで飛べる状態となって軍に領収されても滞留してしまう場合があるのです。今回ご紹介するのは1940年前半、すなわちバトルオブブリテン直前までのイギリス空軍補給廠における戦闘機の機種別滞留状況です。各工場で完成して試験飛行完了後に軍に領収された戦闘機が部隊に引き渡される前に各種装備品を搭載する段階でどれだけ手間取っていたかを示す数字だと思ってください。スピットファイアやハリケーンは「紫電」と比べてどうだったのかが少しだけ見えてきます。

 イギリス空軍ASU(Aircraft Storage Units)は管理下にある予備機を次のように分類しています。
クラス1 2時間以内に部隊に引き渡して作戦可能な完備機
クラス2 4日間以内に部隊に引き渡して作戦可能な完備機
クラス3 飛行可能だが4日以内には完備とならないもの
クラス4~6 完備予定の立たないもの

 

 もともとASUの予備機は部隊からの要求と生産とのギャップを埋める緩衝材として働くことを期待されていましたから、ある程度の機数があるのが自然なのですが、イギリス単座戦闘機はASUで70点から80点の装備品を取り付けて完備状態となりますから、航空機関銃、照準器、無線電話、酸素ボンベなどに始まる装備品の供給が機体とエンジンの生産に同期していないと滞留が始まります。次の表はそんな状態を示しています。

 

  ハリケーン滞留機数    
   Class 1  Class 2  Class 3  Class 4~6
3月16日 10 5 22 228
4月6日 5 1 33 243
4月27日 4 2 52 305
5月10日 1 0 48 366
5月24日 2 0 50 194
6月8日 18 4 20 215
6月22日 54 29 11 144
         
  スピットファイア滞留機数  
   Class 1  Class 2  Class 3  Class 4~6
3月16日 0 16 6 119
4月6日 4 1 13 88
4月27日 0 5 10 92
5月10日 11 6 10 83
5月24日 3 1 15 34
6月8日 4 0 2 15
6月22日 45 0 9 35
         
  デファイアント滞留機数    
   Class 1  Class 2  Class 3  Class 4~6
3月16日 0 0 0    8
4月6日 1 1 2 12
4月27日 0 0 0 13
5月10日 0 0 0 15
5月24日 1 0 0 19
6月8日 0 0 1 11
6月22日 7 0 1 9

 まずはハリケーンの数字に注目願います。毎日数機の完備機を出していますが、その背後にある200機から最高366機に上るいつ使えるようになるのかもわからない機体があります。当時の月産機数と突き合せてみるとこの数字の深刻さがわかります。

 次にスピットファイアを見てみます。スピットファイアの完備機もハリケーンと似たようなチョボチョボとしたものですが、後に控えるクラス4~6の機数がハリケーンよりも遥かに少ないことが目を引きます。ハリケーンもスピットファイアもデファイアントもほぼ同じエンジンを装備した機体ですからエンジン不調といった理由ではなく、装備品の供給問題が発生していることが想像できます。

 そして供給の乏しい装備品をスピットファイアに回してスピットファイアの払い出しを最優先とする代わりにハリケーンの滞留を忍んでいる様子が読み取れます。月度の生産機数だけから見ると「イギリス空軍戦闘機コマンドは設計が古めかしくとも実用的なハリケーンを重用していた」といった何となくもっともらしい話を信じたくなってしまいますが、供給の実態を見るとそうではないことがわかります。イギリス空軍戦闘機コマンドは高性能のスピットファイアに賭けていたのです。1940年のイギリス空軍単発戦闘機の供給方針はスピットファイア最優先、ハリケーンの大量滞留やむなし、デファイアントは無視、といったところでしょうか。この状況も1940年6月を迎えると滞留機数は減少し相当改善しているようです。こんな数字からもイギリス空軍の軍備がバトルオブブリテンに間に合って行く様子が読み取れますね。

11月 7, 2008 · BUN · 4 Comments
Posted in: 航空機生産

4 Responses

  1. ヒロじー - 11月 10, 2008

    スピットの5/10~6/8は滞留機の減少というより予備機そのものの払拭ですね…。ダイナモ後とか涙が(つД`)
    ハリケーンも5/10以降クラス4~6の滞留機が大きく減っていますが、戦局もあるでしょうが両機の滞留機の改善はこのあたりでなにかあったんでしょうか。
    艤装品の在庫管理の合理化がちょうど黄色作戦の時期に間に合ったのかもしれませんが、事態が事態だけに補修用部品在庫からの転用とか、あるいは滞留機そのものを例えば損傷機とニコイチにでもしたのかと妄想してしまいました(ぉぃ)。

  2. BUN - 11月 11, 2008

    スピットファイアの予備機が払底している一方、ハリケーンはクラス1、クラス2に余裕が出て来ているところが面白いですね。

  3. Doom - 11月 17, 2008

    5月14日 ビーバーブルック氏がMinister of Aircraft Productionに就任しますね。
    生産体制は、ビーバーブルック氏の就任前に出来ていたのでBoBに対する直接的な貢献は、それほどのもでもない・・・といったことを読んだ(空想かな)でなるほど、と思ったことがあります。

    もしかすると、ビーバーブルック氏の最初の活躍は、滞留機をいかに早く部隊配備へ・・・と言うところにあったのかな、と想像します。

  4. BUN - 11月 17, 2008

    Doom様

    そのあたりは実に面白い部分だと思います。
    日本機に対する論評としっかり比較してみなければならない部分ではないかと思っています。

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