兵器とドクトリン

 ある兵器体系があればその裏にはその兵器を必要としたドクトリンが存在します。それは整理された公式ドクトリンとしてある場合と、未整理の経験知を集積した非公式ドクトリンとして育まれたものとがあります。

 ひとつの兵器に現れた特徴はこうしたドクトリンを体現したものであることが多く、兵器そのものを博物学的に分類してもそれが生まれた理由にたどり着けない場合があります。牽引式対戦車砲からトラック搭載砲、ハーフトラック自走砲、戦車形式と全く異なる様式の兵器全てをタンクデストロイヤーとしてひと括りにしてしまうアメリカ陸軍のタンクデストロイヤー部隊の装備はその最たるものでしょう。

 アメリカ陸軍のタンクデストロイヤードクトリンを示した公式教範として1942年6月15日制定のフィールドマニュアルFM18-5があり、アメリカ陸軍のタンクデストロイヤーがどのように用いられるどんな性格の兵科なのかが明らかにしています。そこでは攻撃的用法において諸兵科と協同しながらも半独立部隊として敵戦車部隊の撃破を目的に集団で用いられるべきものとし、防御的用法では主防衛線には用いず、後方で機動予備として敵戦車部隊の攻撃に備えるとされていますから、攻防どちらの局面でもタンクデストロイヤーに求められたのは機動力だったということがわかります。

 そして敵戦車部隊の進撃方向を察知してその側面に機動反撃を行うために偵察部隊の活用が強調され、敵戦車との正面からの格闘戦を避け、有利な地形で一方的な攻撃を加え得るような運用が理想とされています。タンクデストロイヤー大隊が偵察小隊を伴うのはこうした理由です。

 ルイジアナ演習では牽引砲、その後、フランス陸軍の用法を模範にトラック搭載方式となり、FM18-5の制定と並行して本来のタンクデストロイヤーとして戦車形式の開発が始まります。この戦車形式のタンクデストロイヤー開発にあたって戦車部隊からは砲兵のタンクデストロイヤー部隊も戦車部隊と同じく戦車を装備するべきだとの介入がありましたが、理想的タンクデストロイヤーとは戦車よりも軽量で高速な機動性に優れる車輌でなければならないとの反論が認められ、「戦車が戦艦であるなら巡洋艦に相当する車輌」として戦車形式のタンクデストロイヤーが完成します。

・集中投入して一方的に射撃するので敵戦車と正面きって撃ち合わない。
・優位な地形に占位するために軽量化による速度、機動力向上が必要。
・観測能力向上と操砲の都合からもオープントップ形式が望ましい。

 こうした理由でタンクデストロイヤーが薄い装甲とオープントップ形式の砲塔を持つに至った訳ですが、結果としてFM18-5と共に生まれたこの形式の車輌は実戦で活躍できていません。北アフリカに投入された実戦部隊はFM18-5が示したような状況に持ち込むことができず、背が高くて発見しやすく、しかも安定しない車載砲は次々に撃破されてしまいます。FM18-5のような戦い方はこの戦場では現実的ではなかったのです。北アフリカの経験でタンクデストロイヤーに対する新ドクトリンが要求されますが、一旦地に落ちた評価は様々な干渉を招き、新ドクトリンの策定は遅れに遅れ、1943年中には完了できずその改正は1944年7月までかかります。

 そこで制定された新教範はFM18-20(自走式部隊用)とFM18-21(牽引砲部隊用)の二種に分かれています。1943年に編成され始めた牽引砲部隊は「まったく別物」として扱われているところが注目点ではありますが、ここに現れた新ドクトリンは実戦の部隊運用とはあまり縁がありません。

 なぜならようやく制定された時期には殆どのタンクデストロイヤー大隊は戦場に送り出されてしまった後で、タンクデストロイヤー大隊そのものも新設よりも解体と転用が進んでいたからです。新ドクトリンは間に合わず、タンクデストロイヤー大隊は旧来のドクトリンで訓練された部隊が新しい現実と新しい要求に対して現場で適応する、という苦しい対応で終戦まで過ごすことになります。

7月 1, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: タンクデストロイヤーとは?, 陸戦

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