凋落のTD大隊

 北アフリカで大損害を出して評価を一気に下げてしまったタンクデストロイヤー部隊の編成計画は大幅縮小に転じます。当初220個大隊の計画だったものが即時146個大隊に縮小され、さらに1943年末には106個大隊となってしまいます。106個の大隊のうち61個大隊はヨーロッパ戦線へ送られ、10個大隊は太平洋戦線、そして残る35個大隊はアメリカ本土にありました。計画は半減されてしまった訳です。

 実戦での不成績と進行する牽引砲復活計画による混乱で追い詰められたタンクデストロイヤー部隊は陸軍中央にとって役に立たない余剰と看做され、本土に残る35個大隊の解体が決定したのは1943年10月で、これらは通常の野砲大隊、戦車大隊、水陸両用トラック大隊などに転換されてしまいます。1943年中に5個大隊の転換が行われ、残る大隊も1944年5月までに全て転換されてしまいます。

 実戦に投入されるまでは華々しかったタンクデストロイヤー部隊ですが、北アフリカ、イタリアと転戦はしたもののその評価は上がらず、その上にノルマンディ上陸作戦に投入されたタンクデストロイヤー部隊には新たな危機が訪れます。M10GMCの3インチ砲ではノルマンディで出会った強敵、パンターの前面装甲を撃ち貫けないという問題です。これは戦車部隊のM4中戦車でも同様でしたが対戦車戦闘を主とするM10GMCの主砲が威力不足であることはより深刻です。そこで3インチ砲にタングステン弾芯を用いた高初速徹甲弾(HVAP)を供給することが決定されますが、希少金属を用いるHVAPのような弾種は大量の需要を抱える第二次世界大戦下ではドイツであってもアメリカであっても十分に供給されません。

 タングステン弾芯の徹甲弾不足に対してドイツ陸軍は主砲の口径拡大で対応しています。本来なら50mm砲で十分なはずの主砲を75mmへ88mmへと拡大した裏にはこうした事情が存在しますが、アメリカでも同じ動きがあり、90mm砲搭載のM36GMCの配備が促進されることになります。90mm砲はM10の3インチ砲よりも遥かに強力でしたがパンターの前面装甲を500m以上の距離で確実に貫通するにはやはりHVAPが必要とされています。1944年7月には全大隊のM36装備が要求され、具体的には9月にアメリカ第12軍集団からは52個大隊の配備要求が行われ、その内訳は20個大隊のM36装備大隊と20個大隊のM10またはM18装備大隊、残りの12個大隊が今や持て余し気味の牽引式大隊とされました。

 北アフリカでの不評に続き、ノルマンディでも苦戦するタンクデストロイヤー大隊にはドクトリンに無い役割が要求されるようになります。それは歩兵部隊の支援です。イタリア戦線では見られた戦車部隊の間接射撃はノルマンディではあまり見られず、主にタンクデストロイヤー大隊にその役割が振られています。直接射撃中心の対戦車砲部隊に間接射撃訓練を施す決定はすでに1943年中に下されていますが、もともと急速編成、急速投入のお蔭で明らかに不足していた技量を充実しようと急ぐ各大隊にとってはそれもまた一つの重荷でした。

  そして間接射撃以外にも本来想定されなかった歩兵部隊の近接支援任務にまでタンクデストロイヤー大隊が駆り出されることになります。軽装甲で敵の対戦車兵器に弱く、天蓋の無いオープントップの砲塔は敵の砲撃に対する防御が不足している他、狙撃兵から狙われやすく、近接攻撃で手榴弾を投げられてさえも危険でしたがそれでも歩兵支援任務は続けられます。こうした悪条件下での奮闘の記録は数多く残されていますが、だからといって歩兵部隊からの評判が高まったかといえばそうでもありません。

 一般に歩兵部隊は通常の戦車大隊に支援されることを好んでいます。その理由は簡単でした。タンクデストロイヤー大隊は36輌装備が標準でしたが、歩兵部隊に分属される戦車大隊はM4中戦車50輌とM5軽戦車17輌を装備して、おまけに105mm自走榴弾砲の支援も受けているからです。タンクデストロイヤー大隊を配備された歩兵部隊は装備車輌の特性よりもその規模で「はずれ」を引いた気持ちだったということです。
1944年の秋まで、タンクデストロイヤー大隊とは何かと肩身の狭い思いをする部隊でした。

7月 2, 2008 · BUN · 3 Comments
Posted in: タンクデストロイヤーとは?, 陸戦

3 Responses

  1. ペドロ - 7月 2, 2008

    >本土に残る35個大隊の解体が決定したのは
    >1943年10月で、これらは通常の野砲大隊、
    >戦車大隊、水陸両用トラック大隊などに転換されて
    >しまいます。1943年中に5個大隊の転換が行われ、
    >残る大隊も1944年5月までに全て転換されてしまいます。

    怨敵は半年強でポンポン転換してくれますね。
    確か日本ではこの頃あたりから航空を最優先として戦車の生産枠が削られ始めたと記憶しております。丹念に綴られているタンクデストロイヤー大隊の迷走、非常に興味深いものがありますが、迷走できるだけの余裕があったのかとも思います。

  2. magics - 7月 3, 2008

    こんにちは。
    いつも楽しく拝読させていただいております。
    小さいころ、近くの文房具屋で買ってもらったタミヤのアメリカ軍の”戦車”、何で屋根がないんだろう、部品が足りないのではないか、と疑問でしたが、一連の記事読まさせて頂き、ついに解決いたしました。
    有難う御座いました。

  3. BUN - 7月 3, 2008

    ペドロさん

    昭和19年度の戦車新規整備は0輌ですものね。
    それはそれとしてTDは日本陸軍にも影響を与えてるようです。

    magicsさん

    私もM36のプラモを初めて手にしたとき、そう思いました。どうして雨ざらしなんだろう?傘をさすんだろうか?と。

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