Ju88計画の規模
けれども我々は既にイギリス空軍もまた同じような試行錯誤の中で四発重爆撃機の開発を行っていたことを知っています。ドイツとイギリスは両国とも爆撃機の主戦力を双発爆撃機に置こうとしていたこと、四発重爆撃機はイギリスからドイツ本土への長距離爆撃を行うための兵器であること、ドイツにとっても四発重爆撃機がイギリス本土への空襲を意味するものだったこと、けれどもドイツもイギリスも予算と生産能力の都合から中型爆撃機を主力にせざるをえないと考えていたこと、そんなことを考えながら、第二次世界大戦開戦直前にあたる1938年のドイツ航空工業を眺めてみたいと思います。
1938年10月現在のドイツ航空機工業に従事する人員数は次の通りです。
機体製造部門 14万6300人
発動機製造部門 5万7800人
装備品製造部門 7万4200人
修理部門 1万4700人
合計 29万3000人
これはナチスの政権奪取時、1933年4月度の各部門合計わずか5900人と比較するとほぼ50倍に相当します。ドイツの航空機工業はナチス台頭時から開戦直前までで50倍以上の規模に膨れ上がっていたことがわかります。イギリス以上の大拡張が行われていたということですが、当然のことながら、このような産業部門に「勤続10年のベテラン作業員」などは存在しません。誰もが新規に雇用された速成作業員だということです。
もし彼らを兵士として動員してしまっても深刻な問題は無く、それよりも問題となるのはこれだけの産業を支える「頭数」だということもこうした数字から想像がつくことでしょう。戦争中期に20万人を徴兵してもそこへ充当する外国人や囚人の数が見込めれば大きな問題は発生しません。むしろこうした代用作業員を大量に補充された戦争後期にドイツの航空機工業は大きく生産性を上げているのですから上辺だけのもっともらしい評論などあまり意味が無いことも身に染みますね。
さて、この1938年10月度の機体製造各社の人員と全体に対する構成比率を見てみます。
AGO 3468人 2.4%
アラド 14090人 9.6%
ATG 6356人 4.3%
BFW 9257人 6.3%
ブロム&フォス 5227人 3.6%
ビュッカー 968人 0.7%
ドルニエ 15344人 10.5%
エルラ 4310人 2.9%
フィーゼラー 5548人 3.8%
ゴータ 3315人 2.3%
フォッケウルフ 8428人 5.8%
ハインケル 18297人 12.5%
ヘンシェル 8851人 6.0%
ユンカース 25855人 17.7%
その他 16904人 11.6%
各社の作業員数と構成はこのようなものです。ドルニエ、ハインケル、ユンカースといった大型機製造に携わる各社で全作業員の40%以上を構成していることがわかります。大型機を量産することがかなりの大事業である点は各国共通です。戦闘機主体のBFW(後のメッサーシュミット社)は双発戦闘機を製造しているとはいえ爆撃機メーカーの半分から1/3程度の規模でしかないこともわかります。
そして所帯の小さい戦闘機製造会社が大量生産に対応するには他社への転換生産が必須となることも各国共通です。Bf109もFw190もそうして大量生産されたのです。こうした状況は実は爆撃機であっても同じことで、主力爆撃機の生産はやはり他社の量産工場へ振り向けられるものです。
ではこの1938年、ドイツ航空機工業は全体としてどんな動きをしていたのかといえば、それはBf109の大量生産への対応ではなく、Fw190の量産準備でもなく、まして四発重爆撃機の開発でもありません。この時点でドイツ航空機工業各社の中で、ドイツが初めて装備する民間機ベースではない本格的な中型爆撃機であるユンカースJu88の量産体制確立のために動いていた各社作業員の総数は77,716人で、ドイツの全航空機工業(機体製造)作業員の53%がユンカースJu88計画に関わっています。Ju88計画の規模の大きさがわかる数字です。
ヨーロッパ各国の再軍備時代に一番手間のかかる爆撃機の製造について、初めて手にする本格的双発中型爆撃機の大量生産を実現するために全航空機工業の半分以上をつぎ込んでいる様子がこの数字からわかります。まずはこれを実現しない限り、列強空軍と本当の意味で肩を並べることができないからです。ドイツ空軍と航空機工業界がこの課題に全力で取り組んでいたのが1938年の秋の状況で、そんな中で四発重爆撃機にどんな要求性能を突きつけようがつけまいが、とりあえず希望の持てる双発爆撃機を大量生産に移す以外に何の選択肢も存在しなかったというのが現実の話です。
6月 22, 2008
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Posted in: 航空機生産
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