アメリカ戦車師団の編制改革

 ルイジアナ演習で対戦車大隊の活躍によって撃破されてしまったアメリカ陸軍戦車部隊はその反省を込めて編制の改革を開始します。戦車旅団を持つ戦車師団の編制が戦況の変化に対して融通が利かず、その結果、対戦車砲によって進撃を阻まれてしまったという認識から戦車師団の編制を機械化歩兵、砲兵とのバランスを重視したものに変え、臨機応変に戦力を分割し、必要な兵力を師団の兵力プールから取り出して諸兵科協同の戦闘団を形成できる体制に向かいます。

 ただ、この改革はそれほど容易ではありません。なぜならアメリカ陸軍には装甲戦闘車輌を扱う兵科が二つあり、それぞれが別個の思想を発達させ、統合ドクトリンが存在しなかったからです。フォートノックスの戦車学校を中心とする戦車派が育てた機動突破一本槍の攻撃ドクトリンと新しく設けられたフォートフッドのタンクデストロイヤーセンターが誇らしげに掲げる「戦車師団撃滅」を主眼とした防御ドクトリンとでは、拠って立つ地盤が全く異なります。

 戦車派のドクトリンは歩兵、砲兵との協調を二義的なものとして軽んじていましたし、タンクデストロイヤードクトリンは対戦車砲の機動運用によって戦車師団そのものの有効性を否定しようとする傾向を持っています。むしろ防御ドクトリンとして育ち始めたタンクデストロイヤードクトリンの方が目の前にある問題点が具体的で、その乗り越え方にも迷いが無く、相対的にスッキリしたものになっています。

 タンクデストロイヤーは戦線の後方に温存され、敵の機動突破の穂先が何処へ向いているかが明確となった時点で前進、殺到して敵戦車部隊を撃滅することが理想でしたから、そのためにいかに合理的な編制を整え、いかに機動性を高めるか、というわかりやすい課題に取り組んでいて、その後の大局的な問題は昔からあるフランス陸軍由来の陸戦理論に素直に繋げることができます。

 これに対してフォートノックスの戦車学校では歩兵、砲兵、航空などの他兵科との協同戦闘を採り入れることで機動突破作戦理論を発展させてより実用的なドクトリンに仕上げるという比較的複雑な仕事をこなさなければなりません。歩兵中心の戦術思想と対立する新しい思想である戦車理論は従来の陸戦理論に拠りかかることができないからです。

 こうした問題を抱えていたために、ルイジアナ演習の後、そしてアメリカの第二次世界大戦参戦後約3ヶ月経過した1942年3月に策定された「Armored Force Field Manual」の内容は従来の軽戦車主体の戦車師団運用を継承したもので、中戦車主体に編制を変えつつあった戦車師団の現状には適合しない応急的なものとなっています。

 策定された時点で現実離れした部分のある「Armored Force Field Manual」を横目で眺めつつ、同じ1942年3月に戦車師団の編制は戦車中心型から諸兵科協同型へ移行します。戦車師団を構成していた各兵科のバランスは従来の戦車8個大隊、機械化歩兵2個大隊、砲兵2個大隊という戦車中心の編制から戦車6個大隊、機械化歩兵3個大隊、砲兵3個大隊といった形で歩兵、砲兵の比率が上がり諸兵科協同指向の編制となります。戦車大隊が歩兵、砲兵の支援を十分に受けられるように改善されたのです。

 この編制をベースに「Combat Command」の概念が生まれ、アメリカ陸軍の戦車師団は「Combat Command A」「Combat Command B」という二つの戦闘団とその司令部を基本とし、それぞれの戦闘団が師団の戦力を必要に応じて指揮下に入れて戦うという形態へと発展して行きます。けれどもこの編制改革でも戦車部隊は必要な支援部隊を得られず、隣接する歩兵師団から支援兵力を借りて戦う事例が生まれることが北アフリカ戦線での実戦経験で明らかとなり、さらに編制の改善が求められるようになります。

 アメリカ陸軍にドイツ軍の「Kampf Gruppe」的発想が採り入れられて行く過程はこうして始まり、それから1年数ヶ月後に経験するノルマンディでの苦しい戦いで最終的に仕上げられることになります。

6月 18, 2008 · BUN · 4 Comments
Posted in: タンクデストロイヤーとは?, 陸戦

4 Responses

  1. でぐちゃれふ - 6月 19, 2008

    戦車を中心とした機甲戦術の話はそれがもたらした華々しい結果だけが取り上げられることが多いので、こういった「産みの苦しみ」に関するお話はとても興味深いです。
    「他兵科との協同戦闘」も言葉にすれば簡単ですが、新参の兵科が古参の各兵科の協力を取り付けて主導権を握るまでには裏で大変な苦労があったことでしょうね。

  2. BUN - 6月 19, 2008

    毎度おつき合い戴きありがとうございます。
    「豊か」「大量」「巨大」というイメージのあるアメリカ戦車部隊にも試行錯誤があるということなんですが、自分で書き続けていてもつくづく思うのですけれども、こんな内容を他人様が読んで果たして面白いのかと常々考えてしまいます。そこは個人のブログと言う事でどうぞお見捨てなく・・・。

  3. マンスール - 6月 19, 2008

    「こんな内容」で、どうかこれからも書き継いでいただけますよう。
    ところで、ルイジアナ演習には航空隊はまったく参加していなかったのでしょうか。火力、機動力に優れた防御を突破するには航空支援が欠かせないと思うのです。

  4. BUN - 6月 19, 2008

     その通りです。
     陸軍の攻撃機部隊はパラシュート爆弾の使用、夜間の照明爆撃などの戦技を完成させつつあり、ルイジアナでもカロライナでも地上部隊の支援を行っています。
     ルイジアナで試されたのは地上部隊と航空部隊が互いに連絡将校を派遣し合い、空陸の協同を確立することでしたが、この試みは指揮所が航空基地から遠いなど、様々な問題があって上手くいきません。
     空陸の相互連絡と協同の確立はその後の課題として残される結果となっています。

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